勇者の仲間であるということ

あさぎり椋

第1話

 ――もう、やめよう。

 決意を固めた夜、私は一週間前に発った故郷のことを思い出していた。

 村の教会の僧侶となり、流されるままに生きてきた男が私だ。十八歳となり、ただ漠然と「私にも何か大きなことができるはず」という思いばかり肥大化し、かと言ってド田舎の山村で何があるというわけでもない。

 そんな境遇で、我が村に立ち寄った勇者殿から『魔王討伐の仲間に加わらないか』と誘われて、断れるはずもなく。



 ぱちぱちと、夜闇に枯木の爆ぜる音が響く。私を含む四人で焚き火を囲みつつ、野営のひとときを過ごしていた。

 地面に座り込んで剣の手入れをしているのは、勇者殿だ。私と同い年とは思えないほどに聡明な目つき。これが英雄の相というものかと驚かされたものだ。

 戦士殿はいつもの鎧を脱いで瞑想し、いかにも近寄りがたい雰囲気。

 魔法使いさんは真剣に本を読んでいる。難解な魔導書の類だろう。それを安々と読む彼女は、やはり只者ではない。

 魔王を討伐する、という志を共にした運命共同体。固い絆で結ばれた仲間達。頼もしい限り。


 ――なら、会話の一言もあっていいではないか。


 とても気まずい。そう思いつつ、新参者の私は日記をつけていた。

 だが、中々それが進まない。なにせ今日は、私が魔物との戦闘でヘマをして、勇者殿に手傷を負わせてしまったのだ。事は命に関わる。回復魔法を放つ手も震えてしまった。

 戦闘そのものは難なく済んだし、三人は強く私を責めるでもなかった。しかし、それがかえって重荷に感じてしまう。

 今夜の妙な気まずさの原因が何なのか、言うに及ばずだ。

 私がやらかしたのは、今回が初めてではない。戦いはヘタだし、体力も無い。口下手で、会話もあまり弾まない。たった一週間の旅で、何度も足を引っ張ってしまった。

 他の三人は初めから戦うための技術を磨いていたが、私は違う。ただの村の僧侶だ。勇者殿に誘われたのだって青天の霹靂。そう言い訳できる――なんて考えてしまう自分が情けない。


 夜風が吹き、辺りの梢が鳴き声のようにさざめいた。黙していた戦士殿の身体がブルリと震える。

 もっと火を熾すべきか。チャンスとばかりに声をかけようとして、つい日記を取り落してしまった。

 勇者殿が、それを目ざとく認めた。


「なぁ、お前」

「え、は、はい?」

「いつもそれ、書いてるよな。日記」

「……あぁ、これですか。村にいた頃からの習慣です。旅の記録を兼ねようと」

「マメだよな。俺にはそういうの無理だ。性に合わなくてさ」


 褒められているのだろうか。

 村にいた頃の日記は実につまらなかった。牧歌的と言えば聞こえは良いが、本当に何も無いのだから。比べて、この旅は恐ろしくも心地良い刺激に満ちている。

 書き続けることができたのは、それが楽しかったからだ。読むのは私だけ。だからこそ自由に書き滑らせることができた。

 でも、それももう終わり。

 思いがけず会話の糸口が見つかったところで、私は勇者殿にしっかり向き直った。


「ありがとうございます。……ところで、大事な話があるのですが」

「ん、なんだ?」

 

 戦士殿が目を開き、魔法使いさんも本からこちらに視線を移した。


「私は次の街で新しい僧侶が見つかり次第、このパーティを抜けたいと考えています」

「なにぃ!?」


 勇者殿が大声を上げた。ワイバーンの群れに奇襲をかけられた時も、ここまで狼狽はしていなかった。


「私の回復魔法の腕を見込んでくださったのは、嬉しいです。……でも旅に参加してからというもの、私は足を引っ張ってばかり。もっと優秀な僧侶を加えるべきです」

「……今日のこと、気にしてんのか?」

「それもあります。でも結局は、今までの積み重ねです。魔王討伐の旅なんて、私には荷が勝ちすぎている」


 ――もう、やめよう。

 申し訳無さから言い出せずにいた言葉。もはや、それも限界だ。傷口は小さい内に塞ぐべきだろう。

 すると戦士殿が、大きな声で唸った。


「失敗は武人の常だ。そんなにかしこまることもあるまい。……いやまぁ、キミは僧侶だが」


 魔法使いさんも追従するようにうなずく。


「そうよ、なんだかんだ楽しくやってきたじゃない。あんたが来てまだ一週間くらいなのに、それでいいの?」


 さっきまでの沈黙が嘘のように、口々に思いを述べてくれる。その気持が、私にはとても嬉しかった。

 その嬉しさが、私に再確認させる。皆、勇ましくも暖かい。やはり、私とは生きる世界が違うように思えてならないのだと。


「ですが……日記を書いてると、思うんです。ほそぼそと字を書いている時が、一番自分らしくいられるって。皆さんのように、魔王と戦う高潔な志を維持するなんて、とても出来そうにない」


 勇者のパーティと言えば気高く、雄々しく、どんなことよりも優しい。本の中で見てきた英雄伝説は、皆そうだった。字書きだからこそ分かる。その物語を綴った者は、とても楽しかっただろう。それでいて、あまりにも自分とは縁遠い存在だとも思っていたはずだ。

