複製アカウント vs.……
目を覚ました。
明るい。白くて清潔な光。でもどこか機械的で……。
「あら、お目覚め?」
くぐもった声。ガラス越し、みたいな。
頭を持ち上げる。ぐらり。少し酔っているようだ。
「あ、あなたは……」
声のした方を見る。視界に入ってきたのは、透明の壁。ガラス……ではなさそう。アクリル板みたいな、ガラスより分厚くて頑丈そうな壁。その壁の向こうに。
真っ黒なドレスに身を包んだ女性がいた。人魚のようにウエストから膝辺りのところまでがすぼまった、体にぴったりくっつくタイプのドレスで……。
「あんまり女性のことをじろじろ見るものじゃなくってよ、坊や」
女性が笑う。しかし直感で分かった。この人、作家じゃない。
「不思議な子ね。コピーできない」
辺りを見渡す。僕から十メートルくらい先。一人のアカウントが倒れていた。透明の壁の向こうにいる女を警戒しつつ、僕はアカウントの傍に行く。日諸さんだった。日諸畔さん。
「日諸さん!」
駆け寄る。彼も遺跡群であの光線を浴びてここに? となるとのえるさんや加藤さんは? 他の作家たちも……しかし今は、目の前の日諸さんを。
助け起こす。日諸さんは小さく唸ると目を覚ました。よかった。殺されたわけではないようだ。
「お目覚めのようね」
壁の女はにこりと微笑む。
「そっちはコピーできたわよ」
「コピー? 何を?」
「ふふふ」
女は上品に笑う。顔だけ見れば、どこかふわふわしているというか、柔らかい印象の女性。でも着ている服や、雰囲気が何となく毒々しい。表情と雰囲気の不協和音が不快だった。否応なしに警戒する。
透明の壁の向こうを観察した。
ドアが二つあった。正面にひとつ。左手側の壁にひとつ。近くにパネル。多分、あれに手をかざせば開く仕組みになっているのだろう。
僕たちのいる側を見渡す。と、言っても床と壁と天井だけで、出入口はない。四角形の板で組まれた床。壁は一面真っ白。天井は床同様四角い板で作られている。ドアや窓の類は一切ない。つまり……牢屋か?
もし、牢屋なら……僕は透明な壁の向こうに目をやる。あった。透明の壁の向こう側。近くにパネル。あれに触れれば、もしかしたら開けられるのかもしれない。
でも、どうやって? 壁のこちら側から向こう側に干渉することはできない。
と、視界の隅に何かが見えた。上部。頭上。天井。液体状の何かがタイルの隙間に染み込んで消えていくところだった。明らかに向こう側からの干渉。僕は警戒する。
「何をした」
女は笑う。
「ふふふ」
「何をしたんだ」
「ふふふ」
やはり顔と雰囲気の不協和音が不快だった。改めて観察する。黒い、体にぴったりくっつくタイプのドレス。同じく黒のオペラグローブをつけている。細身。長い金髪。小さな頭に、黒いファーのベレー帽のようなものを被っている。見た目だけを切り取れば上品なお嬢様風なのだ。でも、気配。オーラ。
何だろう、自分がされて一番嫌なことを平気でしてくるような……痛み分けを全く苦痛としないような……雰囲気だった。そう考えるとにこやかな笑顔もどこか不気味だ。僕は「ペン」を取り出す。
「あら」
女が目を見開く。
「あなた『それ』を持っているの?」
女の言う「それ」が明らかに「ペン」を指していることは分かった。僕は筆記の準備をする。
すると女は嬉しそうに手を合わせた。
「素敵! 私ずっと『それ』を探してたの。お父様に知らせなくっちゃ」
「お父様?」
聞いたことがあるような気がした。でも何でだろう。思い出せない。
「ここでじっとしておいて欲しいけれど、『それ』があるものね……。もしかしたら抜け出せちゃうかも」
女は思案するような顔になる。それから手を打つ。
「……そうだわ! 見張りに立ってもらいましょう」
