7.捨て子

 俺は眉間にしわを寄せて、手に力を込めた。建物の外壁を、舐めるように炎が伝っていく。あちこちで窓ガラスが割れる音がした。そこから炎が内部へと侵入した。黒い煙がもくもくと夜空に舞い上がり、その煙に追いすがるように、赤い炎が火の粉を散らしながら昇天する。建物の中からは、あちこちで「教祖様!」と叫ぶ声が聞こえていた。近くの住民が通報したのだろうか。消防車のサイレンの音が近づいてくる。同時に、警察車両や救急車のサイレンも鳴り出して、辺りは騒然としてきた。俺は壁に手を突いたまま、膝を折ってそのまま座り込んだ。


「遥、おぶされ」


潮時を見極めた水牙の背に、遥が慣れた様子で乗った。


「何しとんのや、真幌! 警察に捕まると厄介や。行くで!」

「分かってる」


俺はこの光景を目に焼き付けるように見上げて、水牙たちの後を追った。

教団が所有している施設から上がった火の手は、その発火場所は特定できなかった。何故なら建物全体が発火場所であったかのような、ひどい燃え広がり方だったからだ。そして火災で亡くなる人の多くは、炎より煙に巻かれて亡くなるのだが、今回の火災ではすべての信者の死因が焼死であった。この奇妙な火災の状況は、新聞も雑誌も報じることが出来なかった。だから翌朝の新聞を見て、俺は驚いたのだ。あの宗教団体の施設の火災が、信者の火の不始末によって引き起こされたと記事になっていたことが、信じられなかった。火元は食堂の台所とされ、煙に巻かれて信者たちが逃げ遅れて惨事になったとある。また、施設の火災対策の不備も指摘されていた。避難通路や非常階段に物が置いてあったり、防火扉などの防火設備が作動しなかったりしたとされている。過剰な信者の数も、逃げ遅れの一因だとも書いてあった。普通の人から見れば、カルトの施設が火災によって焼失したという事実さえ分かれば、それで読み飛ばされるような記事だった。あれだけ異様な火災が、ごくありふれたカルトの自業自得によって、引き起こされたことだと納得すればいい。そんな記事の書き方だった。警報装置もスプリンクラーも作動していたのに、と俺はやりきれない気分になる。

水牙と一緒に、遥が社の階段に座っていた。俺は駅に捨てられていた新聞を片付けて、遥の前で膝を折った。


「教えてくれないか。どうして君がそんなタトゥーを持ってるの?」

「昨日は、よく眠れた?」


遥は俺の問いかけを無視するように、質問で返してきた。俺はゆるゆると首を振った。眠れるわけがない。耳朶の奥には、まだサイレンと信者たちの声が鳴り響いている。頭が割れるように痛いし、気分は優れるわけがない。


「木鐸になれ」

「え? 何それ?」

「おまじない。彼は私にそう言ったの」


おそらく、遥が言う彼とは、七里のことを言っているのだろう。遥は七里の口調を真似するかのように、自分と七里について語った。

 

◆ ◆ ◆


雨のそぼ降る暗い日に、私は両親に捨てられた。そんな私の目の前に現れ、傘を差し出したのは、一人の老人だった。


「生きるためには力が必要だ。力は欲しくないか?」


雨音に紛れるように、老人は言った。その問いは、私が生を望むか望まないか、という意味だった。私は老人を見上げた。すると老人は頷いて、ただ「ついて来い」とだけ言って、踵を返した。私は死ぬのが怖かった。だから生きたかった。そんな消極的な理由から、私はタトゥーを手にすることになる。老人が足を止めたのは、黒い建物だった。どうやら表向きは、マッサージ店を模しているようだ。看板に、マッサージのメニューらしきものがあった。実際、一階部分はマッサージ店だった。しかし細くて急な階段を上ると、そこはタトゥーの施術室になっていた。椅子に座ると、黒いカーテンで仕切られた机の上に、両腕を出して置くように言われた。老人の声だった。しかし、黒くて厚いカーテンで、自分の腕を触っているのが誰なのかは、分からなかった。そして、カーテンの向こう側で、私の腕が固定されるのが分かった。


「少し、痛むが我慢だ。生きるためには、我慢が必要だ」


そう言われてすぐに、私の腕に焼けるような細かい痛みが走った。あまりの痛さに、私は悲鳴を上げて、腕を引き抜こうとした。しかし腕は何かで固定されていて、動かせなかった。私は呻き声をあげながら、ひたすら我慢した。時計がなかったから、その施術に何時間、それとも何分かかったのかは、分からなかった。痛みを感じている時は長く、終わってからは短く感じた。腕がまだ熱かったが、固定していた物が外された。私はすぐに両腕を引き抜いた。するとそこには、気味の悪いタトゥーが彫られていた。


「それは自画像のタトゥー。簡単に言ってしまえば、他人を自分の思うように操ることが出来る道具だ。存分に復讐すればいい。お前を捨てた者、蔑んだ者、憎い者。お前が死ねと命じれば、勝手に自殺してくれるぞ」


老人は面白そうに、タトゥーの説明をした。その中で、このタトゥーは能力と共に呪いを受けることが分かった。一か月間で誰かにこのタトゥーを転写しなければ、私が死ぬこと。タトゥーを転写したら、能力を失うこと。それから、私はもう一般人ではないこと。どうやらややこしことに巻き込まれたということが、実感できた。私は、それを了承した。一か月がたって、死ぬのならそれでも構わないと思って、再び街にでた。まだ、雨はやんでいなかったが、人の数は増えていた。

そこで私は、傘の群が行き交う路上で、私と同じように傘をささずに歩いている人を見つけた。その人の服の裾を引っ張ると、私と同じ目でその人は私を見つめた。焦点を結ばない絶望の瞳だった。しかし私のタトゥーを見て、その説明をすると、彼の目に光が宿った。

熱に浮かされたように、彼は言った。


「木鐸となれ」


言葉をあまり知らない私には、よく分からなかったけれど、それが教祖みたいな人をさすのだと、ぼんやりと思った。実際、そうだった。彼は私に言葉を教えてくれた。だから私は時代の趨勢も知らぬまま、彼の言葉に従った。彼の言葉はいつも直截で、それが信者を多く集めた。一時は立錐の余地もないほど、人であふれた。私は無聊だったが、文句は言えなかった。元々、露命をつないでいた私を、彼が助けてくれたのだ。私はただ、黙坐しているだけで良かった。若者の間で偽のタトゥーの膾炙に伴って、若者の入信が増えた。それでも悪いことをしているとは、豪末も思わなかった。私と彼は、確かに人を救っていた。だから、これが善行だと思って疑わなかった。彼と私は一か月以内にタトゥーを交換しながら保持し、教団を大きくしていった。


◆ ◆ ◆


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