4.無毒化


◆ ◆ ◆


 二藤部司にとうべつかさ千里焔せんりほむらは、遠野一とおのはじめの同僚だった。同じ科学者としてそれぞれの企業や大学で研究者として働いていた三人は、ヘッドハンティングされる形で現在の科学施設に配属になった。いわば三人は有能な同期だった。二藤部司は文身の研究者であり、千里焔は化粧の研究者だった。そして遠野一は大学で呪術の研究をしていた。一見ばらばらな研究分野をフィールドとしていた三人は、タトゥー研究のために召集されたのだ。そしてそのタトゥーがいわゆるファッションではなく、呪術に近いものであると説明を受け、三人は自分たちが招集された理由を悟った。三人に課せられた研究課題は、タトゥーの無毒化だった。謎の彫師が彫るオリジナルのタトゥーは、時限性の毒を有していた。一か月の期間限定で能力を使えるようになる代償として、その期間を過ぎれば死が待っている。死を回避するには、誰かにタトゥーを譲渡するしかない。しかしこれでは、能力と呪いを一緒に相手に渡すことになり、相手が信用できない場合、自分の身が危険にさらされる。遠野たちの目標は、このオリジナルのタトゥーの能力と、呪術性の分離である。これができれば、無期限で能力だけを保持することが出来るようになるからだ。三人はよく働いた。研究者の性なのか、困難な問題を提示されればされるほど、研究に対して情熱的だった。二藤部司には研究のためにオリジナルの動物画のタトゥーが付与され、千里焔にはオリジナルの植物画のタトゥーが付与された。そして遠野には、静物画のタトゥーが付与された。つまり、自分を実験台にして、三人は研究をしなければならなかった。もちろん、研究所から出ることはできなかった。出られたとしても、オリジナルであるがゆえに、誰かにタトゥーを譲渡するために研究所に戻ってくると考えられていた。しかし、上層部が予期せぬ事態が起こった。司と焔が恋愛関係になったのだ。遠野はそれを薄々感じていたが、仕事さえしてくれれば二人の関係がどうなろうと、知ったことではなかった。

 

 しかし、司と焔が寮に帰った後、遠野は好奇心から司の研究の進度を見てみたくなった。同期とはいえ、ライバルでもある。有能であることを認めていただけに、司が研究よりも焔と恋に落ちたことが気に食わないというねじくれた感情もあった。司のディスクにあるパソコンを開く。もちろんパスワードが必要だったが、それも盗み見ていた。Hitomiというパスワードで、簡単に開く。そこには見慣れた研究結果のファイルが並んでいた。タトゥーに使用されている色素や、そこに混ぜ込まれている不純物の割合。つまりこの不純物が能力と呪いの源泉なのだが、その分析結果もある。その不純物は、ジョロウグモの一種の粉である可能性を示唆するレポートもあった。

 ふと、遠野がディスクトップの下の方に目をやると、ゴミ箱にデータが溜まっていた。まだ完全に削除されておらず、取り出せる状態になっていた。遠野はなんとなく、ゴミ箱をクリックした。そこには、司が隠れて取ったと思われる検体のデータがあった。その検体の名前がHitomiだった。一体何のデータかは分からなかったが、こんなふうに隠れて実験やデータ保存をしていることから、他人に後ろめたいものであると分かる。


 翌日、出勤してきた司を、俺は問い詰めた。


「Hitomi、って何だ?」


司は目を見開き、一歩引いて俺を見た。そして、顔を歪めた。笑ったのだ。


「いきなり何だよ? 瞳は目のことだろ?」


あくまでも、俺にはしらを切るつもりらしい。しかし、俺は逃がすつもりはなかった。


「昨日、お前のパソコンを見た。あのデータは何だ?」


ここに来て、司の顔から表情が抜け落ちた。怒ると思っていたが、司はそんなそぶりを見せずに、出勤してきたばかりの焔を呼んだ。


「何? どうしたの? 二人とも喧嘩は外でやってよね」


焔がいつも通りの様子でいると、司は首を振って見せた。焔の表情が曇る。


「バレたみたいだ」

「え、嘘。一君、見たの? 馬鹿ね、司。だからデータは厳重にって言ったのに」


二人にとって重大な秘密を突き付けてやったのに、二人の様子があまりにいつも通りで、俺の方がたじろいでいた。自分の見たものは、二人にとってそんなにも軽いものだったのだろうか。鬼の首を取ったと思っていたのは、俺だけか。そして俺は、自分がどうしてこんなことをやっているのかに、思い当った。俺は、司が嫌いだったのだ。焔に呼び捨てにされている司を失脚させたかった。そうすることで、俺は焔と二人だけで研究が出来ると思っていた。しかしそれは俺の勘違いだった。焔は俺よりも司を選ぶということが、ひしひしと伝わって来た。その証拠に、司の秘密の研究は、焔もかかわっているようだった。今の焔のセリフは、そうでなければ出てこない。だから、俺はこの時思ったのだ。俺の想いは、焔に届かない。焔が見ているのは、司だけだ。ならば、二人で一緒に地獄に落ちてくれ。


「一君。司はね、タトゥーの無毒化だけじゃなく、無力化の研究もしているの」


何故か焔が自慢げに言った。俺は耳を疑った。俺たちが集められたのは、タトゥーの無毒化の研究をするためだ。無力化の研究など、許されるはずもない。それなのに、司も焔も、無力化の研究に誇りを持っているように見えた。それが何故か俺にはそんな二人がまぶしかった。研究者とはこうなのだ。与えられた課題の先を見てみたくなってしまう。その衝動は、研究者なら誰しもが経験する。


「私は、司の研究は正しいと思うの」

「どこが? もし、上に知られたら……」

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