2.三百万円の価値

「でも、コンビニの防犯カメラで見られてよかったじゃないですか。僕、あのデータ、複製しちゃいました。不幸の手紙って、本当に自分の身に危機が迫ると効力あるんですね。すっごく、興奮しちゃいました」

「お前、事の重大さに気付けよ。そのせいで本物が一般人に渡ったんだろうが」


さっきから、この二人は何を言っているのだろう。研究室なら、どこかの研究所の研究員なのだろうか。「逃がしたあいつ」というのは、俺にタトゥーを渡した男の事だろうと推測できる。あの男は、死に直面していたのか。しかし、俺にタトゥーを渡した後の男は、喜んでいたし、いたって健康に見えた。自分の体に殺されるとはどういうことか。カニバリズムとは、何なのか。不幸の手紙は、そのカニバリズムとつながっているのか。不幸の手紙なら、聞いたことがある。今でいう拡散やチェーンメールだろう。以前は紙だったから、不幸の手紙と呼ばれていたらしい。自分に突然手紙が回って来て、「これは不幸の手紙です。これと同じ物を他の〇人に送ってください。そうしなければ、あなたが不幸になります」と、書いてあるのだという。「〇人」と言うのは、たいてい「五人」と書いてあるらしいが、他の数字が入ることもあるという。そんなアナログ的な物が、何故研究員の口から出るのか、ちぐはぐな印象を受ける。そして俺は思い出したくないことを思い出し、ある可能性に気が付きてしまった。

 あの男は、俺にタトゥーを譲渡したがっていた。必死に俺にタトゥーを受け取るように、せがんできた。もしも、このタトゥーが不幸の手紙と同じだったらどうだろう。タトゥーを誰かに回さないと不幸になる。その不幸とはまさしく、死を意味していたとしたらどうだろう。それは、自分の体が自身を食べることにつながるのではないか。それはつまり、タトゥーを持ったままだと、死んでしまうということだ。他の人にそんな事実を言ったら、絶対に受け取ってもらえないから、男はタトゥーの力だけを俺に披露した。しかしメリットにはデメリットが付き物だ。力を与えるタトゥーは、そのまま死をも与えるタトゥーだったのだ。俺は背中に細かな虫が這いずり回るような感覚を覚え、吐きそうになる。


「と言うことで、一般人。お前が一般的な日常を送れなくなったのは、この百田ももたのせいだからな。恨むなら俺じゃなく、こいつを恨んで死ね」

「あー、先輩。また僕に責任転嫁して」

「事実だろうが」

「まあ、いいです。僕は研究さえ続けていられれば。さあ、出ておいで」


まるで怯えた仔猫にでも話しかけるような声で、百田は言った。しかし俺は恐怖で足がすくんで、動くことが出来なかった。すると、二発目の銃声が響くと同時に、俺の斜め前にあった待合室の椅子の一つが、木っ端みじんに砕け散った。


「ほうら、怖くない、怖くない」


やっていることと言っていることが、めちゃくちゃだ。俺は死ぬことが確定したも同然だ。いつ死ぬのかは分からない。ただ、このタトゥーは確実に俺の命を奪うのだ。俺も誰かに、早く譲渡しなければならない。それなに、この状況は一体何なのだ。いや、待てよ。会話から推測すると、この二人はタトゥーの研究者だ。もしかしたら、俺がタトゥーを持ったままでも生きることが出来るような研究をしている可能性もある。一か八か賭けてみるのも、悪くはないのではないか。

 俺はそっと両手を挙げみた。片手だけが二人に見える形となる。生きるか死ぬかの瀬戸際だ。手が吹っ飛ばされるくらいの覚悟はあった。しかし、予想に反して百田は撃ってこなかった。ひとまず息を小さく吐いて、二人の前に出た。銃を持った百田は、日本人離れした容姿をしていた。百田の髪は金髪で長く後ろで一本に束ねていた。瞳は緑色に近かった。若くて色白の長身痩躯。ハーフかクォーター。もしくは帰国子女か。訛りのない日本語だったから、その百田の白人めいた優男風の容姿が、意外だった。そして隣にいるのは黒髪をオールバクにした初老の男だ。眼鏡の奥の黒い瞳は、怜悧な光を宿している。百田に負けない長身であるが、がたいがいい。二人とも同じようなトレンチコートを着ていて、中には白衣らしき物を身にまとっている。百田は俺を見るなり目を見開いて、瞳を輝かせた。そしてあろうことか、百田は手に持っていた拳銃を床に落とした。「先輩」が「おい」と言って、大儀そうにそれを拾うが、百田は聞いていない様子だ。百田は俺に駆け寄り、いきなりハグをした。そして俺の頭を愛おし気に撫でる。


「若い! そして健康そうだ! そして貴重な一般人の検体! 素晴らしいよ!」


興奮気味の百田に、俺は困惑した。自分の存在がこんなにも他人を喜ばせたことが、今までにあっただろうか。しかし、次の瞬間、百田は優しく子供をあやすように、恐ろしい言葉を紡ぐ。


「君が僕の新しいマウスだ。大丈夫、安心して苦しんで。君の死は、無駄にならないからね」


俺が冷や汗をかいて強直すると、百田は微笑んで俺の頬を愛撫した。そこに、「先輩」の声が割り込む。


「お楽しみのところ悪いが、そいつの名前は今のところ、市村真幌いちむらまほろで、歳は十八だ。保護者からは、三百万で身元引受を承諾済みだ。生まれは北海道らしいが、借金苦と虐待で各地を転々としているため、現住所もあてにならないな。友人はなし。兄弟、姉妹もなし。学校や地域とのつながりもなし。まあ、いなくなっても誰も困らない青年というところだ。現在は、地獄絵図のタトゥーの保持者。能力使用経験あり。血液型はB型。身長、体重共に平均値を下回っている。運動能力と偏差値も高くない。以上が新しいマウスの基礎データだ」


一体いつの間に俺の身辺調査をしていたのか。家庭の事情は近所の人がだいたい分かるとしても、俺の人間関係や身体や偏差値まで、どうやって調べたのか。

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