9.蜘蛛
そう言い残して、俺はサブロウと一緒に救急車に乗り、病院へと向かった。状況をきかれたが、交通事故だと嘘をついた。まさか能力者同士の抗争による怪我だと正直に言っても信じてはくれないだろう。そして、怪我人との関係をきかれたので、俺ははっきりと答えだった。
「友人です」
これが最善の選択だったと信じるしかなかった。隊員たちは俺の言動を不審に思いながらも、対応してくれた。サブロウが近くの病院に運び込まれ、緊急手術が行われることになった。俺は廊下の長椅子に座っているように指示され、手術中の赤いランプをにらんでいた。こうしている間にも、瞳と義水は戦っている。頑張れ、サブロウ。早まるな、義水。無事でいろ、瞳。正気に戻れ、水牙。様々な思いが溢れ出す。そして、短かったのか長かったのか分からないうちに、手術中の赤いランプが消えた。俺は思わず立ち上がっていた。先に出てきた医師に駆け寄ると、思いもよらぬ言葉が返ってきた。
「手を尽くしましたが、及ばずに申し訳ありません」
医師は俺に向かって、小さく一礼した。衝撃のあまり、椅子に倒れ込んだ俺の横を、ストレッチャーが横切った。咄嗟に立ちあがった俺の目に飛び込んできたのは、眠ったようなサブロウの顔と、そのきれいな両腕だった。サブロウの両腕には、もうタトゥーがなかったのだ。
「どういことだ?」
まさか、という想いが頭をもたげた。俺が知る限り、サブロウは、誰かにタトゥーを譲渡していなかった。つまり、サブロウの死因は、水墨画による怪我ではなく、タトゥーの呪いの可能性が高い。一か月以内に、他人に譲渡しなければ死ぬタトゥー。サブロウは自分の死を覚悟で、動物画のタトゥーを所持しいていたに違いない。おそらく、俺という足手まといが増えたことで、サブロウはその選択をしたのだろう。つまり、俺がサブロウを死に追いやったも同然だ。サブロウはただでさえ、瞳を守るという義務を背負っていたのに、俺までも守ろうとしてくれたのだ。穏やかなサブロウの死に顔に、俺は縋っていた。
「サブロウ。サブロウ!」
もう開くことのない目を見つめ、嘘だと言ってくれと願う。俺を最初に助けてくれたのは、サブロウだった。瞳が言い過ぎた時に、それを制して俺を庇ってくれたのも、サブロウだった。
「瞳はどうするんだ? 水牙に、何て言えばいいんだ?」
瞳の育ての父は、間違いなくサブロウだった。親子であり、唯一無二の家族であったサブロウの死を、瞳は受け入れてくれないかもしれない。それに、攻撃した水牙が正気に戻った時、水牙は自責の念にかられるだろう。俺が追いすがる中、サブロウの和服の袖から、一匹の蜘蛛が這い出してきた。それはおそらく、サブロウを死に至らしめた呪いの根源である。その足の長い蜘蛛は、尻から糸を出して風を受け、ふわりと宙に舞い上がった。俺は咄嗟にその蜘蛛を追っていた。そして、重要なことを思い出す。サブロウと共にいた瞳は、いつ植物画のタトゥーを他人に譲渡したのか。俺が知る限り、瞳もまた、サブロウと同じくタトゥーを一か月間、所持したままだ。もしかしたら二人は、このタトゥーを巡る戦いから解放されたかったのかもしれない。だから二人でこっそり決めたのだ。ここで終わりにしようと。この全面的なタトゥーの争いで、死ぬのなら仕方がないと。俺にタトゥーを永遠に葬り去ることができるなら、それで構えわないと。
「冗談じゃない!」
俺は蜘蛛を見失わないように走り、蜘蛛の後を追った。しかし、病院の建物から出た瞬間、風に乗った蜘蛛が上空に舞い上がり、俺の視界から消えてしまった。俺は地団駄を踏んで、タクシーに乗り込んだ。そして、駅の近くの神社まで向かった。タトゥーを保持したまま死んだら、そのタトゥーはどうなるのか。悪い予感しかしない。俺は神社の手前で降りて、ドライバーに、なるべく遠くへ行ってほしいと懇願した。これ以上、一般の人を巻き込むわけにはいかない。ドライバーが曖昧に頷き、発車させたのを見送って、夜の神社に向かって俺は駆け出した。走りすぎて、体はとっくに悲鳴をあげている。それでも、今なら無理をしても構わないと思えた。しかし、神社を照らす街路灯に浮かび上がったのは、地面に伏した瞳と義水の姿だった。そして神社にいたのは百田とその先輩の男。そして見たこともない老人と、執事のような格好の男だった。
「瞳! 義水!」
俺が二人に駆け寄ろうとすると、突如突風が吹いて体勢を崩す。そんな俺に笑いながら選択肢を提供したのは、細めた目の奥に殺気を秘めた老人だった。そして、どこからともなく降りてきた足の長い蜘蛛は、水牙の腕に吸い込まれて消えた。おそらく、動物画が水墨画に喰われたのだろう。それは事実上の捕食であった。蟲毒は共食いの果てに成立する。それはタトゥーに組み込まれても同じ仕組みなのだ。
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