9.洗脳

「思い出しなさい、あなたの罪を」


瞳を拘束している赤黒い紐を、小さな鼠が音もたてずに齧っていた。それを隠すように、瞳は言葉を発する。


「あなたこそ、どうしてあんな男に従ってんのよ?」

「あなたは、過去に人を傷つけた。それを悔い改めなさい」

「水牙から聞いた話では、拾われた孤児ってことだけど、間違いない?」

「あなたは他人から、恨まれている。必要とされない、悲しい子」

「否定は、しないのね?」

「私が、あなたを救ってあげる」


鼠が、紐を齧るのをやめた。そればかりか、動きがおかしかった。大きな耳を両手で抑え、苦しんでいる。これに気付いた瞳は、心の中で舌打ちした。七里は、この鼠の存在に最初から気が付いていた。それなのに、あえて鼠を追い払わなかったのは、この鼠がサブロウだと知っていたからだ。そして、初めから洗脳の対象は瞳ではなく、サブロウの方だった。この鉄筋コンクリートの建物はよく手入れされていて、雑草一つ見つからなかった。この部屋を埋め尽くす祭壇の花も、よくできた造花だ。瞳の能力は使えない。そうなると、瞳を洗脳するよりも、その従者であり、強力なタトゥーの能力が使えるサブロウを仲間に引き入れた方が得策だと、七里は踏んでいたのだ。つまり、七里の瞳に対する言動は、全て演技だったということになる。そして女の言葉も、実は瞳に対して発せられたものではなく、全てサブロウに向けられていたのだ。今、鼠に変化したサブロウの脳内では、教祖様なる女の声が、渦を巻いているのだろう。


「サブロウ、しっかりしなさい!」

「懺悔なさい。罪を背負って苦しむことは、今日で終わりにしましょう」

「聞いちゃ駄目! 早く紐を切って!」

「俺、は、救われるのか?」


鼠が呆然と言葉を発した。瞳はその言葉に、がっくりと首を折った。祭壇の奥で、教祖様はほくそ笑んだ。


「はい。私が、救ってあげましょう」

「教祖、様」


鼠が高く跳ねて、瞳の体の陰から飛び出した。その瞬間、小さな鼠は巨大な虎へと変じた。虎は、祭壇を守るようにして、瞳と対峙した。七里はその様子を防犯カメラのモニター室で鑑賞し、哄笑した。するとそこへ、火災報知機のけたたましい音が鳴り響いた。


「来たか」


七里は神父服を翻して、モニター室の椅子から立ち上がった。

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