「ペンタブ」の使い方

 日諸さんが繋げた穴の向こう。

 広いホールのような洞窟だった。薄暗い。遠い彼方。おそらく入り口があるのだろう。ぼんやりと明かりが差し込んでいる。

「何でこんなところに繋げたんだ?」飯田さんがつぶやく。声が反響する。

「すぐ繋げる場所がここしかなかったんだ」日諸さんが申し訳なさそうにする。


「まぁ、ぐちゃぐちゃ言っても仕方ない。ヒサ姉迎えに行くぞ。日諸さんと……」と、飯田さんが言いかけた時だった。


 轟音。またしても、ガラスの割れる大きな音。


 直後にプロ野球選手が放ったボールのような勢いで小動物サイズの何かが飛んでくる。着地。土嚢でも地面に叩き付けたような音。土煙。


「いてて……」


 土煙の中から立ち上がったもの。

 それは小柄な女の子だった。


「ヒサ姉!」飯田さんが叫ぶ。「日諸さん穴閉じなかったのか?」

「閉じた」彼も驚いている。「どういうことだ?」

〈空間情報が『Edit』されています〉

 飯田さんの眼鏡端末が告げる。

〈『エディター』による追尾です。これは小説家の『公開』ボタン情報を元に追跡しているようです。通常のワープ方法ではこの追尾を振り払えません〉


「あの『エディター』、『公開』ボタンを押した場所が特定できるのか……!」

 飯田さんが叫ぶ。

「日諸さんが『穴を閉じる』操作をする時に『公開』ボタンを押したから……」


 穴。

 ヒサ姉、と呼ばれた女の子が飛んできた方向。

 洞窟内の空間に、ガラスを割ったような穴が、大きく開いていた。


 続けざまに、二発。

 発砲音。


「あっぶね!」


 ヒサ姉、と呼ばれた女の子が慌てて地面を転がる。

 弾丸は、先程女の子がいた場所に着弾した。


「H.O.L.M.E.S.、ヒサ姉の状態は?」

〈疲労度七十%。危険です〉

「誰か助けに……」


 と、飯田さんが口を開いた時だった。


 再び発砲音。

 本能的にやばいと感じた。

 ヒサ姉、と呼ばれている女の子は続けざまには動けない。

 当たる。当たってしまう。着弾だ。いくら素手であの謎のアカウントを押さえ込めたヒサ姉でも、さすがに銃弾の直撃は……。

 

 そう思った時だった。

「間に合った!」


 金槌で鉄板を殴ったような音がした直後、ヒサ姉、と呼ばれた女の子の前に一人のアカウントが蹲っていた。

 手には、盾。大きな鉄の盾だった。


「まちゃかり!」

 誰かが叫ぶ。

「よくやった!」


「穴を無理やり閉じる! 防御系のアカウント、誰かまちゃかりの援護に行ってくれ!」

 飯田さんが大声で告げる。手元を動かしている。入力作業をしているようだ。


 何となくだが、分かってきた。


 この世界では作家が記したことが現実になるのだ。

 不可視のキーボードを操作して、文字を打ち込む。

「公開」ボタンを押せば、それが「カクヨム」世界に反映される。

 日諸さんがワープを繰り返したのも、突然空中から椅子を二脚出せたのも、そういうことだからだ。


 そして今、飯田さんがやっているのは。

「穴を閉じる」という情景描写だ。彼はここで即席の「小説」、いや「文章」を書いているのだ。書かれたそれがすぐさま「カクヨム」空間に反映される。「公開」ボタンを押せば。


 ということは、飯田さんのH.O.L.M.E.S.の分析が正しければ。

 作家は常に「公開」ボタンを押さないと現実を改変できない。つまり避難のためにワープをしても「公開」ボタンを押せばその場所が敵に特定される。


 僕は叫ぶ。


「穴を閉じても『公開』ボタンを押したら場所がバレるんじゃ?」

 飯田さんが言い返してきた。

「時間稼ぎができればいい! すず姉は強すぎる! ここにいるメンバーじゃ対処できない!」


 お前もいったんまちゃかりの後ろに行け! 飯田さんにまた背中をどつかれる。戦闘に使える作品もなく、無力な僕は従うしかない。


 ひび割れの穴が、みるみる閉じられていく。

 僕は走ってまちゃかりさんの後ろに行く。


「こんにちは。新入りさん。初日から大変だねぇ」

 まちゃかりさん。思ったよりのんびりした性格のようだ。

 インテリジェンスアシスタントシステムにまちゃかりさんの情報を参照するよう指示する。

 アカウントID「@macyakari」、紹介文「カクヨムにも進出したよ」僕と同じ新規ユーザーか? 


