魔王の救済

 南雲さんが大方やっつけても、残る敵は依然強大だった。小型、中型の敵はほとんど南雲さん対大型獣の戦闘で消し飛んでいたが、妙なタイプの敵が残っていた。代表例と言えば。


 千手観音。


 アルカイック・スマイルを浮かべ、無数の手を生やした仏像のようなモンスター。手には様々な武器。どれも黄金に輝いていた。腕の節々が複雑に動いて不可解なダンスのように見える。胴体も脚も細い。いったいあの体のどこにあの本数の腕を支える力があるのか。


 魔王マリーナ状態のメイルストロムさんが一歩前に出た。瞳は不穏な色に輝いている。


 仏像とメイルストロムさんの身長差はあまりない。強いて言うなら仏像の方が腕の本数分長く感じるが、頭からつま先までの長さだったらそう変わりはない。


 仏像は微笑んでいた。いつでもどうぞ。そう言っているようにも見えた。


 しかし先手は仏像が打った。


 手にしていた斧を投げつけてきた。回転しながら迫ってきたそれをメイルストロムさんは流れるような剣さばきで叩き落した。仏像もそれでメイルストロムさんの実力を知ることができたのだろう。再び睨み合いになった。


 次はメイルストロムさんが動いた。


 両手剣を一振り。片手での一振りだった。たったそれだけで。


 光の奔流。


 光線とも言える。熱波とも言える。刃に纏ったマグマを振り払ったのだとも言える。


 とにかく熱の塊が、仏像目掛けて飛んでいった。瞬きをした瞬間、無数にある仏像の腕の、左側半分にある腕全てが吹き飛んでいた。仏像の顔色が若干変化した……ように見えた。


「異なこと」


 仏像が、しゃべった。


「何ぞ? 何ぞこれ」


 と、仏像が地を蹴った。


 突進してきたのだと分かった。しかし僕の認知より早くメイルストロムさんが動いた。


 居合、とも取れた。


 剣を振り抜いたメイルストロムさんと、仏像がすれ違った。直後、仏像の腕が数百本、がらがらと音を立てて床に落ちた。今度こそ仏像が驚いた。


「こは……こは……」


「大したことはしておりません」

 メイルストロムさんが静かに告げる。

「あなたが弱すぎるのです」


「うぬ、うぬ」


 仏像が残り少ない手を掲げる。握られていたのは杓のような細い棒だった。あれで何をするのだろう、と思っていた時だった。


 細い光線が放たれた。地面を縫い付けながら真っ直ぐに飛んでいったその光線はメイルストロムさんをかすめた。あまり狙いは正確ではないらしい。


「それだけの腕があったのですから……」


 気づけば、メイルストロムさんが一瞬にして仏像の脇に立っていた。移動したのだ。瞬間的に。


「……数本失えば体のバランスも崩れましょう。多すぎる腕は厄介ですね」


 薄い鉄板を思いっきり叩いたような、大きな音。


 仏像の背中から剣の切っ先が生えていた。メイルストロムさんが一突きしたと察するのにそう時間はかからなかった。


「まず一匹」

 静かな調子のメイルストロムさん。続けて剣を平らに構える。


 一斉に襲い掛かってくる魔物たち。頭の形が歪な骸骨鬼、複数の脚で奇妙な歩き方をする毛玉、脚に棘の生えた巨大蛸、甲殻に身を包んだ一つ目の虫……いずれも何かしらの攻略方法を知っていないと倒せなさそうな敵だった。


 しかし。


「弱い」


 メイルストロムさんは両手を使った一閃でそれらの敵を葬った。剣で薙いだのではない。刃から放たれた強烈な熱波……いや、もういっそ光輪とでも言おう……が横一線に大量の敵を切り捨てたのである。攻略法、弱点、急所、そんなものは検討する価値がない、とでも言いたげに、瞬く間に。


 残った敵は二体だった。


 驚愕だった。先程倒した敵のたった一体でも、「ノラ」メンバーが知識を集めないと倒せなかったかもしれない敵だ。その数々を、南雲さんも、メイルストロムさんも、単騎で片している。僕は山羊男を見た。


 焦っているのが目に見えた。「ノラ」メンバーや『円卓の騎士』を含めた「King Arthur」の面々と戦わせていた分身を引き上げさせ、『円卓の間』の捜査にあてがう。時間がないことが分かったのだろう。あるいは自分の命に引き換えても、目的だけを達成しようとしていたのだろう。

