手書きのテキストファイル

「カクヨム」の世界では、小説家が書いたものが現実になる。

 小説家が文章を書き、それを「公開」すれば、現実をある程度……どのくらいかは分からないが……改変できる。


 小説を「書き」、そして「読み」、「伝え」、さらに「楽しむ」ことができる電脳空間。

 それが「カクヨム」。


 ならば。これは可能性でしかないが。もしかしたら。


 僕は手を動かす。思いつく限り丁寧に、細かく、情報を記していく。手書きで。「ペン」を一生懸命動かして。


〈――壁だった。厚さは三メートルはあるだろう。高さは五メートルほど。容易に破壊できるものではなさそうだった。素材はおそらくコンクリート。鉄筋の基礎材も使われていることだろう。そんな壁が僕の正面に聳えていた〉


 空中にそんな文章が記される。汚い字。でも僕の字。

 書き終わった。そう思った時だった。

 記された情報がぎゅっと濃縮されて、四角形の光る物体に変わった。直感的に思った。

 ――テキストファイルだ。


 僕はその光る四角形を手に取る。振り向く。


「駄目だ……もう無理……」

 まちゃかりさんが苦しそうにつぶやく。構えている盾が悲鳴を上げていた。やるなら今だ。今しかない。僕は手にしていたテキストファイルをまちゃかりさんの盾の向こうに放り投げた。


 その瞬間。


 銃声が遠くなった。代わって硬い石を砕くような音が響く。まちゃかりさんがへたりとその場に座り込んだ。大きな影。遠くに見えていた光源の、洞窟の入り口が見えなくなったからだろう。僕たちは薄暗闇の中にいた。


「……壁?」

 まちゃかりさんがつぶやく。

「君が書いたの?」


 コクコクと頷く僕。僕が頭の中に描いたのと完全に同じ「壁」が目の前にできていた。コンクリートの壁。それはまるで、歴史の教科書で見た「ベルリンの壁」のようだった。

 するとまちゃかりさんがのんびりした声を上げる。


「すごいねぇ。こんな大きなものは普通出せないよ。『カクヨム』フィールドで展開できる物質には制限があるのに」


 そうなのか。描写できる物体にも制限があるのか。


「空間と空間を繋いだりするのは、『場面転換』の描写をすればできる。でも他の物体なんかはちょっとやそっとじゃできないんじゃないかなぁ? 材料をひとつひとつ描写して組み上げる描写をしないといけないよ。それこそ、『エディター』が無理矢理小説の中から引っ張り出しでもしない限り……」


