赤毛のプレイアデス
巨躯の狼が燃え尽きた頃。
頭上では、栗栖さんが戦っていた。
キツツキの大群はもはや空を覆うほどになっていた。栗栖さんが魔法で応じているが勢いは変わらない。疲れてきているのだろう。栗栖さんの魔法陣を展開する速度が落ちてきている気がする。
「助けなきゃ……」
と、動きかけた僕を無頼チャイさんが止める。
「大丈夫です。彼女がいます」
彼女。どうやらナナシマイさんのことを示しているようだった。
「存じ上げておりますかな? 幕画ふぃんさんのお気に入りでしてね、彼女」
その話は聞いた。『祈りの間』で幕画ふぃんさんが嬉しそうにしていたのを思い出す。幕画ふぃんさんも圧倒的な強さだ。そんな人が信頼を寄せている人物、ということは……。
キツツキの大群に対処する栗栖さんの下で、ナナシマイさんが杖を片手に考え事でもするかのように俯いていた。縦横無尽に動き回る栗栖さんと対照的な静の姿に、僕は思わず声をかけそうになる。
しかし。
すっとナナシマイさんが上を向いた。力強く、何かを決意したかのように。
次の瞬間、彼女の髪の毛が、真っ赤に染まった。銀のティアラも心なしか赤く染まった気がする。まるで炎のようだ。夕焼けのようだ。
「『リル』」
彼女はそう告げた。手にしていた魔法の杖を掲げる。宙に綺麗な魔法陣が展開された。作品が違うからだろう。栗栖さんの魔法陣とはまた別の、どこか数式のような魔法陣。
まず、空中を移動していた栗栖さんの姿が消えた。慌てて僕が彼女の姿を探していると、ナナシマイさんから少し離れた地点に彼女が立ち尽くしているのが見えた。栗栖さんにとっても意図しない瞬間移動だったのだろう。驚いた様子で辺りを見渡している。しかしそんな栗栖さんには構わずに。
ナナシマイさんが再び杖を振るう。円を描くように。渦を描くように。すると上空のキツツキ群に変化が表れた。
見えない壁にぶつかったようにバラバラと体勢を崩し始めたのである。もちろん、これまで栗栖さんに襲い掛かっていたように障害物に当たれば方向を変えて再度突撃……という流れを繰り返しては来たのだが、どうにも様子がおかしい。
落下したキツツキがまた何かにぶつかるのだ。不可視の床……というわけでもないらしい。落ちていったキツツキたちの状態から形を推測するに……見えない球体?
「さっきは、魔法を使う前にでかい狼に襲われちゃったから『フレッド』で応じたけれど……」ナナシマイさんのつぶやき。
「フレッド」とは? と僕が無頼チャイさんに訊ねると彼は「少年剣士です。凄腕の」と返してきた。どうやらナナシマイさんは剣も扱うことができるアカウントらしい。栗栖さんと似ている。
彼女が銀のティアラを少し直した。耳飾りがゆらりと……深い青の宝石がはまった耳飾りだった……揺れる。
「これで、十分かな」
ナナシマイさんの小さな声。彼女の頭上、三メートルくらいのところには。
キツツキボール。そう形容するしかないものが出来ていた。
鳥たちは壁にぶつかると方今転換をする。球体の障害物なので、ほぼ無限に方向転換を続ける。結果、同じ場所をぐるぐる回るだけの群体になり、まるでアント・ミルのように永遠に回り続けるようになってしまった。ナナシマイさんが頷く。
「このまま、小さくする」
杖をひと振り。途端に、球体が徐々に縮まる。人間三人でようやく抱えられるくらいの大きさになったところで、ナナシマイさんが再び杖を振るった。
「ごめんね。でもこれが一番、苦痛がないから」
火炎。
見えない球体の中で炎が巻き起こった。ほとんど爆発、といっていいかもしれない。灼熱の炎が球体の中を焼き尽くした。当然、中にいたキツツキたちも燃え尽きる。
ナナシマイさんが顔を歪める。
「『気』を感じておられるのです」
無頼チャイさんが僕たちに解説を入れてくれる。
「生き物に宿るエネルギーのようなものです。例え『エディター』が小説から引っ張り出したものとはいえ、いや、むしろ命の込められた作品である小説から引っ張り出された存在だからこそ、『気』も大きいのでしょう。彼女はその奔流に耐えている」
「耐える?」
僕が訊ねると無頼チャイさんがシルクハットを掲げた。
「『君と旅をするために』。ナナシマイさんの作品です。主人公のリルは忌み子。普通の人では扱えぬほどの魔力を持つことで嫌われている存在です。そして膨大な魔力を使役できる反面、魔力にも敏感で……」
なるほど。「気」が魔力みたいな扱いをされているのか。キツツキの大群から溢れ出した「気」の流れを感じ取って耐えている。いや、もしかしたらそれをエネルギーにしている。そんな気さえする。
と、キツツキの大群が消え去ったことに安堵していた時だった。
鈍い音が頭上から降ってきた。影。ナナシマイさんを覆う。巨神が剣を振るったのだと気づいた頃には遅かった。ナナシマイさんに巨大な剣が振り下ろされる……。
「『フレッド』」
ナナシマイさんの声が聞こえた気がした。
気づけば彼女は杖を剣に持ち替えて、振り下ろされた巨大な剣から少し離れた場所に着地していた。軽やかな動き。華麗なアクロバット。すらりと伸びた剣を構える。だが、すぐに気を取り直したように。
「この剣じゃ無理だね。こっちを使おう」
剣を放り投げ、腰に手をやる。それから取り出したのは……ナイフ?
