復讐

「お、お前っ、何して……」

 諏訪井さんが飯田さんを助け起こす。だが朱ねこさんは涼しい顔をしている。

「乙女に恥をかかせた罰です」


「罰って、何も殺さなくても……」

 と、諏訪井さんが朱ねこさんを見上げた時だった。


 朱ねこさんの手に何かがあった。あれは、飴玉……? 朱ねこさんは表情もにこやかに、その飴をぱくっと食べた。それから一言。


「まっず。飯田さんのだからかな」


 今にも吐き出しそう。でも吐き出さないのには、何か理由が……。

 すると、朱ねこさんが座り込んだ。目を閉じている。眠ってる……? 


 異変はすぐに起きた。


「ぐっ……」

 少し離れた地点から、声。そして再び動き出す何か。即座に切り捨てられるロボットたち。もしかして、もしかして……! 


「『タケキ』。『ホトミ』」


 不可視の刃、不可視の盾。

 切り捨て、防ぎ、戦闘する作家。

 日諸さんが生き返ったのだ!


 それからすぐに朱ねこさんが目を覚ました。起き上がるなりぺっと飴玉を吐き出す。ティッシュに包んでポケットへ。もう食べる気はないらしい。


「な、何が……」

 全員何が起きたのか分からない。朱ねこさんの能力は戦闘向きではなかったのだろう。誰も戦闘場面での実践を見ていないようだ。すずめさんがすぐに説明を求める。


「朱ねこちゃん何したの?」

 すると彼女はにっこり答える。


「意識を過去に飛ばしました。過去に飛んだ私の意識は記憶を引き継いでいるので、これから何が起こるか分かります。だから過去の時点の日諸さんに『これから死ぬ』ということを伝えて、回避してもらいました。結果、『日諸さんが死ぬ』という未来を回避できました」


「そ、その飴玉は……?」

 のえるさんの問いにも答える朱ねこさん。

「意識を過去に飛ばすための飴玉です。『過去を変えたい』対象のことを『大切に思っている人』の存在を代償に作られます。今回の場合だと、『日諸さんの過去』を変えたいので、『日諸さんを大事に思っている飯田さん』の命を代償に作りました。だから殺しました」


 いやいや、「だから殺しました」ってそんな、ゴキブリか何かみたいに……。


 と、突然飯田さんが起き上がった。あまりに唐突な復活にその場にいた全員が妙な声を上げる。


「痛っ……! 何だこれ」


 両手で胸を押さえる飯田さん。しかし胸に刺さっていたミサイルの破片は……ない。


「『日諸さんが死んだ』過去を改変したので、『日諸さんが死んだことによって日諸さんを生き返らせるべく飯田さんを殺す』という未来も回避です。よって飯田さんは死んでません。ざ、ん、ね、ん、で、す、が!」


 虫けらでも見るような目で飯田さんを見下ろす朱ねこさん。

「この変態! 次セクハラしたらただじゃおかないから!」


「過去改変……! 便利な能力……!」


 すずめさんが複合型電磁銃マルチレールガンをショットガンモードに切り替える。


「日諸さんに加勢しよう! この場にいる『エディター』を殲滅する!」


 作戦は速やかに行われた。ビッグスリーの内の二名、及び複数の作家の協力があったからだろう。日諸さんと戦闘していた『エディター』たちは呆気なく壊滅した。場の制圧には十分もかからなかった。



「みんな助けて!」

 香澄るかさんから連絡が入ったのは、『エディター』群殲滅後すぐ。霧の中を援助が必要な作家を探して彷徨っている時だった。

「エディが……! エディが……!」


「エディがやられた? それはまずい!」

 すずめさんがホバリングしながら背後を見る。

「太朗くん! るかちゃんの場所は?」

「四時の方向! すず姉の速度なら直進すれば五分で着く!」

「先に行ってる! 後から来て!」


 スカイスーツで加速し一気に進んでいくすずめさん。僕たちも後を追う。

「あの状態になったエディがやられるってよっぽどじゃないですか……?」


 霧の中を進みながら。僕は飯田さんに訊く。


「しかも伊織姉様もいて、だからな。もしかしたらよほどの事態か……」

 彼はそれ以上何も言わなかった。どんな事態が想定されているのか、僕には全く分からなかったが、しかし僕が考えていたことは、「ペン」による治療は『エディター』にも適用できるのか、ということだった。


