2.決着

 彫り師の女の腕にあったのは、地獄絵の中の一つ、針山地獄を描いたタトゥーだった。


「さて、絶望する時間はここまでとしよう」


遠野は跳び箱の陰に隠れていた俺を指さし、口を開いた。

もう、イチかバチかだ。俺は腕に意識を集中させ、遠野の言葉より早く炎を生み出した。熱を持った空気が膨張し、体育館が炎に包まれる、その瞬間、俺は瞳を庇って床に伏せていた。本当に、このタトゥーが俺に応えるならば、瞳くらいは守ってやれるに違いない。

 爆発とまでは行かなかったが、体育館はあっという間に炎の海と化した。吹き飛ばされた遠野と彫り師が態勢を立て直す前に、瞳を捉えていた縄を焼き切る。


「行くぞ、瞳」


俺の言葉に、瞳は涙をたたえて大きく頷いた。しかし、その瞬間、空気も炎も切り裂いて、一振りの剣が天上から俺の脳天めがけて降ってきた。咄嗟に瞳を抱いて床に転がると、その剣は床に深く刺さった。天井を見上げると、天井いっぱいに、刃が生えていた。それはまさしく、針山地獄の光景だった。そしてそれは壁からも生えてきて、俺と瞳はあっという間に鮫の口の中にいるような状態になった。ここで動きを封じられれば、間違いなく串刺し状態で死亡が確定する。それは、敵も同じことを考えていたようだ。無防備になった俺に向かって、冷徹に遠野が言った。


「動くな」


俺の動きは完全に封じられた。そして、天井から一本の剣が降ってくる。その時、俺の腕の中で瞳が動いた。そして、俺の体の下から這い出した瞳は、横から生えていた一本の剣を抜き取った。剣と言っても、柄があるわけではない。抜き身の諸刃の剣だ。瞳の両手から血が滴り落ちる。そんな瞳の姿を、遠野はため息交じりに笑った。遠野の中で、瞳と焔の姿が重なっていた。自己犠牲までして、愛するものを守って死んでいった愚かな女だ。


「二人同時に串刺しにしてやろうというのに」


そんな遠野に向かって、瞳は走り出す。しかし、途中で瞳は剣を捨てた。身一つで遠野に突進した。その両手は血で真っ赤に染まっていた。遠野は瞳の意図に気付いて舌打ちをした。しかし、もう遅かった。瞳の血まみれの手は、強く遠野の両腕をつかんでいた。それと一本の剣が床に突き刺さるのはほぼ同時だった。俺は横に転がって何とかその剣をよけていた。


「ほう。では、これならどうする?」


キシキシという金属が擦れ合う嫌な音が、体育館じゅうに響き渡った。全ての剣が、俺の方を向いた。


「さあ、同じ地獄絵図のタトゥー同士、どちらが強いかな?」


彫り師の女は紅でも引いたように赤い唇を歪めて、楽しそうに言った。そして、上に掲げていた手を振り下ろす。するとすべての剣が俺に向かって飛んできた。俺もタトゥーに念じる。今だけでいい。守りたい人が、出来たんだ。だから、今だけ、俺に力を貸してくれ。誰かを殺すための力だけではなく、守るための力を。


「応えよ、タトゥー」


俺を中心に、灼熱の火球が広がった。その火球に近づいた剣は、溶けて床に雫となって落下した。そしてそのまま火球は、全ての剣を焼き払った。さらに火球は彫り師と遠野、その両腕をつかんでいた瞳まで呑み込んだ。体育館は、跡形もなく消し飛んだ。その熱風は、近くで百田と戦っていた水牙と義水にも襲い掛かった。


「あーあ、先輩負けちゃったみたいですね」


百田はまるでハズレくじでも引いたかのような口調で、弾のなくなった銃をその場に捨てた。その瞬間、百田の心臓を水の槍が貫いた。


「マウスは、僕の方みたいでしたね、先輩」


そう言い残して、百田は倒れると、二度と目覚めることはなかった。

 水の膜で自分たちを守っていた水牙と義水のタトゥーに異常が起こったのは、そのすぐ後の事だった。腕に熱と痛みが走ったのだ。それは義水が、一度地獄絵図のタトゥーを受け取った時の感覚と似ていた。


「まさか、真幌?」

「そうみたいやな。最後の最期で、タトゥーの干渉力使って他のタトゥーを道ずれにする気や」


二人の腕は、燃え盛る火の中に両腕を突っ込んだように熱かった。歯を食いしばって生きたまま焼かれる痛みや熱さに耐えるが、あまりの痛みに、意識が飛んだ。そして意識を失った二人の腕から、一匹ずつ蜘蛛が這い出してきた。その蜘蛛は尻から細く長い糸を出して風を捉え、天高く飛んでいった。青空に舞い上がった蜘蛛がどこへ行くのかは、誰も知る由もない。

 



 焼け野原になった川岸で、水牙と義水は目覚めた。あの炎が嘘のように鎮火している。しかし、円形に焼けた雑草の中心には何かの残骸が残されていた。辺りには草や地面が焦げた臭いがまだ立ち込めていた。水牙と義水の二人の腕には火傷の後が残り、タトゥーはなくなっていた。二人は顔を見合わせ、原型をとどめていない体育館に向かった。傷だらけの体で、重い足を引きずりながら、体育館だった場所にたどり着くと、そこには二人分の焦げた死体があった。おそらく、彫り師と遠野のものだろう。そのすぐ近くで、瞳が無事に発見された。虫の息ではあるが、確かに息をしている。そして、少し離れたところから、真幌が見つかった。その腕にも焼けた跡があり、タトゥーはなくなっていた。真幌は自分のタトゥーだけが持つ干渉力で、自らのタトゥーも焼いたのだ。


「義水、瞳を頼んでもええか?」

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