 焚き火に照らされた目の前の三人は、一様に押し黙った。やはり、迷惑をかけてしまった。ここまでの旅で私に積ませた経験値は全てムダになったのだ。でも、たった一週間で済んだと解釈してもらう他にない。

 願わくば、私より優秀な――


「お前なぁ! マジメすぎんだろ!!」


 突然、勇者殿が一喝した。寝ているモンスターが起きてしまうのではないかと思うほどの大音声。


「なーにが高潔な志だ! 俺を見ろ! 勇者の証とやらが右手に出ちまったばっかりに、なりたくもねぇ勇者サマにされた俺の気持ちが分かるか!」

「え……」

「勇者は職業じゃねぇだろ? 生まれた時から決まってるなんだよ。だから仕方なくやってんの。そんなら、少しでも楽しくしなきゃやってられんだろ? 俺はそう思ってる」

 

 ……そうだったのか? 今まで遠慮からあまり話してこなかったが、そんな内情があったのか。

 あまりの身も蓋もない告白に、なんだか、急に肩の力が抜けたような気がした。


「おい、オレの鎧を見な」


 今度は戦士殿。そう言って見せてきたのは、いつも着ている漆黒の鎧。頑丈そうだが傷も多い。思えば、仲間になった時からずっとこれを着ている気がする。


「これはオレが勇者の仲間になる前からずっと着てる鎧だ。なんでか分かるか? ……カネがねぇのさ」


 は? カネだって?

 戸惑っていると、勇者殿が大笑いし始めた。


「ケッサクだろ? すげぇ強い戦士なのに装備を買うカネが無かったのさ、コイツには。今も新しいの買ってやるってのに、あの頃の気持ちを忘れないとか何とか言って、古いの着続けてるわけ。戦いに支障ないからいいけどよ」

「オレが勇者に力を貸すのは、カネのためだ。魔王を倒せばどれだけの褒美がもらえるか……どうだ、俗っぽいだろう?」


 そう言って、戦士殿はとても不器用に顔を歪めた。笑っている……らしい。

 私が二の句を告げないでいると、魔法使いさんが咳払いをした。


「あんたさ、あたしが魔導書読んでると思ってるでしょ?」

「違うんですか?」

「ほら」


 そう言って投げ渡された本を流し読みすると――なんと中身は、どうも恋愛小説らしかった。これなら私でも読める。

 って、ずっと難しそうな顔で、こんな一般大衆向けの本を読んでいたのかこの人は。


「これがほんっと面白いのよ、田舎じゃまず読めないね。世界を回ればこんな面白い経験が出来るわけ。あたしが勇者についてったのは、そういうとこなんだよね!」

「もちろん魔法の腕も立つだろ? オレは迷わずスカウトしたね。もったいねぇんだよ、田舎の気のいいねーちゃんで終わらすのはさ」



 私は――これらの話を聞いて、どう思えばよいのだろう? 英雄に抱いていたイメージが、がらがらと音を立てて崩れ去るのを感じた。小さい村で過ごしていた頃は、思いもしなかったことだ。

 苦笑するしかない私の前に勇者殿は立ち上がり、肩をばんばんと叩いてくる。


「だからさ……お前ももう少しラクにやれって。英雄、英雄なんて言ったって、蓋を開けばこんなもんよ?」


 うんうん、と後ろの二人も頷いた。

 なんだろう、この奇妙な感覚は。私がなにを大いに悩んでいたのか、よく分からなくなってしまった。肌寒い夜なのに、どうして胸の内がこうも暖かい。


 そうだ、と勇者殿が声を上げる。


「お前、その日記を出版してみないか?」

「し、出版!? ……って、なんですか?」

「都じゃ一つの本を大量に作って売り出すんだよ。俺らの旅を書いて、本にしろ!」


 読書家の魔法使いさんの顔が、よりパッと明るくなった。


「いいねぇ、それ! パーティの内側から見たナマの英雄譚、売れるわよ! きっと良いカネになるし」

「む、売れるのか? それは良いではないか」


 私の意志を無視して、どんどん話が進んでいく。いや、日記はただの趣味なんだけど……。


「どうよ。抜けられない理由が出来ちまったな?」

「……は、はぁ」

「まぁ何だ。魔王を倒せなんて気負うなよ。お前の使命はそうだな……本書いて、俺らを一番最初の読者にしろ。これだ!」


 ――自著を作って、勇者殿達を最初の読者に。

 『邪悪な魔王を討伐する』と思うよりも、スーッと心が軽くなった。

 腹を割って話しただけで、こんなにも楽になれるものか。


 そうして、勇者殿が私を見据えた。無性に泣きたいような気持ちになる私を、あの聡明な『勇ましき者』の眼差しで。


「オレ達にはお前の力が必要なんだよ。いっちょ、この勇者サマを信じてみな」


 その言葉に、私はどれだけ勇気づけられただろう。勇気ある者、そして――勇気づける者を、勇者というのだろう。


 それから私は前言を撤回し、勇者の仲間として戦い抜くことを誓った。

 私以外の誰かが読む本を書くために戦う。それくらいの動機が、ちょうどいいのかもしれない。

 魔王を討伐し、この勇ましくもどこか間の抜けた勇者御一行様の珍道中が人々の耳目を集める。

 そんな日が来ることを夢見て――私は、旅を続けよう。

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