悩める大学生と、埋もれるネット小説と、謎の猫
中田もな
悩める大学生と、埋もれるネット小説と、謎の猫
「はぁ……」
大学の正門をくぐり帰路に着いた大野さえは、人通りの少ない小道で一人ため息をついた。どことなく憂鬱そうな彼女は、穏やかな日差しとのんびり流れる時間に、全くそぐわない表情を浮かべている。
「もう、止めた方がいいのかなぁ……」
元々独り言が多かった彼女だが、奈良の大学に通うために一人暮らしを始めたことで、それにより拍車が掛かってしまった。
別に、奈良に来たことに不満があるわけではない。大学のある場所は観光地で、飲食店やおしゃれなカフェも多い。大学生活も、中々充実している。サークルではなく部活に所属しているので、活動日数がある程度確保されており、その分友達も増えた。今日の午前練の後も、友達と一緒に食堂で昼ご飯を食べた。どちらかというと、「地方に来て正解だった」部類に入ると自負している。ただし、実家も地方ではあるが。
日常に何かしらの悩みがあるのではない。問題は、彼女の趣味だ。
「ネット小説、書くのしんどいなぁ……」
優しい風が、黒いミディアムヘアーをサラサラと流す。心地良いはずなのに、彼女の気持ちはブルーだ。
「PV数、全然増えないんだもん……」
大野は大学に通う傍ら、ネットでファンタジー小説を執筆しているのだが、作風のくせが強いこともあり、これが全く伸びないのだ。もうかれこれ一年以上、毎日欠かさず更新しているが、それでも読者は得られない。執筆に費やした時間はかなりのものだが、一体どうしてこうも伸び悩んでしまうのか。
「……まぁ、読者のニーズに答えられないのが悪いんだけどね」
……答えなど、言われなくとも明確なのだ。最近の流行にかすりもしない作風、これが一番の原因だ。「読者の需要に合わせて云々かんぬん」という話は、耳にたこができるほど聞いている。
いっそのこと、今風の作品を書き始めてしまえば良い。人気になる前から、変なプライドにすがっていても仕方がない。そう何度も思ったのだが……、どうしても、それができないのだ。
「ネットから有名になる作家なんて、ほんの一握りだもんね。もう三回生になるし、そろそろ諦めた方がいいよね……」
輪郭の見えない夢を追い続けても、自分が苦しいだけ。やはり、ここは潔く手を引くべきだ。就活を控えた彼女は、結局そう結論づけて左の路地に入った。アパートに帰ったら、あの小説は消してしまおう。アカウントも削除しないと……。未練は残るが、仕方がない。無理やり自分に言い聞かせながら、平和な昼下がりをさっさと歩いた。
「おーい」
――突然、アニメのキャラクターのような、可愛らしい声が聞こえてきた。近所の家の子どもが、アニメでも見ているのだろうか。
「おーいってば。聞こえないのか?」
……いや、明らかに呼ばれている。大野は不審げにキョロキョロして、辺りを確認した。彼女の隣には、志賀直哉の旧居。まさか、この中から……。
木造の戸を恐るおそる覗くと、その裏からひょこっと白猫が顔を出した。雪のように白い毛並みに、燃えるように真っ赤な目。彼女が視線を合わせた瞬間、「ようやく気づいたか」と言って、猫は鼻を鳴らした。
「おまえ、さっきからぶつぶつうるさいぞ。気持ち良く昼寝してたのに、目が覚めちゃったじゃないか」
文句を口にしながら毛づくろいを始める猫を見て、大野は目を白黒させた。小説の書きすぎで、頭がおかしくなってしまったのかと思ったが……。
「ね、猫がしゃべってる……」
……間違いなく、目の前の猫は喋っている。それも一度ではない。現に今だって、「何だよ。しゃべっちゃ悪いか?」と言っている。
「猫はしゃべらないなんて、誰が言い出したんだ? そんなの、人間の勝手な思い込みじゃないか」
「え、ええ……?」
大野は頭が混乱してきた。猫が喋らないというのは、人間側の妄信だったのだろうか。
「まぁ、そんなことはどうでもいい。それよりおまえ、一体何を悩んでいるんだ? ぼくを起こしたほどだから、よっぽど面白い悩みなんだろうな?」
猫は赤い目でじっと見つめてくる。否応なしに、「言え」と圧を掛けられている気分だ。
