七章 激突と攻防

1.条件

 一見すると穏やそうで小柄な老人。しかしその目の奥には明らかな狂気があった。この老人がおそらく瞳が言っていた人物で間違いないのだろう。八百万は俺に向かって腕を見せて、笑った。その腕にあったのは、風景画のタトゥーだった。水墨画のタトゥーが水を操るならば、風景画のタトゥーは風を操るのだろうと察しがついた。


「のう、一般人。我々に下る気はないかのぅ?」

「俺の仲間を傷つけておいて、よくそんなことが言えたな!」


俺は久しぶりに怒りを覚えていた。しかし、八百万はこうした交渉に慣れた様子で言った。


「そうすれば、皆が助かると言うのにか?」

「どういうことだ?」

「そのまんまの意味じゃよ。そこの二人にはまだ息がある。しかしお前が断れば、わし等は二人の息を止めることなど造作もない」


俺は義水と瞳を交互に見た。二人は虫の息だ。八百万の要求を呑めば、二人は助かる。八百万や百田たちの力に、俺一人が対抗できる可能性は低い。ならば俺が八百万に負けを認め、配下に下れば万事が解決するという道が最適解か。


「分かった。二人を今すぐ病院へ運んでくれ」

「さすがは一般人。素直でよろしい。九重」

「条件がある」


俺は八百万を睨んだまま、その言葉を塞ぐように言った。そんな俺を、八百万は楽し気に、そして馬鹿にするように笑った。


「何だ?」

「義水に、植物画のタトゥーを一度譲渡させてほしい」

「なるほど。そういうことか」


八百万は全てを悟ったように頷いた。瞳に死んでもらっては、相手方も困るだろう。そのためか、八百万は瞳の自殺を止めることには同意してくれたようだ。


「九重」

「はい」


九重と呼ばれた執事服姿の男が、水牙の後ろにいる遥を見やる。遥も同意したように頷く。これを確認した九重は、義水に立つように命じる。俺は九重の判断能力に圧倒された。瞳が決死の覚悟であるならば、梃子でも動かないだろう。しかし義水ならば瞳の自殺を何としても止めたいと思うはずだ。だから九重は迷うことなく、義水に「立て」と命じたのだ。義水は敵に命じられるままにされることは不本意ながら、歯を食いしばって立ち上がる。そして、倒れている瞳の横に跪き、瞳に声をかける。それを横で見ていた九重は、瞳を無理に起こして、その頬を叩いた。ようやく意識が戻った瞳は、義水を見て笑った。しかしその笑顔と同時に、涙が瞳の頬を伝った。


「サブロウは、死んだのね」


俺意外の皆が、驚愕に眼を見開く。今まで呪いのタイムリミットで死んだタトゥー保持者はいなかったのだろう。昔はいなかったのかもしれないが、少なくてもここにいる年長者の八百万ですら、初めての事例だったという表情だ。


「ああ、失敗しちゃったか。死んだらタトゥーも消えると思ったのに、他のタトゥーに喰らわれるなら、意味なかったのね」


瞳は自嘲気味に笑い、自分の腕を義水の腕の上に持っていく。


「タトゥーを譲渡する」

「拝受」


植物画のタトゥーが、義水の腕に転写された。その瞬間、九重の強烈な蹴りが炸裂し、義水は元々倒れていた場所まで吹き飛ばされた。これで、瞳には攻撃する力がなくなった。俺は九重と瞳の間に割って入る。


「何の真似です? 先ほどの言葉を反故にする気ですか?」

「俺をどうしようと、あんたらの勝手だ。でも、瞳に関しては何も取り決めていない」

「なるほど」


九重が八百万に視線を送ると、八百万は頷いた。ここで動いたのは今まで静観していた百田とその先輩、遠野だった。遠野は俺を指さし、ゆっくりとした口調で命じた。


「動くな」


その瞬間、俺を取り巻く空気が凍った。指一本動かせない俺の横を、九重が悠々と通り過ぎ、ふらついている瞳の鳩尾に駄目押しの拳を一発ねじ込んだ。瞳は声にならないうめき声を残し、その場に倒れ込んだ。それなのに、俺は何もできずに硬直したままだった。九重は気絶した瞳を肩に担ぐと、まるで人形を扱うような素振りで百田と遠野のもとへと運んだ。


「わー。お姫様のご帰還ですね。良かった、良かった」


緊張感のない声音は、その場に全くそぐわないものだった。そんな百田を制したのはやはり先輩の遠野の声だった。


「何してやがる。さっさと車に詰めろ」

「九重さん、ありがとうござます。それではこちらは撤収しますね」


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