「あのすずめさんってアカウントは?」

 僕は訊ねる。

「『ノラ』のビッグスリーの一人」

 まちゃかりさんはのんびり続ける。

「めちゃくちゃ強い。めちゃくちゃに強い」

「どれくらい?」

「えーっと」まちゃかりさんは上を見上げる。

「まず、変身できるだろ、空中浮遊ができて立体起動ができるだろ、銃も複数種類使い分けられるだろ、接近戦ではブレードも使えるし、それに……」


 ガラスの割れる大きな音。

 続けざまに、大雨が地面を打つような、連続した発砲音。


 また追尾されたか? 本能的にそう思う。飯田さんが閉じた穴を無理やり広げたんだ。そして連続した攻撃。マシンガン掃射。敵は諦めていない。


「うわあ」

 まちゃかりさんが盾を構える。激しい衝撃。盾に弾丸が叩き付けられる。

「すっご……耐えられるかなぁ……」


 状況に反してのんびりしているまちゃかりさんがむしろ怖かった。

 

 弾丸が雨霰と叩き付けられる中、まちゃかりさんは完全に動けなくなっていた。

 一緒に防御に当たっていたアカウントも、苦しそうな表情を浮かべている。

 強力、かつ連続した攻撃。

 一方的だった。まちゃかりさんが呻く。


「あああああ、無理かも、無理かも」

 手にしている盾が限界を迎えつつあるらしい。ぴしぴしという音がする。


 そんな。

 まずい。何とかしなきゃ。


 インテリジェンスアシスタントシステムに情報を参照させる。僕が何か、この戦闘で使えるもの。何かないか、何か、ないか。


「ペンタブ」

 頭の中でそんな声がした気がした。

 すっと、手元に「ペン」が浮かんでくる。


 これでどうしろって? 敵に突き刺せってか? 

 しかし何とはなしに動かした手が、何かを綴る。


 ペンの先。線が、引かれていた。

 空中に、線。消えない。描かれたままだ。


 もしかして? 


 僕はペンで大きな……と言っても、まちゃかりさんの背後で作れる限りのサイズだが……円を描く。

 円の中に、記す。どこがいいか、と一瞬迷ったが、すぐに先程の、るかさんの言葉が浮かんだ。

「『小説家の始まり』地区だね」


 A1地区だ。僕は円の中に「A1」と記す。


 すると、円が切り抜かれたようにぽかっと穴になった。しばし、様子を見る。

 穴の向こう。白い景色。


「でもね、殺風景なのは、安全のしるし」

 日諸さんの言葉を思い出す。白。殺風景だ。ここは洞窟。『エディター』が小説から洞窟を引っ張り出している空間だ。大丈夫。少なくともここよりは安全。そう思って、頭を突っ込む。


 真っ白い空間。どうやら安全なようだ。


「こっちです!」

 僕は叫ぶ。

「穴を開けました! ここからA1地区へ……」


「『公開』ボタン押してるんじゃ意味ないだろ!」

 誰かが叫ぶ。しかし僕は言い返す。

「時間稼ぎになればいいでしょ!」

 それに、僕は「公開」ボタンを押していない。

 ただ円を、「ペンタブ」で描いただけだ。


 これってさ、もしかして? 


 背に腹は代えられない状況だったからだろう。

 徐々に僕が描いた穴の中に避難していくアカウントたち。僕はその様子を見送る。飯田さんがヒサ姉と呼ばれたアカウントを支えて穴の向こうに消えた。僕は考える。


「佐倉さんも、逃げて」

 穴の向こうから、るかさんが声をかけてくる。僕は微笑む。

「試してみたいことがあります」

 それに、と背後を振り返る。

「まちゃかりさんを置いていけませんしね」


 僕は手にしていた「ペン」を見つめる。

 加来詠人さんから預かったもの。


 ――これを使えば、もしかしたら。

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