名称未設定の小説

tolico

21回目の誕生日


大樹だいき


 静かな、だがしっかりとした意思のある父の声が僕を呼ぶ。


「私は反対だ。母さんも心配する」


 明日を二十歳の誕生日に控える僕は、その日、父にわがままを言った。

 珍しく朝食を一緒にした父は、僕の言葉にそう返した。



 僕が生まれる前、父は売れない作家で、契約社員をしながら時々雑誌に掲載され、細々と執筆活動をしていた。

 そんな父の夢を、母は心から応援し、支えていた。だからずっと共働きだった。



 僕の幼い頃の両親の記憶は、頻繁に咳を繰り返す母の隣で、心細そうに佇み支える父の姿だ。

 小柄で少食な母は、僕を産んだ後、肥立ちが悪く病気がちになったのだそうだ。


 僕が生まれてからは、父がしっかりと家計を支えるために夜間勤務を増やし、執筆活動は減った。

 いつ体調が悪化するか分からない母は、しかしそれでも父の夢の手伝いをしたいと、週に三日程のパートで働いていた。

 父は毎日明け方に帰宅し、昼間も時々働きに出ては、合間を縫って執筆活動に勤しんでいたようだ。


 だから幼稚園や小学校の行事は両親が参加する事は少なかった。

 それでも僕の誕生日には毎年、料理好きの母がケーキを焼いてくれて、親子三人でささやかに祝ったものだ。

 また、寝物語に聞いた父の作品の数々は、幼い僕の寂しさを紛らわすのに十分だった。



 だが、僕が中学に上がる頃、ついに母が倒れた。入院し、時には意識が無い日もあった。

 父はすっぱりと書くことをやめ、母の看病と生活費を稼ぐ日々を送った。僕との生活リズムが合わず、会話も減っていった。

 誕生日には、コンビニのショートケーキが冷蔵庫に入れられるようになった。


 僕も中学を卒業したら働くと言ったけど、大学までは絶対に行った方が良いと両親の説得もあり、大学はなんとか推薦で奨学金も貰うことができた。

 バイトをして少しでも家計の助けになろうと努めた。


 父は、母の看病と日々の疲れで、だいぶ無口になっていた。

 お見舞いに行くたびに母は笑顔をくれたけど、家に帰って来れる程に回復はしなかった。




「作家になりたいんだ。大学はもちろんきちんと卒業する。父さんみたいに働きながら、僕も夢を追いたいんだ」



 父は黙ったままだった。



 幼い頃から、父の書いた物語は僕の楽しみだった。寝る前、嬉しそうな顔の母に、お話として聞かされていた頃が懐かしい。

 高校になってPCが欲しいと言った時、父のノートパソコンを共有で使うことを提案された。

 バイトは許してもらっていたけど、友達と遊んだり、毎日のお昼代でなかなか貯めることが出来ていなかったので、父の提案に喜んで賛成した。


 デスクトップにはフォルダーがたくさんあり、父の書き溜めた小説がファイルされている。

 中にはパスワード付きだったりしたが、大体は読んで良いと言われていて、小中学校時代には聞かされていなかったお話を、夢中になって読んだものだ。

 そういえば、ひとつだけ名称未設定のフォルダーがデスクトップの隅にあったのを思い出す。パスワードがないと開けないようになっていた。



「私は、賛成ではない」


 しばらく押し黙っていた父はそう言い捨てると、食器を片付け自分の部屋に行ってしまった。


 僕は釈然としないまま食器を片して、大学へと出かけた。



 一日が終わり、帰宅してPCを開く。これは僕の日課だ。父の物語を読み尽くしてからは、小説サイトを見つけて、色々な人が書いた物語を読んでいた。

 怖い話、楽しい話、残酷な話、温かい話。難解な話やちょっと切なかったり、びっくりするような話。色々な物語に心躍り、感情を揺さぶられた。


 そうして、そのうち自分でも書くようになったのだ。自分も誰かの心を揺らすような物語を、書きたいと思ったのだった。



 デスクトップの隅には相変わらず、名称未設定のフォルダーが鎮座していた。何気なく開こうとしたが、やはりパスワードが無いと開かなかった。




 翌日。夜勤の父は帰って来ず、顔を合わせないままに大学に行った。


