2.約束

礼を言われた九重は、もう瞳の事を見ていない。九重が見ていたのは、植物画のタトゥーを得た義水の方だった。しかし、今のところ立ち上がる気配はない。俺は何度も叫んでいたが、言葉を発することすらできない。これが遠野のタトゥーである静物画のタトゥーの能力だと知る。自分が認識した相手を確実に動けなくさせることで、相手方の戦力を削ぎ、形勢逆転を狙える能力だ。確かに攻撃力はないが、八百万の風景画のタトゥーなどの攻撃型のタトゥーと組めば、まさに最強と言えのではないか。百田が瞳を荷物のように運び出すのを、俺は見ていることしかできなかった。そして、車のトランクが閉まる音が聞こえた。その音に反応して、遠野はやっと俺を開放した。すぐに走り出そうとした俺の前に立ちはだかったのは、やはり九重だった。九重の後ろには、八百万が立っている。接近戦は九重に任せ、タトゥー保持者は遠隔援護といったところだろう。そんな時、蚊の鳴くような声で、俺の耳に義水の声が届いた。


「馬鹿」


思わず振り向くと、そこには義水が立っていた。いたるところから出血していたり、赤く腫れあがったりしている。立つのもやっとのはずだ。それでも義水はまだ戦う気でいるのだ。


「義水、もうやめろ。そんな体で無茶するな。頼むから」

「お前は、俺たちの何だ?」

「え?」

「どうして、行動を共にした? お前は何がしたいんだ?」

「俺は、俺はこれからも瞳や義水や、水牙と一緒にいたいよ。だって、友達だから」


俺はまた同じ間違いを犯そうとしていた。俺は友人と先生を殺した。でも、本当にあいつらは友達だったのか。ただ今が楽しいだけの関係性しか持たなかった俺たちは、本当に友達だったのか。確かに、今を楽しむための友人関係もあっても良いと思う。でも本当の友達は、一緒に苦境を乗り越えたり、自分を成長させてくれたりする存在ではないのか。まさに、瞳や義水たちのように。そして今まさに俺たちは苦境に立たされている。そして俺の友達たちは、まだ諦めていない。だったら、俺のやることはもう決まっている。


「小僧どもが。九重。遥」


百田たちと一緒にいた遥が、横に立っている水牙に向かって語り掛ける。


「さあ、水牙。あの人たちをやっつけて」


遥のタトゥーの支配下に置かれた水牙の前に、義水が立ちはだかる。


「ここは俺が」


そう義水が請け負ったので、俺はもちろんそれに応じた。


「俺の相手は、あの二人か」


それぞれが、自分の敵の前に立った。俺に向かってきたのは、八百万ではなく九重だった。九重は丸腰だったが、攻撃に迷いも鈍さもなかった。鞭のようにしなる足で俺の頭を狙ってくる。俺はどうにか腕を交差させてそれをしのぐ。するとがら空きになった腹を殴られた。口から息がもれ、唾が飛ぶ。その隙に、今度こそ頭に蹴りが直撃して、吹き飛ばされる。地面を転がって、木にぶつかって止まる。呻く俺に、不気味なほど静かな表情で、九重が近づいてくる。まるで人間ではなく、感情がない殺人兵器のようだ。九重に襟元を引っ張られ、無理やり立たされ、木の幹に押し付けられ、一方的に殴られ、回し蹴りで再び地面に転がされる。俺にタトゥーの能力を使わせる隙を与えないと言わんばかりだ。


「水牙。皆殺しにして」


水牙と義水が戦う中、義水が膝を折った。義水に迷いがあっても、操られている水牙には迷いがない。水牙は遥の声に反応して、タトゥーの力で水を操る。そして水牙は水の輪を俺たちにはめた。このまま俺たち三人の首を刎ねるつもりだ。水牙に人殺しはさせたくない。まして、仲間の義水を殺させるということは我慢できない。俺は地獄絵図のタトゥーを使おうとするが、九重はそれを許さなかった。地面に伏した俺を立たせ、腹に一撃を加えて失神させる。水の首輪が狭まってくる。それを破ったのは義水の植物だった。首と水の輪の間にできた隙間に木の枝を入り込ませて、水の輪を破る。


「九重」


八百万がそう言うと、九重は動けなくなった俺の体を担ぎ上げて踵を返した。俺はまるで荷物のような扱いだった。そんな九重と八百万の背中に、遥は叫んだ。


「約束が違う!」


遥は両拳を握り締め、わなわなと震えていた。遥が取り乱すのは、初めて見る。


「水牙にそいつら全員殺させてやるって約束したはずよ!」


遥が叫ぶ。この隙を、義水が見逃すはずがなかった。水牙に手とうを下ろして失神させ、遥を抱き抱えるように社の中に飛び込んで隠れた。古い錠前はその勢いに耐えられず、扉はすぐに開いたのだ。遥の口をふさいだ義水は、闇の中で息を殺していた。明るい月夜と街路灯の明かりで、慣れれば夜目がきいた。社の中に八百万の影が浮かんで、扉を閉めた。


「好きなだけ、殺しあえ」


八百万はそう言うと、外から錠前を閉めた。


「岬はどうした?」

「帰ってもらったわ」

「お前も、死ぬ気だったのか?」

「七里がいない世界に、用はないから」


思い出せば、教祖ではなくなった遥がずっと懐いていたように見えたのが、水牙だった。水牙は遥をよく世話をしていた。遥はこの機会をずっと辛抱強く待ち続けていたのだ。愛した七里を殺した人間たちを、最も残酷な形で殺せる機会を。

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