7.銃

 たったそれだけのメールに、俺は嘘を書いていた。二人の話では、Hitomiの血であれば効果があると言う言い方だった。それが死んでいても、生きていても構わないのだろう。それなのに俺が生血と強調したのは、俺のちっぽけな良心だったのかもしれない。もしくは、生かしておけば、血は生産性がいいというただの研究者的判断だったのかもしれない。いずれにせよ、俺は上層部に嘘の混じった告発文を送ったのだ。

 

 そしてそして数日後、俺のもとに一人の男がやって来た。外見は、どこにでもいるサラリーマンだった。シンプルなスーツに、紺のネクタイ。撫で付けたオールバックの黒髪に、黒縁の眼鏡をかけていた。病的に白い肌に、そばかすが目立っていた。まるで墓場から這い出した死体が、サラリーマンを装っているかのようだった。ただ、サラリーマンにしては決定的に間違いが一つだけあった。男が手にしていたのは、鞄でもリュックでもなく、箱だった。しかも、プレゼントにしては無機的過ぎる、段ボール箱だ。何かネット通販で買った物が届いたのか、と思ったほどだ。


  あのメールを送った後だから、上層部からの差し金であることは間違いない。俺はとりあえず部屋から出ようとしたが、男はそれを許さなかった。箱を俺に突きだし、無理矢理受け取らせると、男は俺に一礼して去って行った。俺は狐につままれたというよりは、狸に化かされたような気分になった。箱に気を取られていた俺が見回しても、もう男の姿はどこにもなかった。俺はこのやり取りを見た人がいないことを確認し、部屋に入って内側から鍵とチェーンをかけた。段ボール箱を机の上に恭しく置いて、ガムテープをゆっくり剥がす。中には一丁のエアガンが、銃弾と共に梱包されていた。リミタリーマニア用なのか、映画の小道具のように精巧に作られている事が分かった。もしかしたら、これで二人を脅してHitomiを強奪しろとでも言うのだろうか。持ってみるとずっしりとしていて、まるで本物の拳銃のようだ。箱の底には、封筒が貼り付いていた。指令書だ。そう思うと、手が震えた。しかし俺はもう、引き返す事は出来ないのだ。こんな紙切れが俺と同僚の運命を握っていると思うと、理不尽過ぎて笑えた。震えた手で、封を切る。本当に紙切れ一枚だった。何の特徴もないルーズリーフに、日時と場所。そして、俺がやるべきことが書かれていた。用意周到なその計画は、赤ん坊が産まれてすぐに始まるとされていた。つまり、後一ヶ月だ。生唾を飲み込んだ俺は、箱の中の鉄の塊に戦慄した。本物だ。こんな物は、フィクションでしかお目に掛かれない物だとばかり思っていた。実際にあったとしても、俺には関係のない世界に存在するものだと思っていた。それなのに、俺の目の前に、それは鎮座していた。これを俺が使うのか。あの同僚二人に向かって。嘘だろ。そう思うほど、現実から乖離していた。俺は拳銃と手紙を段ボール箱にしまって、クローゼットの奥にしまった。俺には指示に従う前に、やらなければならないことがあった。


 翌日、俺は出勤するなり二人を呼んだ。


「ちょっと、見てほしいデータがある」


嘘だった。不思議そうな顔をして、二人が俺のパソコンをのぞき込む。そこにはあらかじめ俺が打っておいた文章があった。保存しなければ、その文章が上に漏れることはないと踏んでいた。俺の文章を見た二人の表情が凍り付く。その文章には、上層部にHitomiの存在がばれているということが記されている。俺としては、ここで二人が考え直してくれればいいと思っていた。俺にとってもその方が気が楽だったからだ。


「あまり良くないデータね」


焔はまるで本当にデータを見たように言った。する司もそれに乗った。


「どうすればいい? 結果だけは外のサーバーに残すか?」

「それしかないでしょうね」

「データが失われるよりは、そうだな」

「一君はどう思う?」


いきなり名前を呼ばれて、びくりとする。二人を真似して、慎重に言葉を選ぶ。


「俺は上にお伺いを立てるべきだと思う」

「このデータを渡せと?」

「それは、出来ないわ」

「じゃあ、どうする?」

「出来る限りのことをしましょう。司、もしもの時は、このデータを頼んだわ」


焔はさりげなく、自分のお腹に手を当てた。司は深くうなずいた。


「一君、教えてくれてありがとう」

「いや、俺はただ……」


思わず、本音が出そうになった。しかし後が続かなかた。俺はただ、何がしたかったのか。自分の保身のために二人を売ったのに、全く矛盾したことをやっている。これでは二重スパイだ。二人が俺のディスクから離れると、俺は文字を消した。

 

 そしてこの一週間後、焔は施設内の病院で赤ん坊を出産した。かわいらしい女の赤ちゃんだった。出産には司が立ち会い、感涙していたという。俺は予定通りに動いた。赤ん坊の泣き声が聞こえると、すぐさま二人のもとに駆け付け、慌てた様子を装って唾を飛ばした。



「逃げろ、司! 焔! 上層部が動いた!」


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