7.ガラス細工

 俺たちは学生や会社員たちとは逆方向に歩いた。居酒屋やパチンコ店、旅行代理店がチラシ配りをしているところを通り過ぎる。駅の大通りを曲がって、ひたすらに歩いた。大学直行のバスは、学生証がないと乗ることが出来なかったため、三十分以上歩くことになった。大学のキャンパスを通り過ぎ、小道に入ると、坂の上に円形の派手な外観の建物があった。

 

 しかし、そこもサロンは潰れていた。嫌な予感はしたが、取り合えず二階のタトゥーショップがあるはずの場所まで、階段を上った。タトゥーショップは、ひっそりと営業を行っているようだった。俺たちの間に緊張が走った。ついに、彫師の尻尾をつかんだのだ。俺はドアノブに手をかける。すぐにドアは開いた。


「いらっしゃいませ」


そこは陰湿な様子はない、ただのタトゥーショップのようだった。まさか、ここで間違えたのか。あの大学生のタトゥーは、オリジナルを彫った彫師とは別の彫師に彫られたものだったのか。まだ緊張は解けない。もしかしたら、ここのタトゥーショップを隠れ蓑に使っている可能性もある。普段はただの彫師として在籍し、闇で新たなオリジナルタトゥーを生み出す準備をしているのかもしれない。受付の男性は、全身にタトゥーが彫られていた。


「あの、ここのオーナーの方は?」

「ああ。ちょっとお待ちくださいね」


受付の男は低姿勢で、パーテーションの裏に消えた。「先生、先生」と呼ぶ声が聞こえる。今まで俺たちは彫師と呼んでいたが、施術を受ける人にとっては、先生なのだ。確かに、皮膚に迷いなく線を描き、着色し、ぼかしを入れる技法は、先生と呼ばれるにふさわしい気がした。少しして、オーナーらしき髭面の男が出てきた。オーナーは俺たちを見て、面食らったような顔をした。確かにこの四人の組み合わせは目立つし、不自然だ。


「ここに、これを彫った彫師の方は在籍していますか?」


俺が腕をまくって見せると、オーナーは息を呑んだ。手ごたえがあった。しかし、オーナーである彫師は、残念そうにため息をついた。


「確かに、いたよ」


過去形だった。


「店も師匠も火事で亡くして、弟子一人でここに転がり込んできた。かわいそうだと思ったから雇ったが、腕は弟子なんて呼べるものではなかった。完全に自分の世界観を、タトゥーで表現していた。客も喜んでいたし、口も上手かった。とにかく自分の客を褒めた。客もまんざらではなかったと思う。しかし、ここまで来ると恐ろしくなった。俺がそう感じ始めた頃、そいつは独立して店を出ると言った。こっちとしては、いいタイミングだった。解雇ではなく退社だからね。それも、そいつの作品で間違いないだろう」

「独立。では、今はどこで?」

「駅の通りの裏だ。ここから先は、言いたくない。そいつの事は、忘れたいんだ」


そう言って、オーナーは店の奥に引っ込んでしまった。


「有難うござました」


俺はそう奥に言葉を投げ込んで、店を後にした。他の三人も俺も、瞳が言っていた言葉を思い出したに違いない。詰んだと思ったところに、情報が流れる。暗中模索しているところに、次の行き先が提示される。まるで蜘蛛の糸を手繰るようだ。細い細い糸が、常に見えたり見えなくなったりしながら、俺たちを導いている。鬼さんこちら、手のなる方へ。そうやって、自分の方へ俺たちを誘う。俺たちは今、危険な蜘蛛の巣にいるのかもしれない。彫師にとって、俺たちは獲物だ。巣の中に誘い込まれた哀れな俺たちに、彫師をどうにか出来るのだろうか。

 

 オーナーが言っていた駅の裏通りは、危険な臭いがする場所だった。薄暗い路地裏はすっかり夜の顔をしていた。駅の大通りから、たった一本裏に入っただけなのに、別世界のようだ。スナックバーや、ホストクラブの窓や看板に、ちらちらと灯りが灯っていく。そんな並びの中に、タトゥーショップはあった。真っ黒な壁には、彫り師の画力を誇示するように龍や蓮華などの図案が色鮮やかに描かれている。俺は手に汗を握り、唾を呑んだ。ついにここまで辿り着いた。この中に、追っていた彫り師がいる。瞳が店のドアノブに手をかけ、皆にアイコンタクトを取る。俺たちがうなずくと、瞳は店に押し入った。しかし、中には誰もいなかった。先程まで人がいた気配はするのに、中はもぬけの殻だった。タトゥーを彫る機械はあるが、置き去りにされている。皆が渋い顔になる中で、奇妙な音が響いた。水が床を強かに打った音だ。振り向くと、義水の服が濡れていた。


「水牙!」


そう言うな否や、義水は突然走り出した。瞳とサブロウもすぐに後を追いかける。俺は何が何だか分からないまま、三人を追って駅に向かった。階段をかけ登り、帰宅ラッシュの人混みの中を駆け抜ける。電光掲示板に、上りの新幹線の時間が表示され、ちょうどその時間だった。間に合うかどうかのギリギリの時間だ。自動改札を通らずに、駆け抜け、駅員に何か叫ばれるのを背中で聞いた。新幹線の発車寸前で乗り込む。俺の足はドアに挟まるところだった。俺だけでなく、全員が壁に背を預けて息を整えている。


「一体、何が?」


俺が息を切らしながらきくと、義水がペンダントを持ち上げて見せた。そこには付いていたはずの大振りな硝子玉がなくなっていた。


「あれは、硝子細工なんかじゃないわ。水牙が造った水球よ」

「じゃあ、それが落ちたってことは?」

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