過労死
目が、覚めたら。
雑然と並んだ書類。光るディスプレイ。栄養ドリンクの空き瓶。かわいいのか気持ち悪いのか分からない謎のマスコット。
椅子に座っていた。粗末な椅子。背もたれはあるし、深く座れはするのだけど、固い。使いにくい椅子。
何だ……? どこだ……?
しかし、認識するより先に。
体が重い? 頭も……まるで泥が詰まってるみたいだ。血の代わりにコールタールでも流れているような気分。背中や肩が痛い。筋肉が岩のようだ。目がかすむ。腰から下が固まっているかのような気分。こんな状態なのに……心臓はものすごく不安定に動いている。
視界の端に何かが見える。咄嗟に頭を上げて、自分が俯いていたことを知る。見えたもの、よく分からないが、顔をしかめた人間。
「ちょっと」
声をかけられる。反応しようとするが、頭が動かない。脳みその歯車が回らない感じ。何とか声を振り絞る。「は……」。はい、と言い終わる前に。
小言を言われる。認識できるのは、「相手が怒っている」「謝らなければいけない」の二点のみ。平身低頭。許してもらうまで「申し訳ありません」を言い続ける。無限に続く申し訳ありません。申し訳ありません申し訳ありません申し訳ありません申し訳ありませんもうしわけありませんもうしわけありませもうしわけありもうしわけあもうしわ。
小言が去る。台風でも通り過ぎたような気分。心臓はさっきと違って静かにしている。止まったか? ついに止まったか? 不思議な解放感。やっと楽に、ついに楽になれる?
と、ここまで考えてようやく正常な思考が戻ってきた。さっきまでの僕。南雲さんと戦っていた時の僕。
ようやく、考える。
どこだ、ここは……?
何やら周りの人が離席し始めたので、僕も離席する。ふらふらと、目的もなく歩く。
何となく、階段が見えたので、上る。ずっと上る。上れば楽になれる気がしてくる。ひたすら上る。終わりまで上る。このまま天国に行くつもりで上る。とにかく上る。のぼ……。
屋上。
誰もいない。
フェンスもない。
そんなに高い建物ではないようだ。
でも、十分だろう。
ふらふらと、歩いていく。
屋上の縁。一歩出れば落ちることができる場所。
下を見る。
別に、そんな気などなかったのに。
すっと、頭を差し出す。
頭は重い。
体は引っ張られる。
不思議な快感。
楽になれる。楽になれる。
手を離す。
重力。心地いい。
このまま引っ張られていきたい。
解放されたい。
これで終わりだ。
しかし、あと一歩というところで。
「物書きくん!」
服の背中を引っ張られる。
その時になって初めて気づく。
僕、ネクタイしてたんだ。
ぶらりと宙に揺れるそれが何だか哀れだった。
死にぞこない。
屑。ゴミ。
死ねばよかったのに。
そんな声が聞こえてくる気がする。
しかし。
「死んだら駄目だ! 延々ループする!」
背後から声。すごく懐かしい、まるで幼稚園の頃の記憶が掘り起こされたような気持ちになって、僕は振り返る。
そこには。
獣耳。OL風の制服にその耳はひどくアンバランスで何だか笑えた。
多分、笑っていたのだと思う。
あはは、という声が聞こえた。それが自分のものだと気づくのに数秒。
次に。
手の甲が濡れる。あれ、と思った時には、止まらなかった。
鼻水。嗚咽。痙攣。
泣いていた。そっと背中に手が差し伸べられる。
「辛かったね。辛かった」
僕に声をかけてくれた女性。
結月花さんがそこにはいた。
「過労死する世界線なんだよ」
屋上。壁から出ている妙な出っ張りに腰かけながら、結月さんがつぶやいた。
「私も気づいた時は首が回らないくらい忙しい状況だった。おかしい、って思って適当に言い訳して抜け出したら、君が……」
「過労死、したら……」
「異世界転生の条件だとみなされてループする」
ちらりと結月さんの顔を見る。
やつれた顔。化粧をしているのだろうが……ところどころファンデーションが剥げている。唇の色艶も悪い。髪も……銀髪だったが……傷んでいる。
「他の仲間もいる。少なくとも私はあなたの他にもう一人見つけた」
誰だろう。
即座に思考が走る。
すずめさん? 飯田さん? 栗栖さん? メロウ+さん? 赤坂さん? いや、「King Arthur」の人たち? 幕画ふぃんさん? Ai_neさん? 道裏さん? もしかしてさっき異空間に放り込んだ南雲さん?
色々な可能性を考える。が、どの可能性もありそうで困る。
元より、それほど頭が働かない。
検討するより先に、声が出た。
「だ、誰……」
そう言いかけた僕に、声をかけてくる人物が一人。
「やあ」
見覚えのない、女の子。だが声に聞き覚えはある。
よく見てみると、表情が凍っている。
まるで、ロボットか何かのような……?
藤色、というのか、ピンク、というのか、そんな色の髪の毛が結ばれて猫の尻尾のように伸びている。瞳の色。トパーズ色、というのだろうか。金色、とも言えるかもしれない。鋭いけど丸みのある目。不思議な目で、思わず見入った。しかし彼女の顔は変化しない。
気のせいだろうか? 僕や結月さんよりも肌艶がいい気がする。少なくとも分かるのは「疲れていない」。疲弊していないのだ。
「こ、この人は……」
そう言いかけた僕の耳に、飛び込んでくる結月さんの声。
「『マリオネットインテグレーター』の作者……MACKさん」
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