 帰宅してPCを開く。デスクトップが立ち上がり、たくさんのフォルダーが現れた。


 ふと、いつもとの違和感があった。


 画面の隅。名称未設定のフォルダーに、名前が付けられていた。


『21回目の誕生日を迎えた大樹へ』


 21回目というところに疑問を持ちながらも、僕はカーソルをフォルダーに合わせた。


 ダブルクリックで開くと、パスワード入力は無く、フォルダーが展開された。

 そこにはまたフォルダーが並んでおり、0歳から20歳まで順に名前が付けられていた。


 0歳のフォルダーを開くと、僕が母に抱かれた写真と文章ファイルが入っている。


『生まれてくれてありがとう。きみの名前は大樹だ。大地にどっしりと根を張り、真っ直ぐに、温かく森を見守る大きな樹のように。しっかりと自分の力で立ち、優しく人を思いやれる大人になって欲しい。そして伸び伸びと、どうか元気に育ってください』


 そのように書かれていた。


 それから1歳のフォルダー、2歳のフォルダーと順番に開いては写真と文章に目を通した。

 写真は誕生日に撮ったものが多かったが、1枚だけではなく、誕生日までの一年にあった行事などの写真も入っていたりした。母とのやり取りや父の想いなどがその都度書かれていた。


 中学校に入ってからは誕生日を祝うというようなことはしなくなったので、写真は添付されていないが、父からのメッセージは欠かさず書かれていた。

 僕のことを心配しつつも時間が取れない申し訳なさや、バイトで家計を助ける僕への感謝の言葉が並んでいた。



 そして最後。20歳のフォルダーだ。


 僕は胸に迫るものを感じながらフォルダーを開いた。



『大樹へ。きみが生まれた日から21回目の誕生日を、無事迎えられたことを本当に嬉しく思う。二十歳の誕生日おめでとう。


 私は、母さんが倒れるまで夢を諦めきれず、忙しくして大樹をあまり構ってやれなかった。寂しい思いもさせただろう。良い父親とは決して言えなかったと思う。

 でも大樹は、その名前のように、腐らず真っ直ぐに育ってくれた。

 父さんの書いた物語も小さい頃から喜んで聞いてくれて、そして今、二十歳という大人になったひとつの区切りに、作家になりたいと言う。


 正直に言えばとても嬉しい。


 だが私は昨日、これを反対してしまった。自分が経験してきた事があったから、大変さ、辛さがよくわかっているからだ。苦労すると思う。書くことが嫌いになるかもしれない。

 それを思うと素直に賛成は出来なかった。



 だけどきみはもう大人だ。自分で考えて自分で行動出来る。それに、好きなことは誰から止められたってやるだろう。そういうものだ。夢とは、そういうものでなくてはならないとも思う。

 やれるところまでやってみれば良い。母さんも応援すると言っていた。私も、いつか大樹の書いた物語を、読める日を楽しみにしている。


 改めて、二十歳の誕生日おめでとう。冷蔵庫にケーキが入っているよ』



 僕が最後の文字を読む頃には、目に映る画面はすっかり滲んでいた。



 今日は僕の二十歳の誕生日。


 生まれた日から、21回目の誕生日だ。






 それから十年、僕は無事大学を卒業し、それなりの大企業に就職した。

 恋人も出来て、将来を誓い合った。



 今、僕は物語を書いている。


 仕事の傍ら、少しずつではあるが、書いては出版社に持ち込みを繰り返していた。

 父や母にも時々読んでもらったりしている。実は最近、執筆を再開したという父は、やはり辛辣な感想だった。

 最近は家にも帰れるようになり、通院生活を続ける母は、私は面白いと思うから頑張ってと励ましてくれた。



 まだ芽は出ない。だけど僕は書き続けるだろう。


 妻も僕の夢を応援してくれている。


 生まれてくる子供の、21回目の誕生日を祝える時までには、何か面白い物語を書き上げたいと思う。

 

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