カミヤス町の春臣さんと珍道蟲と僕
棚霧書生
カミヤス町の春臣さんと珍道蟲と僕
待ってたぜ兄弟! ようこそカミヤス町へ!!
鈍行列車に揺られておよそ三時間、片田舎から憧れの文芸の聖地、カミヤス町にやってきた僕を迎えてくれたのは四つ上の従兄弟、春臣さんだった。
春臣さんは書生服で下駄を履き、極めつけに丸眼鏡をかけていた。肩までかかる長めの髪にはウェーブがかかっている。
道の左右には古書店が並び、モダンな喫茶店や文具店などが多いこの街ではそんな格好でも浮いていない、むしろ馴染んでいるようにすら見えてしまうのはカミヤスという街が持つ魔力によるものだろうか。
「長旅で疲れたろ? カフェで茶でもしばこうぜ」
「ありがとう、春臣さん。だけど大丈夫だよ、電車ではずっと座ってただけだからさ、……って、ちょっと、春臣さん!?」
春臣さんに手首を掴まれ、引っ張られる。
「まぁまぁ、そんなこと言わずにカフェ行こうぜ。実は俺の仲間にお前を紹介するって言って出てきてるんだ」
「そうなんだ……」
それならそうと初めから言ってくれればいいのに。僕は春臣さんにバレないようこっそりため息をついた。
春臣さんは迷いもなくズンズンと歩を進める。僕としてはカミヤスの街の雰囲気をゆっくり歩いて楽しみたかったが、春臣さんに連行されていてはそれは叶わなかった。
歩いて二、三分もしないうちに目的のカフェに到着する。入口横のガラスケースの中にはナポリタンやメロンソーダなどの食品サンプルが飾ってあった。カランコロン、とドアの上部に取り付けられたベルが鳴るとここには初めて来たというのに、どこか懐かしさを感じてしまう。
「よっ。お待たせ。こいつが俺の従兄弟だ」
春臣さんがテーブル席に座っていた二人組に手を振る。どうやら彼らが先ほど言っていた春臣さんの仲間らしい。
「ハロォーミとあんま似てねぇな」
サングラスに黒い革ジャンを着たちょっと怖そうなお兄さんが僕を見てつぶやく。ハロォーミとは独特な発音だが、春臣さんのことだろう。
「わぁ、君が噂の! 春臣先輩から話は聞いてるよ。さぁ、座って座って」
もう一人の方は優しそうな感じの人で、服装はジーパンに白シャツ、それに青色のカーディガンを羽織っていた。少し垂れた目と柔らかそうな唇が作り出す笑顔はこちらを安心させるには十分な代物で、僕は自然と会釈を返していた。とても女性にモテそうな人だと思った。
「こちらは俺の主催する文芸サークル“珍道蟲”の仲間、いかつめ革ジャンが坂田ブラックで、優男風カーディガンが鈴ちゃんだ」
今の紹介だけで言いたいことは済んだのか、春臣さんは、はい、次はお前ね、というふうに僕を見てくる。
「えっ、あ、僕は実島冬樹です。春臣さんの従兄弟で、四つ下です。この間、高校を卒業しました。大学進学を機に上京したいと思ってこっちに来ました。よろしくお願いします……」
慌てて喋ったものだから声が上擦った。恥ずかしい。自己紹介もろくにできない奴だと思われたかもしれない。
「冬樹くんかぁ。春臣先輩と一緒で季節が名前に入ってるんだね。いいなぁ、そういうの。あ、僕のフルネームは鈴本雅也ね」
鈴ちゃんでもいいけど、と付け足されたが自分より歳上の男の人をちゃん付けするのはとても気が引けたので首を横に振らせてもらう。
「ンなことより、早く飯にしようぜ」
坂田ブラックさん(本名なのだろうか?)の一言で僕たちは昼食を注文することになった。サンドイッチの盛り合わせと大盛りのパスタとサラダを頼み、それを各自取皿に取って食べるスタイルだ。四人にしては頼んだ量が多かったのではないかと食べている途中でふと思ったが、坂田さんが大食いのようで食事が彼の口の中に吸い込まれるように消えていく。食パンを斜めに二等分カットしたサンドイッチは二口ずつでその姿を消してしまうのだから、なんだか面白いような怖いような不思議な気持ちになった。
「そういや、冬樹、今スマホ持ってるか?」
食後のアイスティーを飲んでいた春臣さんが突然なにかを思い出したように聞いてくる。
「持ってるよ」
「二千字から四千字くらいの完結してる短編とかある?」
僕は内心ギクリとした。執筆アプリの中にいくつか僕が書いた原稿はある。春臣さんが提示した条件に当てはまる小説も。しかし、僕はそれを見せたくはなかった。
「短編はないかも……。でも、どうして?」
「この店さ、文芸愛好家に手厚いサポートをしてくれてるんだ。自作の小説を店に提供すると飲食がタダになる」
「へぇ、それはすごいや……」
「だろう。坂田なんてあんだけバク食いしてんのに、店側には全部小説で支払ってるから今まで金は一円も払ってないんだぜ。新手の無銭飲食みたいだよな」
僕と春臣さんの会話を聞いていた坂田さんが不機嫌そうにハロォーミと唸った。
「俺は対価を支払ってるし、店側も納得してる。そういうのを無銭飲食とは言わねぇ」
