3.カニバリズム
「これは、失礼を。私は
「俺は、
高木は不承不承な態度を示しながら、投げやりに言った。
「分かりました。ただ、入信に際しては教祖様に会って、最終的な判断を仰がなければなりません。これからお会いできますが、いかがです?」
高木は心の中で舌打ちした。面倒な手順に、いかにも入信の儀礼的なものを感じたからだ。高木としては、早く自分のタトゥーをどうにかしてほしいのに、話がずらされていると感じるのも当然だった。
「分かったから、早くその教祖に会わせろよ。そいつが助けてくれるんだろ?」
「そうです。では、右隣の部屋に移動してください」
高木は今度こそ大きく舌打ちをして、狭い懺悔室を出た。そしてすぐに右隣の部屋に入った。その部屋には、いつか目にした葬儀場の風景が広がっていた。そして故人の遺影が飾られているべき部分に、人一人がやっと入ることが出来るくらいの、仏壇のような物があった。高木には分からなかったが、それは仏教でいえば秘仏を納めておくところ、もしくは神社の御神体が納められているところを模した部分だった。祭壇の上に、小さな社が乗っていると表現したほうが適切であろうか。とにかく、教祖はその中にいるらしい。
高木は気に入らなかった。高いところから見下ろされているようで、腹が立ったのだ。高木が殺した先輩も、そうだった。後輩だからと雑用ばかり押し付けて、高木を見下していた。タトゥーを皆の前で披露した時、他の連中は恐れをなして一歩引いたのに、その先輩だけが注意し、消すように諭した。その諭すような教師のような言い方も、ちっとも恐れない態度も、全部気に食わなかった。だから、憎かった。SNSで得た情報通りの効力があるのなら、それで殺してやりたいと思うほどだった。水墨画のタトゥーなら、水が操れると書いてあった。だから高木は、空気中の水蒸気が集まり、刃となって先輩の首を切り裂くイメージを繰り返し持った。ぼんやり思っていたモノが、徐々に具体的になっていった。そして、殺意とイメージが合致した時、本当にその光景が目に飛び込んできた。悲鳴。金切声。阿鼻叫喚。先輩の首から噴き出す大量の血液が、壁や天井を汚していた。そんな最中に、スマホが震えた。そして自分のタトゥーが「人食いタトゥー」であることを知らされた。だから高木は会社から逃げたのだ。そして必死にSNSの情報を集め、ここまでたどり着いた。
高木は笑いたくなった。いや、もう笑っていた。高木は自分を勝者だと思った。タトゥーを手にしたときと同じ優越感と高揚感があった。最近の若者の死因不明の遺体は、ほとんどが人食いタトゥーによるものだとネット上にあった。自分もそうなる運命かと思っていたが、自分は助かる。しかも、この魔法のような力さえ、手放すことはない。
「最高じゃねぇか」
そして高木は祭壇の上を見つめた。
「おい、教祖様。早く助けてくれよ」
完全に、他人を小馬鹿にした口調だった。
「新しい入信者をお迎えいたします。あなたは、何でもすると言ったそうですね」
「ああ。助かるためなら、何でもする」
「良い心がけです」
教祖の声は、女性のものだった。澄んでいて、凛としている。若い女の声は、部屋に良く響いた。
「その心を、神に捧げなさい」
高木は鼻で笑った。神様なんて信じたことはない。そもそも、いるわけがない。神様ということは、神道系かキリスト教系なのかもしれないが、高木にとってはどうでもいいことだった。しかし、高木の心身に変化が起こり始めた。それは高木自身が気が付かない内に、徐々に起こり始めていた変化だった。人食いタトゥーという非現実的なものがあるのなら、神に近い人間だっていてもおかしくない。むしろ、自分にとっては神様と言っても過言ではない。何故なら、死なずに済むのだから。そう考え始めたのだった。そしてその思考は加速していった。
目の前にいるのは、自分にとっての神様だ。自分を助けてくれる唯一の存在だ。高木の中の優越感や高揚感などの雑念は、消し飛んだ。その後に残ったのは、声だけしか聞こえない女性への尊崇と畏怖の念だった。
「今日からあなたは、私の友であり、家族です。世話は七里に任せます。他の友人や家族たちと友好な関係を結び、日々の生活を整え、奉仕活動に従事してい下さい」
「はい。教祖様」
高木は全身に鳥肌が立つのを感じた。声だけの女性に恋をしたのは、初めてだった。その声は高木にとって、優しく温かなものに感じた。初めて聞いた声なのに、懐かしいとさえ、思えた。教祖からの言葉は、全身を貫く快感となった。
「それでは、あなたに神の御加護がありますように」
その声の語尾はわずかに笑っていた。高木はいつの間にか、床に正座して土下座するようなかっこうをしていた。これも、高木には無意識の行動だった。そして高木はこれまで自分が犯した悪行の数々で、頭がいっぱいだった。その中でも先輩を殺してしまったことに対しては、今ここで自分の命をもって償いたいとさえ思えた。高木は付き物が落ちたかのように悄然として、部屋を出ていった。もう祭壇には人の気配がなかった。
廊下に出ると、七里が待っていた。高木の様子に、七里は満足げにうなずいた。
「俺、全部もういらないです」
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