すると女が頭上に手をかざした。
「いらっしゃい」
その声に、応じるようにして。
天井から液体が降ってくる。と言っても雨のように、ではない。スライム状の何かが、滑り込んでくるように、天井から落ちてきた。それは尾を引いて女の隣に丸まった。
「さっきコピーした子になりなさい」
女の声に、液体がピクリと反応した。と、次の瞬間。
スライムが人型に変化した。やがてそれは徐々に形をくっきりさせ、そして……日諸さんになった。
「う……」
日諸さんがようやく起き上がった。まだ意識がハッキリしないのだろう。頭を振ってこめかみを押さえている。
しかし状況の分析はできるらしく、彼は一瞬で周囲の様子を見ると、自分たちが囚われていることを悟ったようだ。透明の壁の向こう。女の隣に立った「元」スライムを見る。
「も、『模倣型』……?」
日諸さんがつぶやく。
「でもいやにハッキリしてるな」
「ふふふ」
女は笑う。
「そうね。今までの子はちょっとかわいくなかったわ。その点、新しい子は優秀ね」
女は自分の隣にできた「日諸さん」を撫でる。
「ちょっと見張ってて頂戴。私、お父様に連絡を取るわ」
女は滑るような足取りで、僕から見て左側の壁にあるドアに向かう。女がパネルに手をかざすと、やはりドアが上に持ちあがり、開いた。女が振り向く。
「ご機嫌よう。少し待ってて頂戴ね」
ドアが閉まる。女が消えた。後には僕と、日諸さんと、「日諸さん」。
「無駄かもしれないが……」
日諸さんが手刀を構えた。「カムイ」の刃を出しているのだとすぐに分かった。
「下がってろ」
日諸さんが「カムイ」の刃を透明の壁に叩きつける。熱い鉄板に水滴を垂らしたような音が何度か。しかし壁に傷はなかった。
「あのパネルを操作する以外に出る方法はないらしいな……」
透明な壁の向こうを示す。
「誰かに開けてもらわないといけない。でもこの壁の向こうには……」
「あれ、コピーされた『日諸さん』ですか?」
僕の問いに日諸さんは頷く。
「おそらく。『模倣型エディター』の一種だろうな。いやに精巧で、俺とほとんど見分けはつかないが……」
言う通りだった。ほとんど、いや完全に鏡映し。表情に変化がないことを除けば日諸さんそのままだ。
「俺のコピーってことはおそらく『カムイ』が使えるな……」
厄介だ、と日諸さんは拳を握る。
「壁を越えても、あるいは壁の向こうに誰かが来ても、『カムイ』を行使できる俺のコピーと戦わないといけない」
「でも現実的な問題として、僕たちがここから出るには外から誰かの操作を待たないといけないんですから……」
「そうだ」日諸さんの表情に緊張が走る。
「だから俺より強い作家にこの部屋に来てもらう必要がある。ビッグスリーなら対処できるかもしれないが、それ以外の作家が来たら、もしかしたら……」
考えたくもなかった。
「日諸さん」が日諸さんの仲間を殺す。最悪だ。ここに来て女のオーラの正体が分かった。こういう嫌なことを平気でしてきそうな雰囲気なのだ。そして現に、している。
「『リザ』……」
日諸さんがつぶやく。
「『カムイ』に乗せて言葉を発信する。誰か拾ってくれればいいんだが……」
念じるように目を閉じた日諸さん。だがそれも束の間で、すぐに目を開く。
「駄目だ。この透明の壁のせいでうまく外部に繋がれない」
「じゃ、じゃあやっぱり誰かが来るのを待つしか……」
でもその間にあの女が戻ってきたら……。
そんなことを考えていた時だった。
僕たちの正面にあるドアが持ち上がり、開いた。
中から出てくる。
おっかなびっくりの、飯田さん……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます