強者の屠り

 覚えてる。覚えているさ。

 あの時何が起きたか。今でも鮮明に覚えている。



 一瞬だった。地面を蹴ったらしいことは床が弾けたから分かったけど、音は少し遅れて聞こえてきた。それくらい一瞬の出来事だったんだ。


 まず地属性のドラゴン。あいつの頭が吹き飛んだ。

 強硬なボディ、腕、脚は一切無視して、ひょろりと伸びた蛇みたいな頭を根こそぎ吹っ飛ばした。何が起きたか最初は分からなかった。だって、急に南雲さんが姿を消したと思ったらそれなんだもん。手刀を振ったらしいことは、彼がハッキリと姿を見せた時になってようやく気付いた。だって手が、伸びていたからね。


 その後? 記述するのさえ躊躇われる。書くのが面倒なんじゃない。書いていいのか……でも、書くよ。


 続けざまの拳一撃で近くにいた獣五体が吹き飛んだ。決して軽量な……チーターみたいな……獣じゃない。それ一匹がバイソン五匹分くらいな、いや、下手したら象が数匹まとまったような大きさの獣が、五、六体、軽々と吹き飛んだ。飛ばされた獣は『円卓の間』の壁に叩きつけられて動かなくなった。タフそうな生き物だったのに。


 虎と爬虫類を合わせたような獣が南雲さんに襲い掛かった。甲冑虎。鋭い牙で、噛みつこうとした。でも意味がなかった。南雲さんは両手で甲冑虎の顎をつかむと、まるで紙でも破くみたいに真っ二つにした。細長い肉塊と化した虎を易々と地面に放り捨てたよ。あの音は忘れられない。


 でもまだあれは、彼の本気じゃなかったんだ。


 続けざまに出てきたのは神様みたいな魔物だった。女性の半身に馬の半身。背中には翼。手には短い杖。輝く目。神様の化身みたいな魔物だった。


 先に仕掛けたのは魔物だった。


 目から放たれる光線。『円卓の間』の床を焼いた。やがてビームは南雲さんに襲い掛かった。でも、彼は。


 涼しい顔だった。雨粒を顔に浴びた程度の表情もしなかった。光線は確かに南雲さんを焼いたはずだし、ダメージを与えるには十分な火力があったはずなのに、彼は笑っていた。鼻で。せせら笑うかのように。


 弾ける音がしたのはその次のことだった。


 その頃になってようやく思い出したんだよ。あれはおそらく、電流が流れる……抵抗の大きい空気を介してでも流れる強度の電流……音だって。彼の脚からその音がしたかと思うと、次の瞬間には魔物の羽がちぎれていた。魔物も何が起こったか分からないような顔をして落ちていった。


 それからのことは、特に書く必要はないよ。神の化身は地面に落ちる前に塵になっていたから。正確にはミンチにされた、かな。


 神様のような魔物を仕留めた後、彼は巨大蜘蛛と対峙した。ぎょっとするくらい大きかったよ。胴体だけで教室ひとつ分くらいある。脚も入れたらとんでもない。


 蜘蛛は素早い動きで南雲さんに飛び掛かったけど、顎へのアッパー一撃で動きを止めた。そしてだらしなく開いた口から毒牙を引き抜かれた。後は簡単だ。それを背中に突き立てられた。何度も、何度もね。哀れにも、蜘蛛は自身の毒で動けなくなったわけだ。それ以上やる意味があったのかは分からないけど、南雲さんは横蹴りの一閃で蜘蛛を払いのけた。あいつが壁に叩きつけられたのは想像に難くない。


 闇の魔導士みたいなのが現れた。ローブに身を包んで、フードを目深にかぶった影のような存在。物理攻撃が効かなさそうだったから、南雲さんももしかして……と思ったけど杞憂だったね。瞬きした次の瞬間には、ローブは南雲さんの手の中で力なくぶら下がっていた。何をしたかは分からない。推測するに、頭を握りつぶした。ローブの端から闇魔術の名残のようなものが漏れていたけど、そんなのが意味をなさないことくらい小説を書いたことがない僕でも分かった。


 大量の小人が姿を現した。軍隊だ。しかし小人はよくよく見ていると見た目が醜悪で、ほとんど小鬼と言ってもよかった。その軍隊が南雲さんを襲った。彼らの手には弩があった。一斉射撃だ。しかし南雲さんは一列に並んだその射撃を易々と躱して、端一列の矢をつかんで……発射された矢を掴んだんだよ……そのまま投げ返した。ダーツみたいに。その矢は小鬼の大将みたいな奴の額に深く刺さって、そのまま動けなくなった。死んだんだ。


 後は一方試合だったよ。

 統率の取れなくなった小鬼たちは散り散り。南雲さんはそいつらを一匹一匹捕まえて、虱でも潰すかのように頭を潰して回った。あの音。ぷちぷち潰しみたいだった。


 ドラゴンが現れた。『参照型エディター』が小説から引っ張り出したものなんてかわいく思えるくらいのドラゴンだった。さすがギルド長の描いたドラゴン。形容し難いよ。棘のような鱗、刀のように鋭い爪。三つ首。長い尻尾。体が黄金に輝いている。口から吐かれるブレスにはどうやら属性があるみたいで、炎、氷、雷、そんなものが見えた。さすがにこれには南雲さんも……なんていうのは、本当に馬鹿げた発想だった。


 初手でドラゴンの胴に雷のような鋭い蹴りが入った。実際雷だったと思う。南雲さんの手足には雷が纏っていたんだ。そうじゃないと説明がつかない現象のように思えた。ひと蹴りでドラゴンは遥か後方に弾き飛ばされた。でもさすがに、その一撃では死ななかった。死んだ方が、楽だったのにな。


 ドラゴンのブレス攻撃。


 炎、氷、雷、それぞれを吐いてきた。順番としては雷が最速で、炎が次、氷が最後、っていう速さかな。でもね、意味がないんだよ。


 だって雷を纏っているんだよ、南雲さんは。第一撃の雷ブレスが蝿でも払うかのように弾かれた。続く炎と氷は……炎は南雲さんの深呼吸で吹き飛んだ。正確には、それこそ呼吸ブレスかもしれない。とにかく南雲さんが空気を吐いたらその空気の形に炎が裂けた。氷? 意味ないよ。炎を弾くほどの呼吸だよ? 南雲さんに届くころには扇風機の弱風程度になっていただろうね。そういうわけで、ドラゴンの攻撃は完全に無に帰された。


 しかし竜はひるまなかった。


 鋭い爪と尻尾による攻撃で南雲さんに襲い掛かった。


 まず爪。これは南雲さんの衣服を割いた。覗く肌からは傷が見えたけど、南雲さんは意に介さないようだった。そのまま嵐のような爪の斬撃が降ってきた。南雲さんの服はどんどん切り裂かれて……上半身はほとんど裸になったけど、おかげで恐ろしいものが見えた。


 筋肉。

 傷。

 腱。

 骨。


 それらが浮かび上がって複雑な模様を描いた……と思ったらすぐ、それは鬼の面相になった。鬼って言ったら鬼だよ。この世で一番恐ろしい存在。その面様を、背中で描いたんだ、彼は。


 で、次の瞬間、だよ。


 ドラゴンの手がなくなっていた。ドラゴン自身もそのことに気づくのに五秒くらいかかったみたいで、ない腕を必死に何往復か振っていた。やがて南雲さんの体に傷がつかないことを見てようやく腕が捥げていたことに気づいた。南雲さんが一閃しただけで両手がなくなったんだ。


 でもドラゴンはやっぱり、ドラゴンだね。


 そのまま怯むことなく鞭のようにしなる尻尾を一振り。回転しながら放たれた一撃は嵐の横なぎのような勢いで南雲さんを襲った。さすがにダメージはあったのかもね。南雲さんはぐっと両手を高く構えて……ボクシングのピーカーブーみたいな感じで……その攻撃を耐えた。ドラゴンは調子に乗って何度も尻尾を叩きつけた。南雲さんはその連打を耐えた。


 ちょっとおかしいことを言っているとは思うよ? さすがに頭がおかしいかもしれない。


 でも南雲さんは楽しんでいるように思えた。背中の鬼が語っていたんだよ。もっとやれ、もっと、もっと、って……。


 ドラゴンの姿が消えたのは次の瞬間だった。


 南雲さんが尻尾をつかんで振り回したのに気づいたのは少しした後だった。ドラゴンが天井に叩きつけられた。しかしドラゴンもタフだった。落下の勢いを乗せてさっきのブレスで南雲さんを攻撃しようとした。でも南雲さんの方が上手だった。


 両手両足に雷属性を纏って。


 地を蹴ったと思ったらもうドラゴンの前にいた。振るわれる手刀。今度こそ、落雷の音がした。それも近くに落ちたような……というより自分がいる建物に雷が直撃したような……豪快な破裂音を立ててドラゴンの三つ首が弾け飛んだ。それからのことはもう語る必要はないよね? 