 銃声が止む。マシンガン掃射は意味がないと分かったのだろう。続けざまに、今度は壁をぶち破らんばかりの轟音が一発。グレネードでもぶち込んだのだろうか。


「やっば。逃げよう逃げよう」

 まちゃかりさんが僕の作った穴に避難する。

「君も、早く」

 僕も穴の中に入る。A1地区に出る。穴の向こうからは相変わらずの轟音。この穴を閉じなければ。

 閉じ方が分からなかったが、とりあえず開けた円に「ペンタブ」で「バツ」を被せるように書くと、すっと円が消えた。


 ほっと全員が息をつく。


「安心している場合じゃないよね」

 誰かが声を上げる。

「逃げないと。『公開』ボタンを押した場所を特定できる『エディター』なんでしょ?」

「いや、多分……」

 僕は仮説を口にする。

「さっきの『円』は僕が描きました。この『ペンタブ』で。『公開』ボタンは押していません。それは、『円』を閉じる時も」


 沈黙。ぐったりしたヒサ姉さんを抱えた飯田さんが口を開く。


「追跡は出来ないだろうって言ってるのか?」

「おそらく」僕は一拍遅れて頷く。「本当に『公開』ボタンは押していません。何ならキーボード操作さえしていない」


「ちょっとそれ見せてくれ」

 日諸さんだった。僕は「ペン」を手渡す。

「随分古いツールだね。古い分、シンプルなツール」

 俺も現物を見るのは初めてかも。そんな言葉を続ける。


「加来詠人さんからの預かりものです」

 僕は「ペン」を返してもらう。

「これを彼に返したくて、僕は『カクヨム』に来ました」


「H.O.L.M.E.S.」飯田さんが口を開く。

「すず姉の座標は?」

〈C9地区です。こちらを見失ったのか、挙動が不安定です〉

「……一旦は安心してよさそうだ」

 飯田さんの言葉に再び全員が息をつく。するとまちゃかりさんが口を開いた。


「この人すごい。『壁』を出した」

「壁?」誰かが声を上げる。「何だそれ」

「『壁』だよ。すごく大きな。それで弾丸を防いでくれた。だから僕はこうして逃げられた」

「その『壁』も『ペン』でかいたのか?」飯田さんが首を傾げる。

「『書いた』のか、『描いた』のか?」

 飯田さんが指を動かしてタイピングをする。「書いた」と「描いた」が浮かんでくる。


「文章で表現しました」

 僕は答える。

「描写すると、それがテキストファイルになって、そのファイルを投げると、ファイルに書かれていたことが現実になるようで……」

「そりゃすごい」飯田さんが驚いた顔をする。「どういうツールなんだ? その『ペン』っていうのは」


 昔の作家はそれで作品を書いていたらしいよ。

 そんな声が、どこかから聞こえる。


「無制限に何でも出せるのか?」

 誰かが問う。僕は答える。

「厚さ三メートル、高さ五メートルの壁はすぐに出てきました」

「テントくらい作れそうだな」

 誰かがつぶやく。

「テントどころか、ビルくらい作れるんじゃない?」

 やってみてよ。そう、言われる。


「まずベッドだな。ヒサ姉を休ませたい」

 飯田さんがつぶやく。僕は頷く。


「ペン」を動かした。一生懸命、「ベッド」を描写する。


〈包まれるような感触。温かかったし柔らかかった。大きさは縦二メートル、横幅一メートル前後。高さは八十センチくらいだろうか。オーソドックスなベッドだ。枕は一つ。ふかふかの毛布が一枚敷かれている〉


 僕が文章を綴っている間。

 他のアカウントたちがつぶやく。


「今まで建材をみんなでひとつひとつ『描写』して、現実化したそれをまた『描写』で組み上げていたけど……」

「この『ペン』ってのがあればその手間もないのか? 『テント』を描写すれば『テント』が出てくる?」


 テキストファイルができた。そっと手に取り、地面に放る。


 ベッドが現れた。おお、と声が上がる。

「……描写してないところは作られないのか」

 日諸さんがつぶやく。確かに、僕が出現させた「ベッド」にはベッドフレームがなかった。書かなかったからだ。


「まぁ、最低限これでいいさ。さ、ヒサ姉」

 飯田さんが支えていた彼女をベッドに寝かせる。

「休んでくれ」

「ん。ありがと」

 ヒサ姉、と呼ばれた女の子は横になりながらこちらを見てくる。それから、腕を動かしアカウント情報を出してくる。


「私、笛吹ヒサコ。『いかにして彼女は、神ごとき皇帝が統べる国の民となったのか。』の作者だよ。作品名は略して『いかカノ』。よろしくね」


 アカウントID「@rosemary_h」。紹介文は「(自称)異世界ファンタジーをカクの主戦場としている者です。もちろん、他のジャンルに挑んだりもします。そして、ヨムのはもっと雑食。地雷がないわけじゃないけど、ヨムのも好き。好きな食べ物は、プリン。どうぞよろしくお願いします!!」。

 そうか。プリンが好きなのか。それにしちゃパワフルな戦いっぷりだったけどな。


「さっきも僕のアカウント覗いてくれてたよね。僕はまちゃかり」

 まちゃかりさんが改めて挨拶をしてくる。

「作品名は『追放系一般盾使いは仲間達と旅にでる〜勇者パーティー追放されちゃったのだけど何かの手違いが発生して王女と旅することになった件』。略称は……まぁ、適当に略して」


「君にはまだ働いてもらうぞ」

 飯田さんが、僕に近寄ってくる。眼鏡型端末を胸ポケットにしまう。

「我々の拠点となる建物を描写してもらおうか」


 僕は、頷く。

「ペン」を動かす……。

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