9.蟲毒

「背負う?」

「そうや。これから一生、お前は贖罪に生きるんや。ほんまは、分かっとんのやろ? せやから、反撃せんかったんやろ?」

「お、おれ、は。俺は、もう二度と、このタトゥーで人殺しはしない」

「何や。分かってたんか。そりゃ、蹴られ損やったな」


水牙はまた笑う。大きな口を開けて、白い歯を見せて、大声で笑う。そんな姿を見て、俺はいつから笑わなくなっていたのか考えた。しかし、思い出すことが出来なかった。佐久間、富田、葉月、先生、カウンセラーさん、ごめん。でも、もう逃げないよ。俺はもう、自分が犯した罪から逃げない。だから、戦う。


「教えてほしい。どうやったら、俺や皆のタトゥーは消せるんだ?」


俺は水牙に懇願したが、水牙はいつの間にか横に立っていた少女を仰ぐだけだった。


「今度は私が話す番よ。私はひとみ。よろしくね、真幌」

「あの、彼は?」


俺が和服の男に視線を送ると、瞳はああ、と短くもらした。


「彼は私の従者で、サブロウよ」

「サブロウ?」

「名前がないから、私が勝手にそう呼んでるの。ね?」


サブロウは目を伏せて、俺に一礼した。俺も頭だけ傾けて応じた。


「正直、見直したわ。自分から他のタトゥーも消したいと言い出すなんて」


瞳は初めて俺に微笑んだ。出会ってから厳しいことばかり言われてきたから、少し生意気だと思っていた節があったが、こうしてみると本当にまだあどけない少女だった。


「駅前であなたのタトゥーを、オリジナルって言ったのは覚えてる?」

「もちろん」


義水に「本物か」と問われた瞳は、「この紐で縛ってあるってことは、オリジナルでしょ?」と応えていた。オリジナルがあると言うことは、偽物のタトゥーもあるということだ。そして、その区別はあの紐によってなされている。


「あの紐で見分けるの?」

「御察しの通りよ」


呟くように言った瞳は、だって、と続けた。


「あれは私の血液がしみ込んだ紐だもの」

「え? それはどういうこと?」

「私の血液は、タトゥーを無効にできる唯一のものなの」

「でも、瞳の血に頼ってちゃ、意味ないよ。もっと根本的なこと、まだだよね?」


瞳は俺にまだ言っていないことがある。それはきっと、知れば恐ろしくなるものだ。俺はまだ、この世に何故こんなモノがあるのか聞かされていない。何故、ファッションの一部でしかないはずのタトゥーが、凶器として使われているのか。すなわち、タトゥーを生み出したのは、誰なのかということだ。瞳もうなずく。


「タトゥーは、彫師と呼ばれる人が彫る。当然、私たちのタトゥーにも、彫師がいる」

「その彫師が、力のあるタトゥーを作った?」

「そういうことになるわね」

「でも、どうやって?」

「蟲毒って、聞いたことない?」


俺が首を横に振ると、瞳は想定内だというように、再びうなずいた。その後、瞳は淡々とした口調で、気味の悪い話を始めた。蟲毒は元々蜘蛛を使って行われる呪術だった。一つの入れ物の中に、多数の蜘蛛を入れて共食いさせ、最後に残った一匹を呪術に使う。俺たちのタトゥーを彫った彫師は、この蟲毒に通じていた。

 日本では、タトゥーの対訳として「イレズミ」という言葉が用いられる。しかしその表記の仕方は様々だ。「いれずみ」、「イレズミ」、「文身」、「刺青」、「入墨」という具合。「刺青」は比較的新しい表記の仕方で、昭和の文豪が作品名に「刺青」と使ったことがきっかけで世間に広まったという。タトゥーは「洋彫り」と言われるのに対して、イレズミは「和彫り」と言われる。タトゥーは現在ではおしゃれの一部として、若者の間で広く受け入れられている。アーティストやプロスポーツ選手など、ファッションアイコンとなる人々がタトゥーを公にしている他、ボーダレスの社会で海外のタトゥーが日本でも受け入れられている。その一方で、いまだに日本の銭湯や温泉、プールではイレズミはお断りとなっている。日本のイレズミは、江戸時代に刑罰の一つとなったり、明治時代に彫師もその客も取り締まりの対象となったり、さらには任侠映画でヤクザとイレズミが結びついてしまったりして、暗くて怖いイメージが人々の心に入り込んだ。そして社会の周縁に追い込まれた文化は、他の周縁の文化と結びつきやすい傾向にある。


「それを利用したのが、私たちのタトゥーを彫った彫師よ。でも、それだけではないの」


瞳は、中学生らしからぬ説明を続けた。その口調は、説明することに慣れているように、滑らかだった。イレズミは多くの社会において、通過儀礼であり、身体変工の一つだった。身体変工は身体加工と言い替えたほうが、分かりやすいだろう。抜歯や性器の一部を切り取る割礼、頭蓋骨の変形させることや纏足、そしてイレズミも含まれる。こうしてみると、日本人とは違った民族の話かと思われるもしれないが、毛を剃ったり、化粧をしたり、コンタクトをしたりする、日本人が毎日やっていることも、身体加工といえる。つまり、身体への加工は、その社会に適応して生きていくためには、欠かせないものなのだ。もう一歩踏み込めば、身体加工、特にイレズミは、結婚、死、魔除けや聖性の獲得とも結びついている。結婚に向けて日々化粧をすることや、死に化粧の風習などを思い出せば、現代日本でも分かりやすいだろう。


「つまり、タトゥーは、その社会の一員であることの証明書なの。そして、もとから呪術性がある。さっきの話と今の話が結びついて、私たちのタトゥーは生まれたのよ」

「でも、どうしてタトゥーがこんな力を?」

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