 

 しかし僕たちにはその「目的」が分からなかった。ただ黙って、目の前の敵を片すことしかできなかった。


〈敵数の減少を確認。以降、特に戦術は必要ないかと思われます。『ノラ』メンバーは引き続き『暴走型エディター』分身の駆除に。残りのメンバーは撤退して次の戦闘の準備をしても問題ないかと〉


 飯田さんのM.A.P.L.E.がそう告げた。飯田さんが叫ぶ。

「『King Arthur』諸君! 後は大したことない! 一度こっちに来てくれ!」


 要請に応え、「King Arthur」の面々がこちらに戻ってくる。メイルストロムさんが対峙している二体の敵を見て、天さんがつぶやく。


「大丈夫? 龍人貸そうか?」


 と、天さんの隣に龍人が姿を現す。


「僕が力を貸そうか?」

 と言っているのは天さん。また誤爆している。いい加減にしてほしい。


 しかし先程のM.A.P.L.E.の報告は、一応メイルストロムさんにも、聞こえてはいたようだ。


「片付きはしたようですが……いかんせん時間がありませんね」


 メイルストロムさんがつぶやく。戦闘開始から早三分。五分弱しか能力を使えないメイルストロムさんからしたら能力限界を迎えつつある。なるべく早急に倒したい。残る敵は二体。


 幕画ふぃんさんが南雲さんを一瞥した。南雲さんは何も言わず戦場に背を向けて、僕の用意した酒を飲んでいる。それを見て察したのだろう。幕画ふぃんさんが指示を出した。


「メイルストロムに任せよう。実力の分からん新人だが、南雲が背を預けるということはそういうことだ」


「まぁ、何かあってから僕たちが手を貸しても問題はなさそうですしね」

 佐倉海斗さんがペタペタと頭を撫でる。

「いざという時のために、一応準備はしておきます」

 ナナシマイさんが杖を手にした。


 だがそんな心配が無意味だということは、すぐに分かった。


 メイルストロムさんが剣を放った。必要ない、とでも言うかのように。


 残す敵は二体だった。


 一体。

 漆黒の甲冑に身を包んだ戦士。鎧には棘があり、片手で持っている剣はほとんど大剣、左手に抱く盾も相当な分厚さがあった。鎧の隙も見当たらず、ハッキリ言ってどこから攻撃をしかけていいのか分からない。そんな敵だった。


 二体。

 雲の巨人だった。まるで嵐を人型に落とし込んだような。いや、人型をした嵐のような。とにかく、渦巻く雲で体が作られた巨人。目や鼻は見えないが、しかしこちらを睨んでいるらしいことは体勢からうかがえた。不定形だからだろうか。揺らいでいる。すぐには攻撃を仕掛けてきそうにない。


 動いたのは、メイルストロムさんだった。


 ほとんど床に体をこすりつけるような勢いでの突進。速すぎて足の動きが目で追えない。とにかく一瞬にして甲冑戦士との間合いを詰めたメイルストロムさんは、敵の目前で顔をほとんど地面につけると、その勢いで脚を振り出し、甲冑戦士の胴に叩きつけた。鞭のような、しかし刺すような一撃。明らかに金属が変形する音が聞こえた。と、次の瞬間には、大剣も、盾も、音を立てて床に落ちていた。遥か前方。甲冑戦士が壁に叩きつけられていた。僕は口を覆った。


「卍蹴りってやつかな」

 MACKさんが告げる。

「よく知らないけど、武道の技だよね」

「素手でもあんなに強いんですか」

 僕の言葉に、龍人さんが……今度はちゃんと交代できたのだろう……つぶやく。

「強い人は何持っていても強いんだよ。素手も立派な武器さ」


 追撃は速かった。


 メイルストロムさんの姿が消える。と、鋭い蹴りが甲冑戦士の胴に突き刺さっていた。砕ける音。鎧が音を立てて床に落ちた。


 しかし、ここで気づいた。僕もメイルストロムさんも。


 甲冑戦士、無抵抗だ。これは何かある。きっと……。


 メイルストロムさんは勢いをつけて飛び上がると、甲冑戦士と間合いを取った。

 敵の攻撃は次の瞬間に起こった。


 床に落ちたはずの大剣が襲い掛かってきたのである。剣そのものが宙に浮き、回転するような勢いで。


 剣の先、柄、鍔。

 それぞれからきらりと何かが伸びていた。糸だと気づくのに時間はかからなかった。


「その手のことでしたら」

 メイルストロムさんが微笑む。

「私もできますよ」


 と、メイルストロムさんの前に巨大な洋風人形ビスクドールが姿を現した。大盾タワーシールド斧槍ハルバード。そして防護兜フルフェイス・メット。加藤さんとの戦いで使っていた人形だ。いつの間にか、メイルストロムさんの髪の色が銀になっていた。伏せがちの目に、肩掛け。


