3.マウス

「わぁっ! マウスになるために生まれてきてくれたんだね! 御両親には生かしてくれたことに感謝しないと! 先輩、三百万で本当に良かったんですか?」

「ああ。あっちからそれでいいと言ったらしいからな」


たった三百万円が、俺の命の価値と言うわけだ。そしてその金額が、家族一人の存在価値だった。虐待を受けて育った俺にとっては、高すぎるかもしれない。それにしても、「先輩」のデータ読み上げで、本当に俺は孤独なのだと知った。俺が死んでも誰も気にしない。きっと死んだことすら気付いてもらえない。新聞紙の国際欄に載っている、どこかの遠い国の名もなき青年が死んだのと、ほぼ同じなのだ。それは視界の端に、ただの数字としてしか扱われない。それならば、実験用のマウスだったとしても、何か人の役に立って死ねば、少しは救われるのだろうか。理科の授業で、解剖されたハツカネズミを思い出す。生物の係だった俺が世話をして、繁殖させていたハツカネズミだった。途中に共食いをするなどのハプニングはあったが、無事に授業に間に合った。まさかそんな俺が、今度は実験される側に立つとは、思ってもみなかった。現実とは小説より奇なりという言葉があるが、自分の将来に、実験用マウスになるという可能性を考える人間は、いないだろう。

ハグをし続ける百田を、「先輩」が引きはがす。百田は残念そうに声を上げたが、それだけだった。


「俺たちはお前を、これから研究所に護送しなければならない。抵抗はしない方がいい」


事実だけを淡々と「先輩」が告げる。何かを読み上げているような口調は変わらず、ほぼ感情は入っていない。表情も、くるくると変わる百田に対して、「先輩」はピクリとも動かない。まるで能面だ。陰影だけで、表情が推測できる程度だ。「先輩」の手に渡った拳銃の銃口が、俺の頭に照準を合わせている。


「では、百田。梱包しろ」


およそ人には使わない言葉を用いて、「先輩」が百田に指示を出す。百田はにこりと微笑んで、おどけた口調で「了解です」と応えた。そしてポケットから結束バンドを取り出し、慣れた手つきで俺の足を結束バンドで縛り始めた。自由を奪われていく恐怖が、死の恐怖とリンクした。俺は乾ききった唇を開いた。


「一体、どこへ? 俺を、どうするんだ?」


やっとの思いで口に出した言葉は、泣けるほどに震えていた。もう少しで失禁するところだった。そんな俺に「先輩」は、やはり淡々と応えた。


「知る必要はない。権利もない」


そして「先輩」は、俺の過去に不躾にも土足で踏み込む。


「もう五人も焼き殺しておいて、死ぬのが怖いのか。しかも全員焼死。表から見れば、放火殺人だ。ただの殺人罪よりも、放火殺人の方が罪が重いって知ってたか? 十八と言えばもう大人。車の免許も取れるし、選挙にも行ける。どのみちお前は死ぬんだ。日本では普通の死刑は絞首刑だが、ただ殺すのももったいないから、こっちで有効活用している。資源の有効活用と同じだ」


人間の体に資源という考えがあるのは、知っていた。今はどうなっているか知らないが、資金に困った人が、病院や研究所と契約を結び、自分の死後に自分の死体を解剖用に提供することが以前にはあったらしい。タバコを吸わないことや、なるべく健康体であることが条件としてあった気がする。何故そんなことを俺が知っているかと言えば、義父がどこかから、「死体が金になる」ということを聞いてきて、俺にその契約者になるように言ってきたことがあったからだ。もう十年前になる。「先輩」が、資源とリサイクルの話を一通りした後、百田は俺に手を後ろに持ってくるように指示を出した。俺はここに来て、ある可能性に気が付いた。この二人をここで焼き殺してしまえばいい。もう五人も殺しているから、もう二人殺しても大差ない。そんな考えが頭をよぎった時、「先輩」はそれを見透かしたように、俺に銃口を向けて忠告してきた。


「ちなみに、タトゥーはお前だけが持っているモノではない。変な気を起こせば、俺達は躊躇なくお前をここで殺す。それに、お前はさっきの会話でタトゥーの特性に気付いたはずだ。今俺たちから逃げても、お前がタトゥーを誰かに譲渡しない限り、お前は死ぬ。心配するな。俺たちの研究は、世間に寄与するものだ。もちろん、お前が助かる別の方法も見つかるかもしれない」

「本当ですか?」

「ああ」


投げやりな態度と言葉に、全く信用は出来なかった。そして、信用や信頼という言葉は、やはり社会的な場面のものだと思う自分がいた。百田は反対側のポケットから赤い紐を取り出す。足は結束バンドだったが、両手は紐で縛るのかと不思議だった。俺はおとなしく両腕を後ろで縛られ、あっという間に体の自由を奪われた。これで水にでも落とされたら、確実に溺れ死ぬ。


「横になって」


百田が新しい玩具を手にした子供のように、嬉々とした声で命じる。

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