 醜悪なゾンビ系スライム。これも肉弾戦が通じなさそう、なんてことは考える価値のないことだった。


 ひと吹き。


 本当にただの深呼吸だった。それだけでヘドロスライムは跡形もなく吹き飛んだ。もう考慮の必要なし。


 蜘蛛のように歩く火炎球。これはかなりの大きさだったし、熱もあったし大変だったと思う……え? 他人事だって? そりゃさ、僕たちが相手をすれば大変だったろうよ。でも、南雲さんだ。


 飛び上がったと思ったら前宙していた。そのまま振り下ろす踵落としで見事に火炎球の脳天を貫いた。それだけ。たったそれだけで、火炎球は爆発四散した。火傷? その程度で怯むわけないでしょ。


 身の丈十メートルはあるような巨大なゴリラが現れた。腕は四本。しっかり地を踏む足も掌みたいに握ることができるみたいだったから、正味六本の手足を持つゴリラが目の前に出てきた。


 ゴリラは怒涛のラッシュを叩きこんできた。四本ある腕を一斉に叩きつける……。まさに、ラッシュという言葉がふさわしい猛攻撃だった。けれど南雲さんには意味を為さなかった……。


 それは美しかった。まるで数式のように。美術品のように。舞踊のように。


 手をパタパタ折るんだ。扇ぐような感じで。掌が上下する。ほとんど異国のダンスのようにさえ見えた。いや、パラパラのようにも見えた。でもよく見ていて気付いた。ゴリラの拳を、突きだされる一撃を、全てその岩石のような肘で受け止めていたんだ。雨霰と降り注ぐ拳の全てを二つの肘で受け止め、拳を破壊していた。ゴリラがひとしきり殴り終わった頃には、奴の手は完全に使い物にならなくなっていた。遠目に見てハッキリ分かるくらい、ゴリラの手はぐちゃぐちゃになっていた。指も手首も折れている。不自然な方向に曲がっているんだ。


 もうやることはない。


 にい、と悪ガキのように笑ったまま、南雲さんは拳をゴリラの顔面に叩きつけた。ほとんど隕石のようなパンチだった。ゴリラの顔が変形する様子も、音も、全て感じ取れた。


 それからゴリラは後方に飛んだ。多くの魔物がその巨躯の突進に巻き込まれたよ。


 ほぼ、半壊。


 これまで何秒かかったと思う? 多分一分もかかっていない。正味五十秒程度で大方ケリがついていたんだ。


 怖かったよ。本当に。


『トラックの間』で僕たちはこんな「バケモノ」を相手にしていたんだと思うとね。

 全員よく無事だったと思う。もしかしたら、『暴走型エディター』のせいで正しく能力を使えなかったことも大きいかもしれない。でも、でも……。


「嬢」


 南雲さんがゆっくりと帰ってきた。メイルストロムさんに告げる。


「後はくれてやる」


 どっかりと、その場に南雲さんが座り込んだ。胡坐だ。その姿はまるで……武骨な仏像のようにさえ見えた。飯田さんが、思い出したように近づいてきた。


「酒、出してやれよ」

「酒ですか?」

「純アルコールでも飲み干せそうな顔しているぞあいつ。試しにアルコール度数九十九・九%で出してみろ」


 言われた通り筆記する。数値化されているものは見たり触れたりした経験がなくても書けるから助かる。


「どうぞ」


 用意された酒……一升瓶ひとつ分……を恐る恐る、南雲さんの元に持っていくと、彼は一息でそれを飲み干し、そして唸った。


「うめえ酒だ」


 やるな坊主。


 そう言われた。脚ががくがく震えていた。

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