2.偽タトゥー

 建物の裏口から入った水牙と真幌は、エレベーターで最上階までやって来た。壁伝いに警戒しながら進んでいく。しかし肩透かしを食らった気分になった。祭壇の間と呼ばれているらしい部屋の前まで、誰にも会わず、警報装置も作動しなかった。おそらく、正面玄関の火災に四苦八苦している頃だろう。水牙は祭壇の間のドアに耳を当て、中の様子をうかがおうとしたが、防音が施されているのか、部屋の中から音がもれてくることはなかった。水牙がドアノブを回す。鍵はかかっておらず、かちりという音と共に、すんなりドアが開いた。水牙が覚悟を問うように視線を投げかけてきたので、俺はそれに深くうなずいた。そして水牙はそのまま部屋に押し入った。そこに飛び込んできたのは、信じがたい光景だった。


「瞳、無事か⁉」


部屋の中には葬儀の時に見るような祭壇があった。そして祭壇の下には一頭の虎が、眠る瞳を守るように寝そべっていた。水牙も俺も、安堵の息をもらす。虎はおそらくサブロウだろう。


「何や。二人とも寝とんのかい」

「良かった」


水牙は周りを警戒しつつ二人に近づき、瞳の拘束を解こうと手を伸ばした。その瞬間だった。おとなしく寝そべっていたと思った虎が、急に目を見開き、水牙に正面から襲い掛かったのだ。寸でのところで水牙は虎の牙を避けることが出来たが、肩は服が破れ、流血している。虎の爪をよけきることは、水牙でも無理だったのだ。


「水牙! サブロウ、何やってんだ⁉」


虎は炯々と瞳を輝かせ、低い唸り声を発している。水牙は傷ついた肩を抑えながら、虎から距離を取った。俺もそれに倣う。


「サブロウ?」

「無駄や。たぶん、自画像のタトゥーの影響下にあるさかい、俺らの声は今のサブロウには届かへん」

「自画像の、タトゥー?」

「せや。この宗教団体が所持してるタトゥーがそれやな」

「他人を操るんですか? え? でも、他人に干渉できるタトゥーって、俺のタトゥー以外にはないはずじゃ?」

「頭ええやないか。確かに他人に直接干渉できるタトゥーは、地獄絵図のタトゥーだけや。でも、自画像のタトゥーは、間接的に他人に干渉するんや。他人に干渉してるふりして、実は自分を相手にとって魅力的な存在に見せる。それがこのタトゥーの厄介なところや」

「自分を書き換えることが出来るから、ってこと?」

「まあな。しかも、相手が勝手に勘違いしてくれるから、労力もいらへんし。参ったわぁ。まさか嬢ちゃんやのうて、サブロウ狙いだったとはな。ああ、だから俺はここ嫌いやねん。味方同士を潰し合いさせて、自分は高みの見物。最悪なサディストや」


水牙は傷ついた肩を強く抑えながら、吐き出すように言った。


「サブロウはどうすればもとに戻るの?」

「タトゥーがなくなるか、タトゥー保持者が死ぬかのどっちかや」


つまり、タトゥーの術者が健在な限り、サブロウは俺たちを敵とみなして攻撃し続けるということだ。タトゥーをなくせるのは、俺の仕事だ。オリジナルのタトゥーは、地獄絵図のタトゥーの能力でなければ燃やせないからだ。


「それで、自画像のタトゥーの保持者は⁉」

「知らんわ! 俺たち以外この部屋にはおらんようやしな」

「じゃあ、どうすれば?」

「俺がここを抑えとる隙に、真幌は保持者を探せ」

「でも!」

「足手まといや。一般人! 早う行け!」


俺はうなずいて、部屋のドアまで走った。しかしそこに、数人の男たちが雪崩れ込んで来た。俺はあっという間に男たちに押し流され、元の祭壇の部屋に尻もちをついていた。


「何やっとんねん」


さすがの水牙も、これにはあきれ顔だ。俺だって自分がこんなに役立たずだとは思わなかった。水牙は虎の攻撃をかわしながら、空気中の水分を集めて何度も虎の顔に浴びせかける。まるで、寝ぼけている相手に水をかけるようだった。雪崩れ込んで来た男たちの中に、見覚えのある顔があった。偽タトゥーを持ってしまい、水牙に敗戦したあの男だ。男たちは皆、同じ作務衣のような服を着ていた。それだけではない。男たち全員が、タトゥーを全身に彫り込んでいる。いや、初めから彫り込んであったわけではなく、タトゥーが身体を覆いつくすように増殖しているのだ。つまりこの男たちは、余命わずかだということになる。俺は、瞳と水牙のやり取りを思い出した。

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