 霧の向こうへと進んでいく……。



 僕の描写した三重構造の「シェルター」がようやく見えてきたのは、絨毯で進むこと十分程度。まず目に入ってきたのは、瀕死のエディだった。


 巨大な体。


 ライオン、のような。

 象、のような。

 熊、のような。

 蜥蜴、のような。


 そんな大きな体をしたエディが、息も絶え絶えといった様子で横たわっている。傍には香澄るかさん。そして加藤伊織さん。


「本当に忙しいんだからさぁ!」

 メイスを担ぎながら周囲を見渡している。

「仲間割れとかやめてくれない?」


 仲間割れ……? 僕は首を傾げる。


 誰かが裏切ったのか? しかし敵は『エディター』だぞ? 自分の作品を陵辱するウィルスの側につく作家なんているはずが……そう思っていた時だった。


 風が吹いて、霧が一瞬だけ晴れた。その向こうに見えるすずめさんの背中。そしてそのさらに先に。


 ストロベリーブロンドの髪の毛。両手には短剣。見覚えがある。「King Arthur」の『円卓の騎士』の一人。MACKさんが操る少女人形だ。


「そいつは大切なものを穢した」

 MACKさんの声。霧の奥。本体は見当たらない。

「許されるべきではない」


 ぐぅ、とエディが呻く。るかさんが手を添える。

「エディ、エディ」

 残りのコアの数は? そう訊くるかさんにエディが答える。

「さ……さん……個」

 コアの数が減ると体力にも影響が出るのか。ってことはコアを描写すれば……? でもウィルスのコアってどう書けば……。


「MACKさん。あなたが何を思ってこんなことをしたのかは問わない」

 すずめさんがロングソードを構えながらつぶやく。

「でも今、エディは仲間なの。仲間は傷つけないで」


「そいつが先に仲間を傷つけた! そいつは『エディター』だ!」

 MACKさんの声。

「私がやっていることは正当な行為だ! 私の、作家の、大切な仲間と作品を傷つけたことへの、正当な仕返しであり、報復であり、復讐であり……」


「一度でも罪を犯した人が許されないのなら!」

 すずめさんがロングソードを放り捨てる。

「私も殺しなさい。私も『寄生』されて多くの作家を傷つけたから」


 少女人形はぴくりとも動かない。


「あなたも作家なら分かると思う。誰も傷つけない表現なんて存在しない」

 しかしこれにはすぐ、MACKさんが答える。

「だが控えることはできる」

「そうね。そして訂正することも、やり直すこともできる」


 すずめさんがメットを脱いで足下に置いた。


「エディは『訂正』して『やり直す』ことにしたの。るかちゃんに誓って、もう作家を傷つけないことにしたの。確かに許されないことをしたかもしれない。でも、挽回するチャンスは与えてあげるべき!」


 だがMACKさんは霧の彼方から叫んだ。

「そいつは私の大切な人も傷つけたんだ!」


「あなたも今、私の大切な人を傷つけてる!」

 叫んだのはるかさんだった。エディの腹に手を置き、目に涙を浮かべながら。


「でも私はあなたを傷つけない! 仕返しはしない! 傷ついた。嫌な思いをした。それを表明したら、謝ってくれた、やり直してくれた、埋め合わせてくれた。そこで議論は終わりだから! それ以上のことをしても意味がないから! だから私は、あなたがエディを傷つけたことを謝って、一緒に戦ってくれるなら、あなたのことを大切にするし、尊重する!」


 ストロベリーブロンドの人形は一歩も動かなかった。しかし明らかに、動揺している。


「もう一度言う。一度でも罪を犯した人が許せないなら私も殺しなさい」

 すずめさんの声。しかしそれに被せるようにるかさんが。

「これ以上このことについて取り合わないで。気が済まないかもしれないし、一方的に損をした気分になるかもしれないけど、その分はエディが、そしてもちろん私も埋め合わせるから。単純な復讐だけでよしとしないで。怒りで頭をいっぱいにしないで」