「あんな小さいので大きな剣に……」
と言いかけた僕に、無頼チャイさんが笑いかける。
「ただのナイフではありません。魔力金属。魔力であり金属である特別な物質でできたナイフです。あれを使えば、もしかしたら……」
と、話している内に。
ナナシマイさんが突進した。ドレス姿のどこにそんな脚力があったんだ、というくらいの速度。頭上のティアラが危なっかしく揺れる。しかし、振り下ろされた巨大な剣の腹に、大きな凹みが出来た。その中央には。
ナナシマイさん。どうやらあのナイフを……魔力金属でできているというあのナイフを……突き立てたらしい。
小さいのにすごい威力だ……。呆然としていると無頼チャイさんが注釈を入れてくれた。
「聖剣なんかになる素材ですからね、魔力金属というのは。それなりに威力のある武器です」
さて! と、無頼チャイさんが大きな声を上げる。シルクハットをかぶり直し、右手をさっと掲げる。
「あの剣を壊しましょうかね。ナナシマイさん!」
その言葉を合図にしたかのように、燃える赤髪のナナシマイさんが、素早い移動で身を引く。そしてそこに叩き付けるかのように。
「『ジャック』……ヒィーホォー!」
放たれる火炎球。そして、着弾。爆発。
火薬の炸裂のようだった。
空気の振動がこちらまで伝わってくる。思わず僕は顔を覆った。そして、腕の隙間から見えたものは。
真っ二つに折れた巨剣……。
巨神の振るった剣が折られていたのだ。
頭上から唸り声。思わぬ反撃に驚いたのだろう。巨神マールスがつぶやく。
「よきかな」
戦いの神、だけはある。
強敵を前に昂っているのだろう。彫刻のような顔に怒気を感じた。
いよいよここから……と僕を含む他のメンバーが覚悟を決めた瞬間、空中が割けて中から人影が出てきた。唐突の登場にその場にいた全員が驚く。裂け目からは、怒声。
「轟ッ!」
聞き覚えがある。
しかし今は、そんなことよりも、裂け目から落ちてきたアカウントの方が大事だった。芝生の上に倒れていたのは……。
道裏さんと……國さん。
「やばい! やばい!」
國さんが叫びながら身を起こす。
「早く閉じて! 出てきたらヤバ……」
「あ、アヅキ……」
顔面蒼白の道裏さん。何とか異空間への入り口を閉じる。僕と結月さんが駆け寄って訊ねる。
「何があったの?」
僕は「ペン」を取り出すと道裏さんの頭を抱きかかえる。
「大丈夫ですか。すぐに治します」
血色の良くなる描写。その間に結月さんが國さんから話を聞く。
「な、南雲さんが……」震える國さん。
「南雲さん?」
ぴりり、と緊張が走る。あの威圧感、あの圧倒感。『トラックの間』の無限ループで出会ったあの強大な存在を、僕たちが忘れるわけがない。
「異空間に逃げたらあの南雲さんが襲い掛かってきて……」
そうか。南雲さんは道裏さんの異空間の中に入れたままだ。当然そこに逃げ込めば……。
南雲さんは一旦動きを封じただけだ。〈
異空間の中を必死に逃げ回っていたのだろう。國さんは息が上がっている。そして南雲さんという大きなアカウントひとつと、自身を含め二人の人間を出し入れした道裏さんは血が足りなくなってふらふらになっている。
治療筆記を終え、道裏さんを支えながら起こすと、いつの間にか集まっていた突撃メンバーと無頼チャイさん、ナナシマイさんが頭上を見上げていた。南雲さんは一旦、道裏さんの異空間にいるからいい。問題は、もう一つ。
「せっかく戻ってきたところ恐縮ですが」と無頼チャイさんが断りを入れる。
「あの神を倒すには、やはり……」
ナナシマイさんがそれに続く。
「あなたの出番かもね、國ちゃん」
びくり、と國さんが反応する。一難去ってまた一難。そういう思いもあったのだろう。だが期待されている以上は応えなければ。そんな思いもあったらしい。國さんはおそるおそる、といった低い目線で訊ねる。
「い、いいんですか? 私能力行使の時間短いですけど……」
するとナナシマイさんが穏やかに微笑む。
「大丈夫。どうにもできなくなったら私たちが何とかする」
「そうです」無頼チャイさんがジャケットを羽織り直す。
「なので全力投球してください。あれだけの『エディター』を討伐すれば、PVや『☆』も増えて戦闘力が上がるかもしれませんし」
「わ、分かりました……」
よたよた、と頼りなげに。
数歩前に出る國さん。ボブカット。プリーツスカート。水色のパーカー。本当に、僕の通っている学校にでもいそうな女の子の彼女が、巨神を前に立ち尽くした。
そして一言。おそらくだが、作品タイトル。
「『日本にダンジョンができたのを、俺以外誰も知らない件』」
大人しそうな女の子の使った「俺」という言葉に、僕の中の何かが疼いた。
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