6.謝罪
驚いて振り向くと、白襦袢姿の少女が一人、七里の死体に対峙していた。泣くでも喚くでもなく、ただ大きな黒い瞳でまっすぐに七里の顔を見ていた。黒髪を二本に結って肩に垂らし、真っ白な肌に青い血管が透けていた。唇は紅をさしたかのように赤かった。
「頑張ったよね。私たち。ここまで一緒に生きてくれてありがとう」
そう言って、少女は七里の死体に口づけをした。
「さようなら」
その声は、確かに誰の心をも虜にするような、完熟した果実のようでいて儚げな、それでいて凛として響く独特の声だった。瞳と同じくらいか、もっと年下に見えた。俺が口を開きそうになったとき、少女は俺の手を迷うことなく引いて、部屋の外に出た。俺は自分の肩より背の低い少女に引っ張られて、戸惑いを隠せないでいた。振りほどこうにも、振りほどけない何かがあった。少女は振り返らなかった。階段を下りて裏口に回ったところで、水牙たちと出くわした。
「真幌?」
水牙が俺の事を不思議そうに見るが、少女は足を止めない。
「おい、真幌? 誰、その子?」
水牙とサブロウがついてくる。
「教祖なのでは?」
サブロウが水牙に問いかける。水牙は目を丸くして、俺を引っ張る少女を見つめた。どうやら水牙は教祖を探していたが、見つけられずにいたようだ。まさか祭壇の裏に本当に教祖がいるとは思ってもみなかったらしい。俺だって、驚いている。しかし少女の足に、一切の迷いがない。建物の構造や信者たちの動きが、すべて頭に入っているのだろう。瞳は薬で眠らされていたのか、まだサブロウの腕の中で眠っている。
「お前が、教祖なん?」
少女は少し間をおいてから、小さい声ではっきりと言った。
「
もう教祖ではない、ということは、やはり目の前で俺の手を引く少女は教祖様だったのだ。こんな小さい少女は、ここにいる信者たちに、救いを与える存在だった。しかし、少女は自らそれはもう過去の事だと断言したのだ。少女はちらりと俺を見た。
「あなたに、お願いがあります。この建物を全て燃やして下さい」
遥が「この」と指示したのは、まだ人が多く暮らす教団の建物だった。見上げる少女の目には、揺るぎない決意があった。しかし、もう教祖ではないとしても、自分の信者ごと建物すべてを焼き払うということは、許される行為ではない。遥にとっては、過去との決別なのかもしれないが、ここにはまだ空位であっても教祖が必要だ。少なくても、俺はそう思う。
「あなたのそれは、優しさではなく、同情です」
遥はきっぱりとこう言い捨てた。そこに水牙が乗る。
「仕方ないけど、そうするしかないなぁ」
「何でいつもそうなるんだよ? 水牙は人の命を何だと思ってるんだ⁈」
祭壇の部屋で襲い掛かって来た信者を前にした時も、水牙は信者たちを殺そうとした。いくら襲われているからと言っても、相手は偽のタトゥーだ。力の差は歴然としていた。それなのに、水牙は迷うことなく信者たちに刃を向けた。
「救われているなら、死んでもええって言っとったのは、どこの誰や?」
「違う。俺が言いたかったのは、そういうことじゃない!」
「じゃあ、どうすればええって言う気や?」
信者たちの寿命は、皆一か月未満。偽タトゥーが彫られていて、命を救う術はもうない。ただし遥が洗脳した信者たちは、遥の為なら死んでもいいと思っている。そして何より、今なら信者たちは、死への恐れや不安から解放されている。ここで遥を連れ出せば、ここは死体で溢れ、その死体は科学者集団に持ち去られ、物のように扱われて調査され、捨てられる。この調査研究から、また新しい偽タトゥーの被害者が出る。負の連鎖は、ここで断ち切るしか方法がない。つまり、俺のタトゥーで信者たちを焼き殺せば、信者たちの心を救うことが出来る。さらに、科学者集団に信者たちの死体が渡ることがない。
(矛盾だな)
俺は自分が言っていることが、遥の言う通りだと気付いた。俺は優しいのではない。俺は信者たちに同情しているだけだ。信者たちに、過去の自分を重ねているだけだ。
「あなたが焼いてくれないなら、私がタトゥーでそうさせてあげる」
白襦袢をたくし上げて、遥が言った。その腕には自画像のタトゥーがあった。つまり、遥が俺を洗脳して建物を焼き払うか、俺の意志で焼き払うかの違いであって、結果は変わらないのだ。
「分かったよ」
俺は建物の外壁に両手を突いた。殺したくないし、殺されたくなかった。死にたくないし、生きていたかった。俺も、同じ思いだ。もしも俺がもう少しでも強かったら、こんなことを選択しなくても良かったのか。それとも、俺ではなく、別の誰かが俺のような選択をしていたのか。仮定の話はもう十分かもしれない。過去への仮定は、後悔しか連れて来ない。せめて、未来への仮定の話が出来たら良かった。
(ごめん)
何度も謝った俺は、腕に神経と意識を集中させた。
(応えよ、タトゥー)
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