逆罪、及び知的な女性たち。

救命措置

「MACKさん……? でもこれは……?」

 僕が訊ねると、結月さんは……やつれているのも、妙に色っぽかったが……答える。

「MACKさんの作品にはピアっていう、魔法で人形を使役するキャラクターがいるの」

「じゃ、じゃあつまり、これは人形?」

「そう」無表情な女の子が答える。この子もOL風の格好をしている。タイトスカートをすっと撫でて、一言。「かわいいかな?」

「疲れ知らずですか?」

 僕が問うと、人形が答える。

「魔力を使う。でも逆に、魔力を蓄えておくこともできる」

 べ、便利……。僕が驚いていると、結月さんが笑った。

「この世界線でも疲弊しないから、環境適合かもね」


「本体は?」

 僕が問うと、人形が答えた。

「過労死した。私がこの世界線に囚われている理由がそれ」

「働き過ぎで?」

「うん」人形は頷く。表情は変えられなくても、その手の動作はできるようだ。

「最初は仕事をとにかくこなせばいいんだと思って魔力を使って魔法で何とかしてみた。でもこの世界線、無限に仕事が湧いてくるらしい。気づいた時には手遅れだった。魔力を使い果たし、私の体は再起不能になった。体はとある場所に倒してある」


「人形に魔力を蓄えておいたんですか?」

 僕の問いにMACKさんは……正確には人形は……頷く。

「人形も駆使して仕事をこなしていたからね。郵便物の投函とか外出系の仕事を人形でやっつけながらデスクワークを……何か気分悪くなってきたな」

「処理できるだけすごいよ……」

 結月さんがため息。

「私なんておっさんからのセクハラ地獄よ。もはや人権侵害。あれどう処理すればいいの」

「そういうわけで、私は本体が治療されるまでこの人形でしか行動できない」

 MACKさんの言葉に僕は「ペン」を取り出す。

「治療します。本体はどこに……」

 と、人形が手を上げる。

「私は一旦後回しでいい。君たちが現れたことで希望が見えた。それより他のメンバーの救出が先だ。救命措置をとらねば」


「でも、どうやって助ければ……」

 と、口を開いた僕に結月さんが応じた。

「『虫眼鏡』で検索すれば……?」

 なるほど。

「誰から呼びましょう?」

「優先順位的には、道裏星花さん」

 結月さんがつぶやく。

「南雲さん戦で貧血状態だと思う。どういう過労死をするのかは分からないけど、早く助けないと」

「分かりました」


〈道裏星花〉で検索にかける。途端に「虫眼鏡」の下に。

「勉強しなきゃ勉強しなきゃ勉強しなきゃ私は出来が悪い私は出来が悪い私は出来が悪い……」

「しっかり!」

 結月さんが声をかける。色のない目で道裏さんが顔を上げる。

「ごめんなさい、お母さ……」

「過労死する世界線なんだ! 気を確かに!」

「顔色が悪い」MACKさん。「物書き少年。治療を」

 治療筆記。道裏さんの顔色が良くなり、目に光が灯る。

「わ、私……」

「とりあえず、一人」

 MACKさんが道裏さんの肩に手を添える。

「他のみんなを」

 言われるままに検索にかける。ひたすら「虫眼鏡」を覗いたので細かいことは覚えていないが、最後に呼び出した二人が印象的だった。


 まず、飯田さん。

「悪かった……傷つけるつもりはなかったんだ……ごめんなさい……僕が悪い僕が悪い僕が悪い」

 何か、罪悪感に駆られる仕事をしていたようだ。

 次に、すずめさん。

「ご飯作らなきゃ、洗い物しなきゃ、洗濯物取り込んで子供をお風呂に入れて着替えさせて、歯磨きしてあげて明日の学校の用意して持ち物チェックして眠らせて、終わったらクイックルワイパーで簡単に掃除してゴミをまとめて明日出すだけにしておいて、旦那の夜食用意して旦那のワイシャツにアイロンかけて明日私が着ていく服を決めて……」

