5.加工

そうだ。これは命令に背く反逆行為だ。それなのに、焔は司の研究が正しいと言う。お互いにライバル関係だったとしても、目指しているところは同じはずだった。いつから俺たちは道を違えたのだ。これは裏切りだ。


「一君は、本当にこの無毒化の研究が正しいと思っているの?」

「え?」


正しいも何も、研究の目的は初めから無毒化だ。研究成果さえ出せれば、俺たちは元の研究所に戻されることになっている。


「私たち、きっと殺されるわ」


不穏な言葉に、俺は何も言えなかった。正直に言えば、俺もそんな気がしていた。ただ、言葉にしてしまえば現実味を帯びてくるようで、それを口にせず、頭の隅に追いやっていただけだ。あまりにも理不尽だったから、その現実的な未来を認めたくなかった。おそらくこの研究は、表に出してはならないものだろう。ヘッドハンティングされた時点で、俺たちは殺されることになっていたに違いない。他人を殺すための研究だ。無差別殺人兵器の開発とどこが違うのか。しかも、俺たちに与えられた研究課題は、その兵器のリスクをなくすものだった。法的にも現実的にも、もちろん倫理的にも、この研究はあってはならない。そんなことは、とうに分かっていたはずだ。だから司は与えられた研究をするふりをして、別な研究を進めていたのだ。それが、タトゥーの無力化だ。しかし兵器利用を考える人々が、兵器の無力化の研究を認めないことは、目に見えている。司の研究は、かなりリスクが高いものだと言わざるを得ない。俺は、死ぬのが嫌だった。


「一君は、どうしたいの? 私たちを告発する?」


二人を敵に回したところで、勝ち目はない。もしも俺が上に告発しても、二人にしらを切られれば、俺が虚偽報告をしたと思われかねない。力でねじ伏せようにも、二人のタトゥーの方が攻撃力が高い。つまり、俺はいつの間にか袋の鼠状態だった。しかし、窮鼠は猫を噛む。


「告発何て、しないよ」


俺が全身から力を抜くと、二人も緊張から解放されたような顔になる。


「ただ、俺にも手伝わせてくれ」

「本当?」

「一が手伝ってくれるなら、頼もしいよ」


司も焔も、俺の言葉を難なく信じ込んだ。こうして俺は、スパイとなって、上に二人の研究データを横流しすることにした。しかし二人の研究は、そんな悠長なことを言っていられないほど、進んでいた。焔がおもむろに白衣の腕をまくった。そこにはあるはずの植物画のタトゥーが、無くなっていた。俺が目を丸くしていると、二人は示し合わせたかのように笑った。そして、二人は悪戯が成功した子供みたいな表情を浮かべた。


「一体、どうしたんだ? 何故タトゥーがない?」


明らかに動揺を示す俺に、焔は自分のお腹を指さした。俺にはその意味が分からなかた。


「私の場合、お腹が大きくならなかったから、バレずに済んだわ」


この一言で、焔が妊娠していると分かった。そして妊娠しているということは、お腹の中に胎児がいるということだ。それは自分であっても、自分ではない個体だ。つまり、タトゥーを転写できる対象である。焔の植物画のタトゥーは、彼女自身の子供に転写されたのだ。そえは現段階では、能力を付与されると同時に、呪いまで胎児に与えることである。焔は愛おしそうに、自分の腹を撫でながら言った。


「私たちは殺される。でも、この子には強く生き抜いてほしい。だからタトゥーを転写したの。一人でも、生きられるように」

「一に、お願いがある」

「何だ?」

「お前はタトゥーの無毒化の研究を進めてほしい。この子が、安心してタトゥーを持って生きていけるように」


俺はここにきて、焔のお腹の中の子供が、司の子供であるということに気が付いた。当たり前と言えば当たり前なのに、衝撃的だった。しかも俺は、恋敵の子供の為に無毒化の研究をするのだ。皮肉にもほどがある。


「分かった。ところで、もう教えてくれないか? Hitomiって何だ?」

「ああ。この子の名前だよ」

「そうか」


落胆しかけた俺に、司の先ほどの言葉が奇妙に響く。司はHitomiの事を、「この子」と言った。司と焔の子供ならば、「俺たちの子」とか「うちの子」とか、もっと別な言い方をしてもよさそうだった。もしかしたら、俺に託されようとしている子供は、二人の子供ではないのかもしれない。体外受精した卵子を、ただ焔の腹に移植したのかもしれない。昨今では、「試験管ベイビー」や「デザイナーズベイビー」、「代理出産」なども多くなってきている。では、タトゥーを譲渡したのはいつだろう。そんな俺の思考を読んだように、司が言った。


「譲渡したのは、赤ん坊の姿になってからだ。それに、倫理に反するがこのHitomiの血液には、加工がしてある」

「血に加工? まさか、ゲノム編集か?」


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