最終話



 私には付加価値が必要だと書いた。生きるための技術を持たない私には、世間一般に通用する学歴という名のカードが必要だと。でもそのカードを持っていたとしても、それ以前のものがなければ意味がないと、気づいてしまった。

 人間として最も重要な、本能に限りなく近い基礎の部分。

 生きる気力。

 それが無くては、たとえどんなに有利なカードを持っていたとしても、なんの意味も無い。根本的な何かが欠けている。生まれる前に神さまからもらわなくてはいけないものをもっていない。私は昔から、基本的に生きていたくないのだ。


 もう一度せめて、死ぬために生きる力だけでもあれば。

 自殺しようと思えるまで、日常の中で苦しむことができれば。

 それすらできないくせに、残された選択肢すら選びたくないというのか。

 私にはもう何もない。生きることも死ぬこともできない。鳥籠の外に出ることもできないくせに、内にいることにも耐えられない。


 このままの生活を続ければ、私は死ぬだろう。肉体は維持されても、私という人格は死滅する。

 そして、鳥籠の中が私の世界のすべてになる。養ってもらっているという絶対的な理由から、家族を温かく受け入れ、優しく接するようになる。ふわふわした、乾いた笑いをよく浮かべる、空っぽの箱のような人間になるだろう。

 それは確実に、今の私ではない。

 中学一年の途中まで明るく快活だった私の人格が、その後完全に消失したように。きっと、同じことが起きる。

 私は消える。あの時はなぜあんなことを考えていたのだろう。なぜあんなに抗っていたのだろう。全てを忘れて思うに違いない。


 そうか、私は死ねるのだ。あとのことは価値観が入れ替わった私に任せればいい。もしかしたらその私は、社会不適合者として、上手く社会になじめるかもしれない。

 でも、消えることや忘れることを、少し残念に思う自分もいる。

 私が今思うこと。今好きなもの。大切な人。思い出。どんなふうに何を考えて、どんな世界を見て何を感じていたのか。

 全て忘れてしまうなら、終わりが来る前に私が生きた証を。私という存在が確かにいた記録を、残しておこうと思った。だからこれは伝言だ。近い将来消え去る私が、どんなふうに生きていたのかを綴った喜劇。私がいたということを、いつか誰かに伝えられるように。




 というのは完全につい先ほど思いついた締めの文言だが、この手記のまとめにうまく使えそうなのでそういうことにする。ここに書いたことは全て私の本心であるから、この結論も嘘ではない。


 鳥籠の中にいれば、私が消えることは間違いない。その瞬間を見極めることは誰にもできない。だからこそ私は、今ここに最後の言葉を残そう。

 どうか全てを諦めてしまった私を、侮蔑をこめて笑って欲しい。

 それで私の喜劇は、ようやく幕を閉じるのだ。

























 それでも、まだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

浪人生の伝言 加登 伶 @sakamuke

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