5.女
『もし、私が遠野や百田に捕まったら、殺して頂戴。それくらい、嫌な相手なの』
瞳は死ぬつもりなのかもしれない。もしもそうならば、俺が止めなくてはならない。これ以上の犠牲はもう見たくない。気ばかり焦って、何も思い浮かばない。それは水牙も義水も同じだった。そんなところに、言葉が投げ込まれた。蠱惑的な女の声だった。
「お困りのようだね」
振り返ると、そこには黒い着物を着た女が一人、立っていた。
「静物画のタトゥーなら、川沿いの近くの廃校にあるよ」
着物を着た女は、真っ赤な唇を歪め、微笑んでいた。しかしその笑みには狂気があった。
「誰や?」
「おや。私を捜していたのは、お前たちの方だろう?」
このセリフは、この女が彫り師だということを示している。つまり、このタトゥーの生みの親だ。しかし、遥が出会った彫り師の風貌とはかけ離れている。それに、遥が言っていた彫り師は、もう既に亡くなっているはずだ。つまり、弟子であるこの女は、師匠である男性彫り師を殺したのだ。
「さあ、急がないと彼女は死んでしまうよ?」
「お前を殺せば、全てのタトゥーは消えるのか?」
「そうなるね」
彫り師と対峙する俺を、水牙が強引に引っ張る。
「気を取られたらあかん。瞳が先や!」
その言葉に振り返った俺が、再び彫り師の方を向くと、そこにはもう誰もいなかった。俺たち三人は川へと向かい、ひたすらに川沿いを走った。そんな俺の脳裡には、このタトゥーを受け取った時のことが思い出された。
『お前、力が欲しくないか?』
『いるだろ? お前の周りに、ムカツク奴とか、気に入らない奴とか』
『いるよな。だったらいい方法がある。そいつらを確実に、自分の手を汚さずに、この世から消す方法だ』
どうして、あの時俺はこの誘いを受けてしまったのだろう。そう思って、ずっと後悔していた。しかし、今は違う。水牙や義水、サブロウ、そして瞳に出会えた。もうこのタトゥーで人殺しはしないという約束は守れなかったが、今度こそ約束を守る。瞳を死なせしない。だから、今はこの力を後悔しない。人間は自分の手を汚さずにいられるほど、強くはない。罪に問われない方法があれば、人は簡単にその方法を行使してしまう。感情に流され、引き金を引く。人間はそれほどまでに弱い。そして俺はその最たるものだろう。それでも、このタトゥーで瞳を助けられるなら、きっと後悔はしない。
俺の背よりも高い雑草をかき分けながら川沿いを進むと、急に開けた場所が目に飛び込んできた。学校の校庭として使われていた場所だった。その奥に、大きな建物があった。その建物に繋がる場所の窓から、明かりが漏れていた。体育館だった。
瞳はそこにいる。俺たちは雑草に足を取られながら、夜の闇を走っていた。
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