「『ライブラ』――短片.アインザーム,アルメ.リブラ_6403_07_24.」


 番号が入っているから、それが短編のタイトルだと気づくのに少し時間がかかった。


 敵の糸で操られた甲冑、盾、大剣が、メイルストロムさんの人形に襲い掛かる。しかし勝負は一瞬だった。


 人形は横に一歩踏み込むことで大剣の攻撃を回避した。連なる鎧の脇腹に斧槍を一撃。引き抜いたかと思うと盾で張り倒し、今度は糸で操られた鎧の胴を盾ごと斧槍で貫いた。足元をすくうようにして蹴り上げ、甲冑の腕をつかむと一気呵成に床に叩きつけた。洋風人形ビスクドールによる、倒れた鎧への踏みつけ。甲冑は粉々になった。


九鬼神伝流クキシンデンリュウ鎧組打ヨロイクミウチ鬼砕オニクダキ


 どうやら技の名前らしかった。浅学な僕は何のことだか分からなかったが、名前の雰囲気から日本語らしいことは理解できた。ファンタジーには、珍しいのかもしれない。


 残すは嵐の巨人のみだった。メイルストロムさんの髪の色がまた変わった。魔王マリーナだ。もう言われなくても分かった。


「残り一分。畳みかけます」


 そう宣言。次には。


「──戒めを祓い我が血を捧げよう。──厄災を以て世界に終わりを与え救いをもたらせ。──炎剣・レーヴァ!」


 誓いの言葉のような呪文の後、メイルストロムさんが揺らぐ剣をいきなり取り出し、それを自身の腹部に突き立てた。即座に姿を現す劫火の巨人。『円卓の間』が一瞬で明るくなった。


 竜巻の巨人がゆっくり近づいてくる。しかしメイルストロムさんはその歩みを待たなかった。


 火炎の巨人の手には黒い大剣が握られていた。サイズ感はそれなりだが、巨人が握ると何だか小枝のように見える。メイルストロムさん……いや、劫火の巨人はそれをひと振りした。途端に周囲が灼熱に包まれた。火炎、火炎、火炎。


 嵐の巨人は、やはり嵐の巨人なのだろう。


 火炎の熱気を受けて竜巻が激しくなった。メイルストロムさんの攻撃は完全に逆効果だ。しかし僕の考えは安直だった。


 熱せられた床のそこかしこで竜巻が起こった。温められた空気が巻き上がることで竜巻が起こっているようである。それも複数。攻撃は……いや、自然の摂理は……次の瞬間起きた。


 複数の竜巻が雲の巨人に絡みついたのである。


『円卓の間』全体を強大な風が襲った。思わず僕は両手で顔を守る。でも戦局は腕の隙間から覗いていた。


 風と風が風を打ち消し合う。


 空気の回転同士がぶつかり、勢いを削いでいく。

 それはメイルストロムさんが熱によって発生させた竜巻も同様だったが、しかしメイルストロムさんはダメージのフィードバックがないのに対し、竜巻の巨人は文字通り我が身を削られていた。巨人が叫ぶ。


 するとそれを押さえ込むように、劫火の巨人が吠え返した。まるでこの世の終わりのような絶叫だった。


 風が弱くなっていく。僕はようやく腕を下ろした。そしてその先。


 つむじ風程度の勢いになった雲の巨人……いや、もう巨人ではなくなった……がかすんで消えていくところが見えた。メイルストロムさんが炎剣をひと払いした。途端に劫火の巨人が姿を消した。同じく敵の竜巻巨人も姿を消した。短い最後だった。


「時間切れ……ですね」


 最後に。

 僕たちの前に立っていたのは修道女。


「King Arthur」新入りにして、「King Arthur」最強の南雲さんが背を預けた唯一の存在。


 まるでバレエダンスのように、小さな足取りで近づいてくる。


 血まみれの修道女、メイルストロムさんがそこにいた。

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