「えっと……」
大野は言葉に詰まる。傍から見たら、白猫に悩みを打ち明ける、おかしな大学生に見えてしまうだろう。それに、言うほど大層な悩みではない。ただ、小説を書くのを止めようかどうかということだ。
「なんだ、言えないのか? それなら、昼寝を邪魔した罰として、慰謝料を払ってもらうからな」
「ええ? 慰謝料って、そんなの滅茶苦茶じゃん! それに、あんた猫なんだから、お金なんか貰ったってしょうがないでしょ!」
猫があまりにも突拍子もないことを言ったので、彼女は大声で突っ込んでしまった。偶然後ろを通った老夫婦が、怪訝そうに眺めてくる。
「あのさぁ、ぼくを何だと思ってるんだい? おまえなんかより、ずっとずーっと生きてるんだぞ? 人間に化けるぐらい、わけないさ」
そう言うと、猫は馬鹿にしたように自分の右足をなめた。
「とにかく、言わないならさっさと払ってくれよ。こう見えても、ぼくは暇じゃないからさ」
……こうなったら、仕方がない。腹をくくって、この変な猫に赤裸々に明かそう。大野は体にぐっと力を入れて、口を開いた。
「……実は私、ネットで小説を書いてるんだけど、もう止めようと思ってるの。全然閲覧数が伸びないからさ、どんなに書いても意味ないじゃんって思って」
そう言ってはははと乾いた声で笑うと、猫は意外にも尾を上げて食いついた。
「へぇ、おまえ、ネット小説書いてるのか。実は、ぼくも最近ネットを使い始めてさ、暇潰しに読んでるんだよね、ネット小説」
「えっ!? 猫なのに、ネット使ってるの!?」
思わず大きなリアクションを取って驚く彼女に、猫は冷たい視線を送る。
「だぁかぁらぁ、猫がネットを使わないとか、そういうのは全部人間の思い込み!!」
「あ、ごめん」
不機嫌そうにシャーっと声を荒げる猫に、彼女はボソッと謝った。よく分からないが、とりあえずそういうことにしておこう。
「で、おまえはどんな小説を書いてるんだ? タイトルは? 掲載サイトは?」
「えっと、いわゆる異世界ファンタジーもので、タイトルは『逆襲のリリア』。サイトは『カクヨム』だけど……」
何故か色々聞いてくる猫に、彼女は一応返答した。それを聞くと、猫は「おお!」と短い簡単を述べる。
「『逆襲のリリア』って、おまえが書いてるのか! いつも読ませてもらってるよ」
「……え?」
信じられない事実が発覚した。今のところ200話以上掲載しているが、いつも決まって1PVはゲットしているのだ。全体のPV数を気にしすぎていて忘れていたが、まさかあの1PVが、この猫だというのだろうか。
「おまえの作品、結構尖ってるよな。異世界ものなのに、他のやつとは全然違う。まぁ好き嫌いがはっきりしそうなタイプだけど、ぼくは好きだよ。他の猫たちも、『リリアが凛々しくて良き』って言ってたし」
……この感じ、どうやら嘘ではなく、ちゃんと閲覧しているみたいだ。今日は信じられないことばかり起きる。
「閲覧数が伸びないのは、ネットを使えない猫が多いからだろうね。いつも、ぼくが使ってるパソコンで、大勢の猫が見てるからさ」
目をパチパチさせている大野の前で、猫は背中を反らして大きく伸びをした。
「だからさ、ネット小説を止めようなんて、言わないでくれよ。あの作品、猫の間で人気なんだぞ? ぼくの布教のおかげだけどね」
「……何それ」
ありえない。彼女はそう思った。全く、ありえない。だけど……。
「……ありがとう」
この猫とその仲間たちが、自分の小説を読んでくれている。そこには、閲覧数以上の喜びがあった。有名小説ではなくても、ちゃんと、読者はいるのだ。
「私、やっぱり止めない。『逆襲のリリア』、更新し続けるよ」
「そうすることをおすすめするね。完結する前に止めたら、今度こそ慰謝料を払ってもらうからな。ぼくだけじゃなくて、猫たち全員分のだ」
ふふんと笑う白猫に、彼女は大きくうなずいた。その顔には、もう迷いなどなかった。
悩める大学生と、埋もれるネット小説と、謎の猫 中田もな @Nakata-Mona
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