4.守護者
水牙が大きく舌打ちして、俺を忌々し気に睨んでいる。それでも、俺の考えや態度は変わらなかった。その光景に、男たちは皆尻もちをついたり、怯えた様子で後退りしたりした。水牙は俺の胸ぐらをつかんで、唾を飛ばして叫んだ。
「早くその教祖様を引きずり出して、救急車呼ばな、サブロウが死んでまうで⁉ 分かっとんのか? 見ぃや、あの血! 加減したと言うてもな、重傷やで!」
「ごめん。でも、俺は……」
俺は水牙の両腕をつかんで、強引に突き放した。
「俺は、この人たちを見捨てられない!」
大きなため息とともに、水牙はその場に座り込んだ。そして、投げやりに言った。
「そうか。でも、残酷やな。時間や」
近くで、悲鳴が上がった。女性特有の金切声ではなく、男性の野太い叫びだった。一人の男が、床でのたうち回っていた。その男のタトゥーは顔面までをも覆っていて、やがてその男は口から大量の血を吐いた。
「助けて、くれ。教祖様、教祖様、きょうそ、さ、ま」
男は血を吐きながら、教祖様に縋っていた。しかし今度は男の毛穴という毛穴全てから、血がほとばしり始め、床を盛大に血で赤く染め、男は自分の血でできた海に沈んだ。この光景に、水牙以外は身を引いて、揺れる視野で男の死を見ていた。動揺どころの話ではない。次は自分がこうなるのだと、知らしめられたのだ。敵も味方も忘れて、全員が息をのんで死体を見つめる中、今度はドアが開く音がした。その音に反応できたのは、水牙だけだった。
「おや。間に合わなかったようですね」
七里は何の感慨も見せずに、いつもと変わらない口調で血の海を見ていた。そして、虎に目を移し、ため息をついた。
「徒爾に終わりましたか。まあ、多少の蹉跌は想定内です」
七里と距離を取っていた水牙は、額に青筋を立てて七里をにらみつけた。対する七里は、涼しい顔で眼鏡のつるを押し上げる。俺の背筋がぞわぞわといった。目の前にいる神父服の男の言動が、理解できなかった。自分の仲間が壮絶な死を迎えたのに、表情を崩さずに立っていられるなんて、信じられない。そして、仲間の死を見た他の男たちも、仲間の死を悼むどころか、自分が次に同じ目に遭うと恐れてばかりだった。そして、七里に縋ってその存在を守ろうとしたことは、衝撃的だった。しかし裏を返せば、それだけ信者たちは七里や教祖様以外に信じるものを持っていないのだ。それと同時に、やはり自分の死というものを、恐れている。
「真幌、見たやろ? これがこいつらのやっとることや。信者を使い捨てにしとるだけや! ほんまに救われたいならな、自分で信じるものを見つけなあかんのや! 贖罪かて、自分自身でせなあかん。それをカルトの慈善行為や社会奉仕活動っていう、聞こえのええもんにすり替えてるだけや! 気付け! アホ!」
「でも、俺は」
「皆さん、瀆神者を許してはなりません」
七里の言葉をきっかけに、男たちは水牙に向かって行った。今の信者たちは、自分の死をも恐れてはいない。信仰心で目くらましになっているのだ。その一時でも自分に迫りくる残酷な死を忘れられたのなら、俺はそれはあってもいいのではないかと思ったのだ。水牙は贖罪をすり替えたと言ったが、すり替えた結果、社会に奉仕に繋がるのであれば、むしろ正しいのではないかと、思った。
「先ほど、取引と言っていましたが、どういった条件でしょうか?」
「この教団は、偽タトゥーで死んだ人の死体を、科学者集団に譲渡する代わりに、科
学者集団から協力を得て、信者を集めていますね? それを、やめて下さい」
おそらく、ネット上に噂のごとく流れている偽タトゥーの情報や、助かる方法としての教団の情報は、科学者集団が流したものだ。自分たちで実験用に偽タトゥーを彫り、その死体も調査するために回収しているのだ。死体の回収には手間がかかるため、宗教団体に偽タトゥーの保持者を集め、死体もそこから横流ししてもらっているのだろう。やっていることは完全に倫理も常識も逸脱しているが、効率さえ考えればこれほど効率的な方法はない。
「止める代わりに、あなたは我々に何をしてくれるのですか?」
「俺がこの教団を守ります」
俺がそう言い切ったところで、二回目の悲鳴が上がった。先ほどと同じ悲鳴だった。ただ違っていたのは、その悲鳴が数人分であったことだ。水牙の周りで、男たち全員が床に伏していた。そして「教祖様」と連呼しながら、悶え苦しみ、阿鼻叫喚の中、血の海に沈んだ。水牙は信者たちの血を浴びて、佇んでいた。
「彼はそれを許さないでしょう。まして、口約束なんて」
「彼より、俺のタトゥーの方が強い」
俺は腕をまくって、七里にタトゥーを示した。一瞬、七里が目を見開いた。そして感嘆をもらす。
「そうですか。分かりました」
七里は祭壇の中央に声を投げかけた。
「教祖様、取引に御許可を!」
しばらくして、女の声が降ってくる。
「あなたにこの件は、一任します」
「有難うございます、教祖様」
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