3.彫り師
「大学の近くですと、ちょっと高めですが、離れた場所だとお安くなりますね」
駅前と大学近くは、どこでも学生に人気らしい。俺はここぞとばかりに、先ほどのテナントについて聞こうとしたが、声が上ずった。
「あ、さっき見てきたんですけど、あの、寺とかの近くにあったテナントって、こちらの物件ですか?」
女性が眉をひそめる。どうしてアパートの話からテナントの話に変わったのか、訝しんでいる様子だ。
「あれって、何かの店だったんですよね? ちょっと気になって」
俺は半ばやけっぱちになって、テナントについて質問を重ねる。
「あなたは、あの店の関係者ですか?」
俺は逡巡してから、「はい」と答えた。
「以前にタトゥーを彫ってもらっていました」
これは賭けだった。あのテナントに、タトゥーショップがあったかどうかは知らない。しかし女性店員の雰囲気から、あのテナントには何か仄暗い経緯があったと察せられた。
「そのタトゥー、見せてもらえますか?」
「え? ああ、いいですけど」
俺は意外な展開に驚きつつも、腕をまくった。何度見ても不気味な、地獄絵図のタトゥーがあった。女性店員が、それを見た瞬間に息を呑むのが分かった。笑顔が消え、表情が引きつり、顔色が青ざめた。そして震えた声で、「少々お待ちください」と言って、事務所の奥に引っ込んだ。女性の代わりに俺の対応にあったのは、頭の禿げた中年男性だった。男性は名刺を取り出し、この店の社長だと名乗った。
「実は、あのテナントに以前いた方から、これと同じタトゥーをした方がいらしたら、相談に乗ってほしいと頼まれていました」
社長が手渡した紙には、俺のタトゥーの絵柄と同じ地獄絵図が描かれていた。俺はタトゥーを彫ったことがないから分からないが、おそらく人の肌に色素を入れるのだから、描き直しはきかない。そうであるならば、彫師はデザインや絵に優れているのは当たり前なのかもしれない。それなのに、俺はその絵の精巧さに驚嘆していた。
「あなたがお探しなのは、物件ではなく、彫り師の方ですね?」
「はい。すみません」
騙すような形になり、本当に申し訳なかった。
「あのテナントはご存じの通り二階建てで、一階にはアパレルショップが入り、二階にはタトゥーショップがありました。しかし、何年か前に二つともなくなりました。まあ、あの立地ですから、客もあまり来なかったようです」
「集客に問題があったから、二つとも自然消滅したんですか?」
社長はにじむ汗を、ハンカチで何度も拭いた。少し間があってから、意を決したように社長は首を振った。
「二階のテナントで、事故があったんです」
「事故? どんな?」
所長の顔色も悪く、汗が止まらない様子だ。これはただの事故ではないと、身構える。そして社長の口から語られたのは、背筋が凍るような話だった。
「二階から、死因不明の死体が出たのです」
今度は俺が息を呑む番だった。死因不明ということは、本当は事故ではなかったのかもしれないということだ。自殺や殺人の可能性だってある。もちろん警察も当初は事故や自殺、殺人とあらゆる方面から調べたらしい。しかし、いくら調べても他殺の証拠は挙がらず、死因も特定できなかった。そのまま月日が経ち、原因不明の突然死として捜査は打ち切られ、警察は不運な事故として処理した。まるで、俺が起こした放火殺人事件が、ただの火災事故として扱われているのと同じではないか。俺は思わず眉をひそめた。
この不動産屋には、この一件がどうしても事件ではないと思われる理由があった。それはこの一件が起こる一週間前に、彫師の弟子を名乗る人物から電話があり、テナントを引き払いたいという旨を告げられ、挙句ファックスでこの気持ち悪い絵が送られてきていたのだ。つまり、俺たちが目指していた彫師は死んでいる可能性が高い。
「こんなことがあったので、元々立地が悪いテナントに人が寄り付かなくなって、アパレル業者も撤退を決め、それからはずっと買い手が付きません。取り壊しも考えております」
賢明な判断だと、俺は思った。死因不明だとしても、もうそこは事故物件だろう。買い手が付くわけがない。建物を売っている以上、維持費もかかるはずだ。しかし、彫師が死んでいるならば、俺たちにできることはもうないのではないか。俺たちのオリジナルのタトゥーも、このままずっと、この世から消えないのではないか。頭をひねると、あることに気が付いた。彫師には弟子がいた。ではこのタトゥーもその弟子の所有物になっていないか。そもそも、彫師は何故死んだのだ。弟子の行動は不可解だ。師匠の死を予見したかのような行動をとっている。もしかしたら、この弟子が彫師を殺したのではないか。
「そのお弟子さんは、今、どこに?」
「そのように聞かれたら、こう答えるようにと言われました。〝タトゥーを探せ〟と」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます