8.ガラス玉
「あなたたちが、来るまではね」
遥は俺をなじるように、言った。
「じゃあ、遥が最初にタトゥーを行使した相手は、七里さんだったんだね」
「そうよ。一人では、生きていけなかったから」
遥が七里に口づけをした理由が分かった気がする。七里が微笑みをたたえて死んでいた理由は、きっとこの二人の関係にあるのだろう。遥は七里が好きだったが、七里は遥が操っていた。だから、遥の想いは永遠に叶わない。それが分かっていたから、遥は七里に従っていたように見せていた。しかし、七里も本当は遥の事が好きだったのではないか。両思いなのに、けして結ばれない二人。そんな関係は、長く続かないことを七里も遥も感じていた。いつか、近い内に瓦解する関係。それでも二人は、互いを救い合っていた。二人でなければ、生きていけなかった。遥は、そう独白したのだ。
「そんな目で見ないで」
「ごめん」
「謝らないで」
「うん」
水牙が社の階段を下りてくる。こちらに来るのかと思ったが、道路に出て誰かに手を振っている。遠くに義水と一人の少女の姿があった。義水が水牙に応えるように、手を軽く上げた。
「遥」
呼ばれた遥は、水牙の横に立つ。どうやら義水に連れて来させたのは、グループのメンバーの少女らしい。つまり、遥の新しいタトゥーのパートナーだ。これからは少女と遥の二人で、自画像のタトゥーを保持していくのだ。
「本当に、これで良かったの?」
「あなたがタトゥーを全部なくしてくれるって話だったでしょ?」
「ああ、うん」
「早くしてよね。彼がいないタトゥーなんて、もう持っていても意味がないんだから」
不良グループの少女は岬(みさき)と名乗った。遥も自己紹介して、二人の少女は握手した。岬は緊張しているようだが、遥はどこか吹っ切れたような顔をしていた。持っていても意味がないから、俺にタトゥーの彫師の事を話したということだろう。ならば、俺にはやらなければならないことがある。俺が踵を返すと、そこには瞳とサブロウがいた。
「一人では、無理よ」
瞳が言うと、サブロウも同意するように俺に視線を投げかけた。このタトゥーを介した戦いには、最低一人のパートナーが必要だ。しかも瞳の話では、二つのタトゥーを同時に所有することは出来ない。ならば、俺にもパートナーが必要だ。パートナーを探すのが先決ということになる。しかし警察にマークされている俺に、そんな自由があるだろうか。
「義水を連れていきや」
後ろから声を上げたのは、水牙だった。
「俺はグループ内の奴がおるさかい、義水をパートナーとして連れていけ」
「でも」
義水はもうその話は受けているらしく、俺の隣に立って両腕を突き出す。俺が科学者集団から逃げ出してきた男からタトゥーを受け取って、そろそろ一か月が経とうとしている。ここで一度タトゥーをやり取りしておかなければ、重要な局面で俺がタトゥーの呪いで死んでしまう。
「受け取ってくれ」
俺は義水の両腕をつかんだ。
「拝受」
義水は水墨画のタトゥーを受け取るように、タトゥーを受け取ってくれた。しかし、義水が小さく呻き声をあげた。そのまま冷や汗を垂らして地面を転がる義水に、水牙と岬が駆け寄る。遥は無表情のまま、それを眺めていた。
「聞いたことがある」
遥は遠くから言った。
「地獄絵図のタトゥーは、他のタトゥーと違って、授受の際に焼けるような痛みを感じるって。今、義水の腕は、重度の火傷を負っているのと同じなの」
「なら」
「無駄よ」
水牙が沼の水で腕を冷やそうと考えたのか、沼の水面が揺れた。しかしそれを遥の声が制する。
「地獄絵図のタトゥーは、他のタトゥーでは相殺できない」
苦しみ、もがいていた義水の動きが、やっと収まった。それでも義水は荒い息をして、しばらく立ち上がることが出来なかった。俺も一度目はその痛みに悶絶したことがあるから、その焼けるような激痛は理解できる。そしてもう一度義水から地獄絵図のタトゥーを受け取るとなると、俺もその痛みを再び味わうことになるのだ。義水の動きはタトゥーの受け渡しが完了したと告げるように、おさまった。
「義水、大丈夫か?」
水牙が地面に寝ころんだまま荒い息をする義水を、助け起こす。義水はやっとというように、うなずいた。
「ごめん、俺、何の説明もなしに……」
しばらくして、俺は義水から再び地獄絵図のタトゥーを貰い受けた。やはり義水のように悶絶するはめになったが、もう一般人に戻ることはないのだと、痛みと共に思った。義水にこのままタトゥーを受け取ってもらえば、俺は一般人に戻れたのだろうが、それは俺自身が許せなかった。瞳には「バカね」と呆れられたが、俺はもうタトゥーがなくても一般人には戻れない。友人や先生、信者たち。俺が殺したのだ。
俺と義水、瞳とサブロウは、駅に向かって歩き出した。水牙は義水に、お守りとしてガラス玉が付いたペンダントを渡していた。義水は恭しく、そのペンダントを首から下げた。水牙と遥は、見えなくなるまで俺たちを見送ってくれた。俺たちの彫師探しの旅が、始まったのだ。
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