2.情報

きっと、この青年は、他人の命を軽んじている。そうでなければ、今の自分に対して「余命」という言葉が不適切だと気付くはずだ。しかしこの青年は、ドラマの中の悲劇の主人公になったつもりでいるのだ。自分や自分の家族が余命宣告を本当に受けたことがあれば、それがどれほど衝撃的で痛ましく、理不尽に感じるか想像できるはずだ。


「でも、それを知ってるってことは、助ける方法も、知ってるんだろ? なあ、そうだろ?」


青年は、ネットの情報がデマだったと知りながら、なおも助けを求める。他人の死を目にしてもなお、その現実から逃げるように、目を逸らし続ける気なのだ。ネットでは力を使ったら死ぬはずではなかったのか。青年の言動は矛盾しているし、一貫性も見受けられない。これくらいの青年たちが、皆このような思考を持ち、言動として現しているのであれば、世も末と言ったところである。しかし、それが人間らしいと言えば人間らしかった。男はもう一枚のカーテンの奥で、静かにほくそ笑んだ。


「君がこちらの人間になるならば、私どもは君を救うことになる。だが、そうでない場合は、私どもは何も出来ることはない」


少々奇妙な言い回しだったが、青年はそんな些細なことはもう考えていなかた。救うことが出来る。そのたった一言で、十分だった。何故ならこうなることは、ネットの海に漂っていたからだ。


『なんか、ヤバイタトゥーあるらしい』

『そのタトゥーで人が殺せるらしい』

『でも、殺したら自分も死ぬんだって。エグイ』

『助かる方法は、下記住所に行けば分かるっぽいよ』

『えー。その住所ってカルトの住所だって有名だけど?』 

『何もしないよりまし』

『信者を集めるためのデマじゃん?』

『それ、あり得る』


青年はこういったSNS上の会話を、幾度となく目にした。そしてそのタトゥーはいつしか若者たちの間で「人食いタトゥー」と呼ばれるようになった。死が近づくにつれ、タトゥーが体を覆い始め、最後にはタトゥーに食われるように死ぬからだという。そんな話は胡散臭いと、青年は思っていた。しかし、実際に彫師に合って「人食いタトゥー」を彫ってもらうと、世間に対して優越感があった。元から気に食わなかった上司を、殺すイメージを持つと、そのイメージ通りになって上司が死んだ。このことで、青年は胡散臭いと思っていたSNS上の会話を信じるようになった。死というものが、目の前に突き付けられたことで、青年は藁にも縋る思いで、ここにやってきたのだ。だから青年は、信仰心こそ持たなかったが、形だけでも入信するつもりでいた。


「本当に、助けてもらえるのか?」

「はい。救って差し上げましょう」

「こうやって信者を集めてどうする気だ? 俺に何か危ないことをさせるんじゃないだろうな?」

「君はやはり勘違いしていますね。私たちは世間からカルトと呼ばれることが多いのですが、それは間違いです。私どもは慈善団体です。君のような方々と共に罪滅ぼしをしながら、社会貢献活動をしているのです」


冷静な言葉が、青年にとっては信じられなかった。どこまでも淡々とした説明に、青年は反感を持ち、小馬鹿にされているようにさえ思えたのだ。


「何も知らないと思うなよ。それがカルトの手口だろう? 慈善団体とか、社会貢献だとか、ただの偽善じゃないか。そうやって活動に引きずり込んで、金をふんだくってるんだろ?」


個人としての人間が人を殺す動機としての順番は、人、物、金の順番だとよく言われる。つまり第一に人間関係のもつれや希薄さが、殺人動機になる。次に、物、特に食べ物や消費物のやり取りが殺人動機になる。最後に、金が殺人動機になる。しかし最近はその順序が変わってきているように思える。特に金に関しては、それが第一の殺人動機となる傾向が強くなってきている。この青年の場合、自分にとって重要なのはプライド、金、人の命の順番であろう。タトゥーを手に入れてから得たという優越感。人の命よりも自分の命だと言わんばかりの、これまでの言動。そして、今度は金の心配。


「お金は、君の了承なくいただくことは絶対にありません。約束します」

「ほ、本当に?」

「はい」


青年はここに来て、入信することが怖くなったようだ。確かに、信者からの寄付などに頼らず、どのように経済活動を行っているか不思議に思うだろう。ここを運営し、こうして他人のために活動しているのだ。どれだけ信者がいるのか分からないが、やはり社会貢献活動や慈善事業は、儲かる仕事を信者にやらせて、金は団体が吸収しているのかもしれない。青年は、自分の命と無報酬の仕事を、秤にかけた。今までなら、報酬のない仕事をやることは考えもしなかたが、それによって命の保証ができるなら、仕方ない。青年はようやく決意したようだ。もちろん、命の保証がされれば、逃げ出すことも考えた。それに、活動をさぼることも考えた上での判断だ。


「じゃあ、お願いします」

「お名前をお聞きしても、よろしいですか?」

「そっちが先に名乗らないのか?」

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