 数秒後。霧の向こうから。

 靴の音。そして少女人形の背後に一人の人影。金髪姿の……MACKさんだった。項垂れている。


「悪かった」

 開口一番は謝罪だった。少女人形ががたりと崩れ落ちる。

「憎しみに支配されていた。もっと良い未来について検討すべきだった」


「いいの、大切なものを傷つけられて怒る気持ちは分かるから」

 るかさんが涙を拭きながら応じた。

「辛かったよね」


 MACKさんが膝をつく。

「辛かった……毎日このことを……復讐だけを……考えていた……」

 るかさんが静かに返す。

「もう考えなくていい」

「悪かった」

「もう謝らなくていい」


 僕はるかさんの方に近寄った。

「あの、これ使えるかどうか分からないんですが」

 治療筆記をしたテキストファイルだった。るかさんに手渡す。

「エディに使ってあげてください。上手くいく保証はないんですが」

 するとるかさんは微笑む。

「ありがとう」


 すずめさんがロングソードとメットを拾った。その足取りで加藤さんの元に行く。


「敵は?」

 すぐに加藤さんが答えた。

「見える範囲ではいない」

「H.O.L.M.E.S.も検知していない」

 飯田さんがため息をついた。

「片付いたか? レーダーに引っかからないタイプの敵がいたら困るが……」


「ひとまず、すぐさまこちらに襲い掛かってくる敵はいません」

 佐倉さんだった。「イクシード」で未来予知をしてくれたのだろう。

「一旦この辺りは制圧した、という認識でいいのかも」


 と、佐倉さんが頭を撫でた時だった。


 唐突に頭上にあった『イビルスター』の基地から複数の光線が発射された。それはまるで爆発の前兆のようにも見えたが、しかし基地は破裂することなく、ただ光の筋をあちこちに飛ばしていた。


 のえるさんが叫ぶ。


「あの光線に包まれれば基地の中に入れるんだが……」

 実際、光線を浴びた様々ながらくたたちが『イビルスター』の方に吸い寄せられていた。しかしのえるさんが続けて叫ぶ。

「様子がおかしい! あんなにたくさんの光線が照射されるはずがない!」


 目をやると、何人かの作家も光線によって拉致されているようだった。飯田さんが叫ぶ。


「全作家! あの光線を浴びるな! 拉致される! 『イビルスター』内部に何があるか分からない以上、不本意に近づくのはきけ……」


 その時、一筋の光線が僕たちを包んだ。


 まずい、と思うのより先に体が浮いていた。飯田さんが咄嗟に僕の腕をつかむ。もう片方の……M.A.P.L.E.で強化されている方の……手で近くにあった瓦礫をつかんだが、しかし吸い寄せられる力があまりに大きい。


「わ、わ、わ!」

 加藤さんが声を上げて吸い寄せられている。すずめさんがスカイスーツで何とか加藤さんを引っ張ったが、しかし……吸引力が強すぎる! 


「任せろ! 【アンチテーゼ】!」

 大量の「陽キャのえる」と「陰キャのえる」。動いたのは「陽キャ」だった。

「『陽キャ』のいいところは行動力があってポジティブなところだ……!」

 のえるさんが叫ぶ。


「『陽キャのえる』たち! その作家たちを離すなよ!」

「ウェーイ! 任せろ!」

 テンションの高いウサギたちが、佐倉さんを、兎蛍さんを、るかさんを、MACKさんを押さえる。一人一人は微力でも、数がいれば……! 


「ダメだ! そっちに手が回らねぇ!」

「陽キャのえる」の内の一人が叫ぶ。「そっち」とは僕たちの側のようだ。


「ちょ、ちょっと、エディが!」

 るかさんの声でエディの方を振り向く。ぐったりとした獣が、ふわりと持ち上げられている。


 しかしそんなエディを繋ぎとめたのはあのMACKさんだった。少女人形とMACKさん自身の二人がかりで押さえ込んでいる。そしてそのMACKさんのことを「陽キャのえる」たちが押さえていた。


「飯田さん、伝えてくれ!」

 のえるさんの叫び声。

「拉致された人間は大人しく基地内で待機してくれ! ビッグスリーが迎えに行く……と!」


「全作家聞いたな?」

 飯田さんが僕の方を見る。

「ビッグスリーがいるなら安心だよな?」

 多分、このまま行こう、と言っているのだろう。

 僕は頷いた。飯田さんが笑った。

「じゃ、パーティタイムだ」


 飯田さんが瓦礫をつかんでいる手を離した。


 謎の光線に吸い上げられていく。


 ちらりと目を横にやる。のえるさんも、加藤さんも、すずめさんも、一緒に吸い上げられている。


 各地。多分他の作家たちも吸い上げられているだろう。光の中に人影が見える。飯田さんの通信が届いていればいいのだが。


 眩い光。

 温かい気持ちになって、意識が、徐々に、遠のいていく……。

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