4.いらない

肩を落としたまま、七里にそう言った。七里はそんな高木に優しく微笑んで、眼鏡の奥の瞳を細めた。


「着物も、作業着も、食べ物も、寝る場所も、こちらで支給させて頂きます。なので、身一つさえあれば、十分です」

「じゃあ、お金もいらないです。寄付させてください」


高木は七里に建物の中を案内された。寝泊まりするところは二段ベッドが二つ置いてあり、かなり狭かった。信者が多くなってしまったため、元々一人部屋だったところに、四人を収容しなければならなくなったのだという。服は修行着二組と作業着一組だけなので、ベッドの枕元に重ねてあった。その他の下着類も微々たるもので、信者は洗濯室で自分で洗濯をするのだという。小さなコインランドリー室もあったが、殺風景な所に、小さなものが三つしかなかった。食事は一日三食、食堂で皆が集まって食べるのだという。その際には教祖様からお言葉があると聞いたため、高木は食事が楽しみになった。風呂はなかったが、シャワー室があった。まるで合宿所のような造りだが、同じ建物に教祖様がいて、信者たちと同じ生活を送っているというので、高木はそれだけで嬉しかった。


「今日中に入れますか?」

「少し、時間を置きましょう。ご自身で一度冷静になって考えてから、決めて下さい。あなたの人生を決定する大事な決断ですからね」


七里は眼鏡を押し上げて、高木に言い聞かせた。高木は残念そうに、しかし素直に「はい」と小さく返事をした。そして何かに気付いて、顔を上げた。


「駄目です。家には警察がいるはずです」


七里は不安がる高木の肩に軽く手を置いて、「あなたには、教祖様がついているので大丈夫ですよ」と、穏やかな口調で告げた。高木はその言葉に、体を小さく震わせた。そして「教祖様がいるのだから」とすぐに納得して、家路についた。

 

 そして家に着いた高木は、自分の口座に残っていた現金を、全て七里に教わった口座に振り込んだ。そして財産を全て売却する手続きを取って、振込口座の指定を行った。もちろん、全額七里の指定した口座だ。自分はこれからあそこで生活するのだから、生活費はそうしたほうがいいと思った。服も家具もリサイクルショップやフリマアプリで売ってしまった。そうすると、不思議に自分の身の回りがさっぱりとした印象を受け、心地よかった。その上、やはり教祖様のおかげなのか、家に警察が張り込んでいることも、乗り込んでくることもなかった。他人一人を殺してしまった罪悪感からは逃れられないが、警察に捕まってしまえば、二度と教祖様に会えなくなる。それだけは嫌だった。

 

 数日が経つと、高木のタトゥーは腕だけではなく肩までを覆うようになった。しかし、あれほどまでに恐れていた死への想いは、すっかり消えていた。その代わりあったのは、教祖様への変わらない尊崇の念だった。全ての手続きを終えた高木は、再び懺悔室に現れた。この時にはもう、遮光カーテンが取り払われていた。七里の声が牧歌的に響く。そして七里は、高木にとって衝撃的なことを話し始めた。


「高木さん」

「はい」


初めて名前を呼ばれて驚く。


「実は、教祖様からあなたにお願いがあるそうです。これは滅多なことではありません。教祖様が一信者、しかも入信したばかりの方に、個人的に仕事を依頼する。こんなことは初めてです。きっと、重い使命が待っています。どうしますか?」

「どうって……」


そんなものは高木にとって、愚問だった。どんな困難があろうとも、それが教祖様の頼み事であるならば、命を賭して仕事を完遂してみせる。そのくらいの使命感なら、もう既に持ち合わせている。


「もちろん、俺にできることがあれば、何でも」

「では、教祖様の祭壇へ行って下さい。教祖様がお待ちです」


初めに来た時にあった隣の部屋だと思い出す。待っていてもらうことが申し訳なく、何よりうれしく思えた。高木はすぐに懺悔室を出て、隣の部屋に入った。相変わらず、見事な花の祭壇だ。そしてすでに人の気配があった。高木は目の前の社の中に教祖がいることを、確信した。しかし自分から声をかけることは、本来許されるべくもない。ここでは高木は新人であり、身分が最も低いのだ。


「よく来てくれました」


小さな社の中から、澄み切った声が発せられる。この声を聞くと、高木は天にも昇る気持ちがするようになった。今まで聞いたことがない神聖な声なのに、妙に耳朶に馴染んで離れない。不思議な声だった。


「時間がないので、単刀直入に言います。私の命を狙っている人から、私を守って下さい」


体の芯がぞくりといった。教祖様の命を狙っている奴がいるという、そのことに対する怒り。自分が教祖様を守れるという喜び。まるで姫を守る騎士になったような高揚感。そして七里に言われた「初めて」という言葉。それは自分が特別な存在だと高木に思わせるには十分だった。つまり、自分が教祖様を守ることが出来るという事態に、体が打ち震えていたのだ。そして、自分にはタトゥーがあることを思い出し、この力はこの時の為にあったのだということに気付く。罪滅ぼしに、教祖様を守るというわけではないが、それすらも教祖様の思し召しに思えた。

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