3.暗示

そのためにあえて仇である水牙に近づいて、言葉をかけ続けた。そして俺たちが気が付かないように、徐々に、しかし確実に、水牙の自我を奪っていった。もとから遥と七里は百田と繋がっていた。そして、百田と遠野は八百万と繋がっていた。だから遥はこの両者に、俺たちを殺す役目は自分であると約束させていた。しかし、それぞれの利害関係があり、あっさりと遥は八百万と百田に裏切られたのだ。遥にとって俺たちは、殺してすむような相手ではない。殺しても殺したりないくらいに、憎んでいたのだ。


「おとなしく殺されなさい。そうでなければ、岬を殺すわ」

「岬に何をした?」


遥は笑った。


「ちょっとした暗示よ。私が指示を出せば、岬は電車に飛び込むの」

「貴様!」

「苦しい? 憎い? 私の気持ちが分かったかしら?」


その会話の最中に、社の扉がめきめきと音を立て始めた。社の中に埃が舞い落ちる。


「水牙か」


舌打ちをした義水は立ち上がり、社の扉を開けようとするが水圧で開かない。このままでは社ごと、水に握り潰されてしまう。


「くそ!」


義水は仕方なく木製の社の床に手をついた。瞳がいつも操っていたのは、まだ生きいている植物だった。木造の建物に使われている植物を操ることができるかどうかは、全くの未知数だった。しかし、このままでは確実に殺される。


(頼む。応えてくれ、タトゥー)


社の床が、突如隆起した。床板が屋根を破って天に伸び、それに乗って義水と遥は社から脱出した。その直後、社は水圧に耐えかねて全壊した。空中に投げ出される形となった義水は木々に命じて枝で足場を作り、ふわりと地面に無事着地した。着地の瞬間、地を蹴った義水は、水牙に、向かって突進した。水牙が水の爆弾をその足元めがけて放ってくる。義水はそれを避けるように駆け抜け、水牙に迫る。しかし水牙も水の剣で義水に切りかかった。義水が斬られる、誰もがそう思った瞬間、水牙がバランスを崩した。水牙の足元にあった雑草が、急激に成長したのだ。そしてそのまま、水牙の手足の自由を奪っていく。息を切らした義水がひとまず安堵の息を吐こうとした瞬間、雑草は水の剃刀でバラバラに切り刻まれ、地面に落ちる。


「駄目か……」


義水は最終手段に出ることにした。義水は水牙から視線を遥に向けた。植物画では、水墨画に勝てない。ならば、自画像を仕留めるしか方法がない。義水は息を吐き出して、水牙の後ろで笑う遥に狙いを定めた。境内の中の全ての植物が、風もないのにざわり、と揺らいだ。水牙の方へ何本もの枝が急激に伸びていく。その枝先は鋭く尖っている。水牙は咄嗟に反応し、空中に水を広げて盾を生み出す。しかしその一瞬、水牙の横を通り過ぎ、枝は遥をその背後から貫いた。仰け反った遥の体が、枝が貫通した状態で夜空に縫い留められる。枝を伝った大量の血が、降り出した雨のように滴り落ちた。遥は一つ咳のような音を発し、口から血を吐いて、ビクンビクンと体を震わせてこと切れた。


(これで、七里にまた会えるかしら?)


最期に遥が思ったことは、たったそれだけだった。多くの偽タトゥーの保持者たちを救い、教祖として君臨し、けして愛してはいけない男を愛し、お互いを救い合っていた遥は、もっと別な出会いをしていれば、ここまで他人を恨むこともなかっただろう。

 遥の死を確認した義水は、木々をもとの姿に戻して水牙に駆け寄る。


「大丈夫か?」

「あ、ああ。でも、遥が……」


冷たい地面に横たわる遥に、水牙はジャケットをかけた。


「まさか、わざとか?」

「すまない」

「同情か?」

「瞳の言う通り、遥が人々を救ってきたのは間違いあらへん。利用され続けて、最期がこれなら、どうやったら遥を救えるのか迷ってもうた。それで、自画像のタトゥーに利用されてたんや。本当に、悪かった」

「過去は水に流す」

「ああ。俺たちは先に進むべきや」


遥の腕から自画像のタトゥーが消えて、腕の中から蜘蛛が這い出てきた。その蜘蛛は、義水の腕に移動して、消えた。自画像のタトゥーが、植物画のタトゥーに喰われた瞬間だった。こうして、他のタトゥーを喰らうたびに、タトゥーは強くなる。蜘蛛で行うべき蟲毒は、タトゥーとなって人間に受け継がれているのだ。



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