Ctrl +X

「ペン」の描写じゃこの牢屋は破れない。透明の障壁。何らかの技術が使われているのだろう。中身が分からないものは書けない。だから「ペン」じゃ状況は打破できない。


「虫眼鏡」じゃ飯田さんを引き寄せてしまう。これはあくまで「検索」。僕にとって必要なものを手元に寄せることはできるが僕を誰かの手元に寄せることはできない。不可逆の処理なのだ。そもそもが僕以外の人間が使えない「ペン」がないとダメなツールなので、誰かに手渡して検索してもらう、ということもできない。


「ハサミ」……。

「虫眼鏡」が「検索」なら、「ハサミ」は「切り取り」だ。


 この結論に行きつくのは当然のことだった。だが方法が分からない。イメージとしては範囲選択や単語を指定して切り取るイメージだが、どうやって……。


 やっぱり「ペン」か? 

 僕は「ペン」を見る。「虫眼鏡」はこれを起点としたツールだ。だとしたら「ハサミ」も? 僕は仮説を検討する。


「日諸さん!」

「どうした?」

 拳に纏わせた「カムイ」で何とか透明の壁を破壊しようとしている日諸さん。今飯田さんと対峙している「日諸さん」が彼のコピーだとしたら、弱点も彼と同じだ。


「……作品からなくなると困るものはありますか?」

「どうしたんだ急に」

「『君の姿と、この掌の刃』からなくなったら困るものは何ですか?」


「そんなの『カムイ』に決まって……」

 と、言いかけた日諸さんが僕の手元を見る。その目線で全てが通じたらしい。彼が頷き、拳を下ろす。

「やってみろ。今はそれに賭けるしかない」

 するとしびれを切らしたように飯田さんが叫ぶ。


「ハーフタイム終わるぞー」

「今何とかしますから!」

 僕は「ペン」を構える。すぐさま記す。


〈カムイ〉


 そして宙に書かれたその文字を、「ハサミ」で切断した。刹那、三文字の文字列が縦半分に割れる。文字はそのままはらりと消えてなくなった。変化はすぐに表れた。


 壁の向こう。日諸さんに化けた『模倣型エディター』が鋭い手刀を飯田さんの首に振り下ろすところだった。万事休す。もちろん、「カムイ」があれば。


 すっと、敵「日諸さん」の手刀が飯田さんの目の前を通過する。空振り。時間が一瞬、静止する。


「やった……!」

 拳を握る。

「上手くいった……!」


 僕は透明の壁越しに飯田さんに叫ぶ。


「Ctrl + Xです! 『カムイ』を切り取りました!」

 敵「日諸さん」が両手を見つめ混乱している。チャンスだ! 飯田さんが叫ぶ。


「でかした、物書きボー……」

 しかし、言い終わらない内に。

 飯田さんの目の前の空気が爆ぜる。大きく反り返る飯田さん……! 


「『スピリット』だ!」

 こちら側の日諸さんが叫ぶ。

「中佐の能力だ! 逃げろ! 凶悪だ!」


 左手を掲げる敵「日諸さん」。目が暗黒に沈んでいる。

「『スピリット』って何ですか! 『カムイ』と違う何かですか?」

 慌てて訊ねる僕に、日諸さんが答える。

「『カムイ』と同じだ! だが呼び方が違う!」

 何だそれ。じゃあ〈カムイ〉を切り取っただけじゃ適用されない範囲があるのか。


「くそっ、『カムイ』が使えない……!」

 手を振り慌てるこちら側の日諸さん。そりゃそうだ。僕が切り取ったんだから……。


 混乱する。「スピリット」を切り取ればいいのか? でもそれってこちら側の日諸さんからさらに選択肢を奪うことにならないか? しかも「スピリット」以外の概念が日諸さんの作品にあったら? じゃあ「カムイ」を戻せばいいのか? 


「も、戻すには……」

 どうすれば? 切り取ったものはどうすれば元に戻る? 


 パニックになる。どうしよう。こちら側の戦力がなくなった。どうしよう。日諸さんから「カムイ」を取り上げた。どうしよう。飯田さんがピンチだ。どうしよう。状況が良くならない。どうしよう。僕にできることはない。どうしよう。僕たちは出られないままだ。どうしよう。このままだとあの女が来る。どうしよう。「ペン」を取り上げられるかもしれない。どうしよう。味方もいない。どうしよう。誰も助けに来てくれない。どうしよう……。


「深呼吸だ」

 突然僕の頭に、日諸さんの手が置かれる。

「自分に言い聞かせろ。『しーっ。静かに』ってな」


 その言葉で、心が凪いだ。風が吹き抜けたような気分になる。

「切り取れたんだから戻せる。な? もしかしたらもっとうまく使えるかもしれない」

 顔を上げる。日諸さんの顔が目に入った。

 鋭い眼光。危機に直面した顔だ。だが諦めてない。状況を手放してない。そうだ、なら僕も……僕だって……! 

