二章 捕縛と協力

1.拳銃

 駅に着くと、いつもと様子が異なっていた。人が全くいなかったのだ。小さな駅だが、利用客は多い。この時間でも電車があるため、いつも待合室に人がいる。しかし今日はそのこじんまりとした待合室にも、売店にも、併設された蕎麦屋にも、そして券売機の前にも、人がいない。極めつけは、駅員の姿までないのだ。そして駅前のバスの停留所にも、タクシー乗り場にも、誰一人いなかった。この異様な光景に、俺は嫌な汗をかいた。古い駅舎は映画の撮影地とされることがあったが、それならばカメラがないとおかしい。登場人物がいない設定の場面でも、監督とカメラ、ディレクターやエキストラくらいはいるはずだ。この水を打ったような静けさは、不穏な気配に満ちていた。そう、不穏な気配はあるのだ。つまり俺を狙っている誰かの、息をひそめたような気配だ。

 俺はその人物に警戒しながら、物陰に隠れて移動した。野生なら、肉食動物に狙われている草食動物の気分だろうか。スマホをなくしていたので、切符を買わなければならないが、物陰から出るにはリスクがある。券売機に向かっている最中は隙が出来るし、全身を外に晒すことになる。そんな律儀なことを思うのと同時に、駅員がいないことを思い出し、無賃乗車で許してもらうことも選択肢として持っておくことにした。ピンと張り詰めた空気が、駅全体を包んでいる。

 そんな緊張したシャボン玉のような空気を突如破ったのは、たった一音だった。軽くて乾いた音が、一発鳴って、空気を振動させた。初めて聞く本物の銃声は、俺の日常を奪う合図だった。ただそれならば、運動会のスタートラインで鳴らされる空気銃でも、良かったのかもしれない。相手にとっては、酔狂な世界の始まりの合図であったのと同時に、脅しだったのだろう。そして、本気であることの伝達と、試しだったのだ。


「あれ? 先輩、誰も出てきませんよ?」


いきなり飛び込んできた男の声は、その場にそぐわないくらいに明るくて、のんびりとしていた。まるで、寝起きのような口調だ。いかにもこれから欠伸でもしそうだ。


「それにしても、僕、本物の銃使ったの、初めてです。凄いですね。腕が吹っ飛ぶかと思いましたよ。鼓膜も破れるかと思いました。日本が平和な国で良かったですね」


ほのぼのとした口調は変わらないが、物騒なことを言っている。この「平和」と言った男が、先ほど実弾を放った張本人だ。そして、ここが日本だと思い知らされる。他の国ならともかく、確認するまでもなく、ここは銃刀法がある法治国家だ。それなのに、白昼から銃声がとどろいたのだ。しかも、明らかに警察ではない人間が、楽しそうに本物の銃を撃った。それなのに、俺以外には、誰も反応するものはいない。このために人払いがされていると考えて良さそうだ。駅の敷地内全てを封鎖するからには、それだけの力が必要だ。例えば国家権力とか、あるいは何かの組織とか。


「でも先輩。不思議ですね。僕は今ので、人間を本当に撃ってみたくなりましたよ。フィクションではよく銃殺シーンが描かれますけど、あれって、どこまで本当なんでしょう? 血の飛び散り方は半径どのくらいでしょうか? 死んでいる場合は、血が噴水みたいにはならないって言いますけど、死体を銃で撃っても同じでしょうか? 銃自殺の場合、銃口を咥えるのが確実だって言いますけど、本当なんでしょうか? 今度試してみても良いですか? また死刑囚でも横流ししてもらえば、結構色々試せそうですしね」


まるで、好奇心旺盛な子供のような口調だが、内容はグロテスク極まりない。これを本当にサイコパスと言うのだろうか。俺でさえ気持ち悪くなることを、平気で言うなんて、信じられなかった。それに、死刑囚の横流しとは、どういうことだ。横流しと言うからには、合法的ではない。しかしそれを日常的にやっているような言い方だった。やはり、この男たちは国家権力の裏の顔、もしくは国家権力が後ろ盾になっている組織の人間なのだ。男の「先輩」は黙ったままだ。どちらかと言えば、この黙りこくってこんな会話を日常会話としている「先輩」の方が、俺にとっては脅威に感じる。


「先輩は人を打ったことあるんですよね? いいな。どんな感じでした?」


二人分の足音が、独り言状態の声と一緒に、徐々に近づいてくる。どうすればいいのか迷った。このまま隠れているべきか。それとも、早めに白旗を振って出ていくべきか。そして、いよいよ決断を迫れた時、一つの足音が止まった。


「先輩?」


これに合わせて、先ほどからしゃべっている男も足を止めた。そして低く重い声が、初めて俺に向かって言葉を発した。


「そこにいるのはもう分かっている。そして、今のこいつの話を聞いたからには、もう二度と日常生活に戻れると思うなよ」


俺ははっとして天井を見上げる。こんな時に、防犯カメラを失念するとは、自分ながらに呆れてしまう。それに、「後輩」の言葉は確かに、非日常的なことばかりだった。


「えーっ! 先輩独り占めはずるいですよ。僕だってまだまだ地獄絵図のタトゥーの調査とか研究したいです」


「先輩」が俺に聞こえるように、大きく舌打ちをした。


「さっきからうるせぇよ。お前のやりたいことは研究室で存分にやてるだろうか! だいたい、何で俺がお前の尻拭いさせられてんだよ? お前があいつ逃がしたせいだろうが!」

「そんなに怒らないで下さいよ。だって、死に直面した人間の行動って、興味深いじゃないですか。しかも、自分の体に自身が殺されるんですよ? カニバリズムじゃないですか。そんな死に方を観察したかったんです」

「逃がしたら、元も子もないだろうが!」

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