「すずめさん!」

 結月さんが声をかける。

「旦那になんてレタス三枚食わせとけばいいんです!」

 ……問題はそこなのだろうか。

 とにかく、全員が揃った。各人に治療筆記をした僕はヘトヘトだったが、まだMACKさんがいる。

「虫眼鏡」で呼び出した、MACKさんは。

 死因は何なのだろう。口から泡を吹いていた。紫色の顔面。なのに手や足は真っ白。

「早くしてくれ」人形がしゃべる。

「人形に魔力があったからかろうじて魂を繋ぎ止めていられる」

「分かりました」

 とにかく「ペン」を動かす。やがて、MACKさんがむくりと起き上がった。

 口元を拭い、代わって意識を失ったように倒れ込んだ人形を支える。


「嫌な世界線だったね」

 つぶやくすずめさん。家事に追われて過労死。母も大変なのか、とリアルの方の母のことを思う。母親像への認識は、改めないとな。少し反省する。

「世界線が、変わる」

 結月さんのその一言を合図にするかのように、視界が急に暗転した。

 暗闇の中に一瞬、死の恐怖を感じる。

 あの時、結月さんに助けてもらわなければ。

 僕は永遠に消費されて、永遠に疲弊して、永遠に屋上から飛び降り続けていたのだろうか。

 そう思うと、背筋が凍る。

 世界が変わる。過労死する世界は、過去のものになる。



 やがて開ける視界。

 次の世界線、かと思ったが。

 気づけば僕たちは、古い石造のお城の一室にいた。薄暗い。壁の燭台が発する明かりしかない。足元には赤い絨毯。部屋の奥に小さな階段がある。

「『King Arthur』の城か……?」

 幕画ふぃんさん。どうやら周りを見る限り……そのようだ。


 ぐちゃぐちゃ。ぐちゃぐちゃ。


 汚い音がする。それは子供が泥遊びをするような音ではなく、そう、例えば、食堂で聞こえてくる誰かの咀嚼音のような、不快な音。


 それから、聞こえてくる。

 鼓膜をくすぐる低音。羽の音だ。これは……蝿? 一匹じゃない。結構な数……。


「葵ちゃん、危ない!」

 飯田さんが叫ぶ。赤坂さんが突き飛ばされた。

 直後に爆音。爆風。僕たちは慌てて飯田さんの方を見る。

 黒く爛れた皮膚。焼け焦げた髪。紳士的に整えられた外見が全て焼き尽くされている。僕は口をパクパクさせた。

「物書きくん! 治療を!」

 すずめさんの一声でようやく「ペン」を取り出す僕。火傷が治る描写なんてしたことがなかったが、乏しい語彙で懸命に言葉を綴る。

「……何かあったら守ってやるって言ったろ」

 飯田さん。赤坂さんに向かって。

「安心しろって。僕がいる」

「……敵もいるね」

 オペレーション。すずめさんが変身する。

 彼女の見据える、先。


 それは巨体だった。

 例えるなら、そう、特大のビーズクッションだろう。柔らかそうなことは間違いない。肌色。くすんではいるが。

 かろうじて人型をしていた。ひどい猫背だ。元々丸い体がさらに丸まっている。

 そしてその顔は。

 豚でもこんなに醜くはないだろう。でもそれは確かに豚だった。歪んだ鼻。垂れた耳。淀んだ目。そしてその、口元には。

 元は人の形をしていたのであろう、何か。

「あいつ……!」

 幕画ふぃんさん。

「アカウントを食べてる!」


「んぐ?」

 豚が顔を上げる。

「ほぉ、ループを抜け出せる奴がおったんか」

 何弁かは分からない。西の方の言葉がごちゃ混ぜにされているイメージ。

 豚が、聞くに耐えない汚い笑い声を上げる。

「ループして死に続けるアカウントを食うとったんですわ。そしたらこんな、まさか刺身が出るとはなぁ」

 生食、という意味か。僕たちを揶揄しているのだろう。

 そんな醜く丸い、豚の背には。

 無数の穴。穴の中にはうねうねと体をくねらせる……蛆虫。その虫が床にぼとりと落ちると、みるみる成長して蝿に変わった。鼓膜をくすぐる低音の正体はこいつだ。


「自分らも食うたるわ。大人しくしときや」

「……物書きくん。太朗くんの治療は?」

「済んでます」

 立ち上がる飯田さん。

「僕は平気だ」

「さっきは葵ちゃんを守ってくれてありがとう」

「気にするな」

「今度は私があなたたちを守る」

 銃を構えるすずめさん。


「みんな……下がってて!」

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