「わかってるって、冗談だよ冗談! 坂田の書く小説は面白いからな。たくさん食べさせて、脳みそ動かしてもらって、また小説を書いてもらった方がいいって、ここの店主もよくよく理解してんのさ。な、鈴ちゃんもそう思うだろ?」
「はい。本当に羨ましいですよ。僕には真似できません。坂田先輩の速筆だからできる離れ業です」
鈴本さんのフォローも加わり、坂田さんの溜飲は下がったように見えた。坂田さんは通りすがった店員さんに追加で大盛りのナポリタンを頼んだ。サングラスであまり表情は読み取れないのだが、僕の勘違いでなければ彼はちょっと誇らしげな顔をしていた気がする。
「なぁ、冬樹、書きかけのやつとか一つもないのか? 俺たちもいるしテキトーに短編作っちまおうぜ」
春臣さんの言葉にドキッとした。いや、こういう流れになるとは予感していたが、できれば避けたい展開だった。今の僕には小説を書く力がない。それを知られるのが怖かった。
「春臣さん、その提案は嬉しいけど僕はお金の方で払うよ」
春臣さんが目を丸くした。まさか小説をこの場で書くことを僕にこんなにもあっさりと断られるとは思っていなかったのだろう。
「んー、そうかぁ……、あっ、それなら俺のスマホのメールボックスを探してみよう。冬樹から送ってもらった小説が残ってるだろうから、それを使おう」
「ダメだ!!」
店内がシンと静まり返る。春臣さんの、坂田さんの、鈴本さんの視線が、いきなり大きな声で怒鳴った僕に突き刺さる。他のテーブルのお客さんも店員さんも一瞬動きを止めて、物音がなくなる。皆からの氷柱のような視線が僕を貫いたまま時が永遠に止まったんじゃないかと思った。だけど、それはほんの数秒の間のことにすぎなくて、気がついたときには周りの人は僕のことなんて気にせず自分の作業に戻っていたし、春臣さんは頭の後ろに片手をやりながら、騒がしくしちゃってスミマセンね〜、と僕の代わりに謝っていた。
「ごめんなさい。大きな声を出してしまって……」
僕は最悪の奴だ。春臣さんにも迷惑がかかった。坂田さんと鈴本さんは僕のことを非常識な奴だと思ったに違いない。僕が不快だと思われるのはまだしも僕のせいで春臣さんの評判が下がるようなことになったら、もう春臣さんに顔向けできない。
今すぐにでも逃げ出したかったが、この期に及んで失礼を重ねてはいけないという最後の理性が僕の体をなんとかこの場に引き留める。
背中をトントンと軽く撫でられる。春臣さんだった。
「さっきのは俺も悪かったよ。昔の作品って顔から火が出るくらい恥ずかしかったりするもんな。特にお年頃な冬樹には気にするところがあったんだろ」
春臣さんが謝ることなんてなにもないのに、謝らせてしまった。僕は自分が情けなかった。新しい小説を書けないのも、昔の小説を見せたくないのも全部自分のせいなのに。僕は春臣さんになにか言わなくてはいけない気がした。謝罪なのか弁解なのか、言うべきことは沢山あるはずなのに言葉は全く出てこない。春臣さん……、と彼の名前だけが口からこぼれ落ち、肝心の先が続かない。
「小説が辛くなっちゃう時期ってありますよね。僕も自分で書いた小説を気持ち悪いって言われたときはひどく落ち込みました」
なにも言えない僕を見かねたのか、鈴本さんが口を開いた。それに坂田さんが続く。
「ハロォーミの従兄弟よ、なんか知らんがさっきのは失態にも数えられないクシャミみたいなもんだぞ。物書きならもっとネタになりそうなことをやれ」
僕は二人の言葉をただ黙って聞き、頷くことしかできなかった。春臣さんが僕の髪の毛を掻き回すように頭を撫でてくれる。
「さ、そろそろ行きますかね」
春臣さんが席を立とうとした。僕はそれに続こうとしたが、坂田さんと鈴本さんは動こうとしない。
「俺、一本書いてから出る」
「僕も」
坂田さんはノートとペンを、鈴本さんはスマホを取り出しそれぞれ執筆体勢に入ったようだ。
「二人の新作を楽しみにしてるよ。冬樹、行こうか」
僕は後ろ髪を引かれる思いで二人の執筆中の姿を何度も振り返る。先にレジで支払いを済ませようとしていたはずの春臣さんがなぜか戻ってくると僕にこう言った。
「すまん、財布忘れた。執筆しないと出れないわ」
「……僕、代わりに払おうか?」
「歳下に奢られるほど落ちぶれちゃいないやい!」
春臣さんはわざとらしく唇をツンと尖らせて、大股で元いたテーブル席に、仲間のいるところに戻っていった。
僕は三人の作家が座るテーブル席とレジを交互に見る。答えはとっくに決まっていた。
「僕も書きます。小説書きます!」
小走りでテーブル席に戻る。三人がニヤッと笑った。
僕はまた書ける。この人たちが一緒にいるんだもの。書いて書いて書き飛ばしてやる。
カミヤス町の春臣さんと珍道蟲と僕 棚霧書生 @katagiri_8
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