 僕は大きく息を吸って、再び「ペン」を構える。


「ペン」。

 これが紡ぐのは、言葉だ。

 言葉は檻だ。不定形な思考を、概念を、論理を、無理矢理形に落とし込んだものだ。

 でも同時に翼でもある。

 言葉があるから、僕たちは分かり合えるし、傷つけ合うし、そして今みたいに……助けてもらうこともできる。

 そうだ、言葉なら……「言葉」なら。


 再び「ペン」で〈カムイ〉と記す。その間に、日諸さんが。

「よく避けた……! 飯田氏……!」

 視線を上げる。仰け反った飯田さんは……無事だ! 


「H.O.L.M.E.S.が予知してくれたからな……でもこれあれだな。調整しないと腰をやるな」

 華麗なバク転を一度決め、飯田さんがすたっと立ち上がる。「インナー」の効果であんな動きが? どうなってるんだあの人の作品……。


 でも、とにかく。

 記した〈カムイ〉を、そっと指で弾く。くるくると、その場で小さく回転する〈カムイ〉の文字。これなら、あるいは……。


 でこぴんの要領で中指を親指で押さえる。上手くいってくれ……! 


「飯田さん、『カムイ』を……!」

〈カムイ〉を指で弾く。その瞬間、〈カムイ〉は転がしたビー玉くらいの速度で飯田さんに接近し、次の瞬間、彼の体に溶け込んだ。ぽかんとする飯田さん。


〈『カムイ』が貼りつけられました。これより『カムイ』の行使が可能になります〉


 H.O.L.M.E.S.の声。やったか……? 上手くいったか……! 


「それってこういうことか?」

 飯田さんが敵「日諸さん」に向けて掌を広げる。見えない壁に激突する「日諸さん」。


「こりゃすごい。便利だな」

 おそらく、「カムイ」で壁を形成したのだろう。

 敵「日諸さん」が慌てた動きを見せた。続けてパントマイムのように、手で見えない壁を叩く。四方を叩く敵「日諸さん」。飯田さんが「カムイ」で奴を閉じ込めたのだ。おそらくは……立方体の中! 


「油断するな飯田氏! 『スピリット』がある!」

「それはH.O.L.M.E.S.が予測してくれるし、何なら……」

 飯田さんが眼鏡型端末を外す。

「『カムイ』でも探知できるみたいな」


 すたすたと、しかし複雑なステップで、歩む飯田さん。彼の近くで何度も何度も空気が爆ぜる。


「中佐の能力ならまだ続きがあるぞ!」

 日諸さんの警告に、手を振る飯田さん。

「対応済みだ。まぁ、見てろよ。僕だって日諸さんの『君の姿と、この掌の刃』読んでるんだ」


 敵「日諸さん」が左手を構える。即座に飯田さんの周囲に展開される、歪んだ空気……あれは透明な針か? 


 敵「日諸さん」が拳を握る。直後、針が一斉に飯田さんに向かって発射され……? 


 しかし飯田さんの周囲でバラバラと落ちる針。しかもそれは、一定距離を置いて落ちているのではない。あるものは飯田さんの数メートル先で、あるものは飯田さんの一歩手前で、タイミングも別々に、何かにぶつかったかのように散っていく。


「行使者の特性が出るんだよな、『カムイ』ってのは」

 飯田さんが外した眼鏡型端末をかけ直す。

「ま、僕はミステリー作家だからな。『謎を構築』して『物語を作り上げ』、何ならジャンルとして『館モノ』や『密室モノ』がある」


 彼が何をしたのかは分からなかった。だが僕の隣で日諸さんが笑う……!


「まさに『館』、そして『密室』だな」

 きょとんとする僕に日諸さんが説明してくれる。

「『カムイ』で家を作ったな? いや、この空間内に入る建物だから小屋、か?」


「呼び方は任せる。だが二階建て、部屋は合計四つ」

 すたすたと、飯田さんが小さな段差を超えていく。歩く度に高くなっていく。見えない階段……? それを上っているのか? 

 それから彼は、細い指でゆっくりと、いやらしく敵「日諸さん」を指差した。


「今君のいる『部屋』を閉じた。その密室からは出られない。まぁ、さっきみたいな爆破や針での攻撃はできるかもな。だが見えない、しかも構造は僕以外分からない建物の中でどうやってピンポイントで攻撃する? 教えてやるよ。君のいる場所から十歩進むと『扉』がある。今僕が閉めた。そしてその『扉』から二十歩進むと『玄関』、その脇に今僕が歩いている『階段』があってさらにその先に『部屋』が二つ……。中佐の能力は『カムイ』も可視化できたはずだが確か片眼鏡みたいな装置使ってたよな? 片方だけの視界じゃこの建物の中を通るのは苦労するだろうなぁ……。おっとあれか? あのボタンを押せば物書きボーイと日諸さんは出られるんだな?」


 飯田さんが僕たちの閉じ込められた牢屋のパネルに気づいた。僕は必死でそれを促す。


「それです! それ押してください!」


「じゃあ、今から『裏庭』を作ろう。そこへ降りるための『階段』も用意しないとな。おしゃれに『螺旋階段』にしちゃおうかな」


 すたすたと、見えない「廊下」を歩き、再び見えない「螺旋階段」で「裏庭」へ降りる飯田さん。


 パネルに触れる。直後、僕たちの前にある透明な壁が消えた。

 飯田さんが僕たちの前に立つ。


「人の作品に触れるってのも、いいものだな」

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