4.力

 口の口角が上がり、八重歯がのぞいていた。面倒ごとに巻き込まれそうな予感がした俺は、立ち上がって男から視線を外した。しかし、俺に近づいてきた男は、俺の行く手をふさぐように立ちはだかった。


「何なんだよ?」


俺は男がうっとうしくて、仕方がなかった。思わず声を荒げていた。男はにやにやと黄色い歯を見せていた。


「お前、力が欲しくないか?」

「ああっ?」


男が発した言葉が、俺を馬鹿にしているようで、思わず不良がけんかを始めるみたいな声が出た。しかし男は怯むどころか、ますます前のめりになって俺に詰め寄った。ここにきて、男が薄いティシャツとズボンだけの薄着だと気付いた。どこかの病院から抜け出してきた入院患者のようだ。


「いるだろ? お前の周りに、ムカツク奴とか、気に入らない奴とか」


俺の心が、威嚇する野生動物の毛並みのように、ざわりと逆立った。次の句を告げずにいた俺に、男はたたみかけるように続けた。


「いるよな。だったらいい方法がある。そいつらを


少しでも心を動かされた自分が馬鹿だった。そんなご都合主義的な手段があったら、過去にも誰かが行使している。そんな方法は、あるわけがない。あったとしたらそれは、フィクションか何かだ。きっと目の前にいる男は、思い込みが激しいのだろう。もしかしたら、精神疾患か脳の異常を持っているのかもしれない。そのせいで、現実と虚構の区別がつかないのかもしれない。いや。そうならば、病院側が隔離の措置を行っているはずだ。そこから逃げ出すのは無理があるかもしれない。病気でなかったら、大麻とか危険ドラッグの常用者だろうか。後者の方が可能性としては高いかもしれない。そうしたクスリの場合、大金が必要となり、新しい顧客を見つけなければ、自分が常用できなくなり、そこに待っているのは地獄だ。大麻も危険ドラッグも、一度手を出したら後には引けなくなる。授業でも耳にタコが出来るほど耳にしたクスリの恐ろしさだ。俺はこういう孤独に付け込まれるものなのだと、怒りがわいたし、そうした自分の状況にも腹が立っていた。


「警察に電話しますよ」


俺が無表情でそう言うと、男は大げさなくらい狼狽した。どうやら俺の推測は当たっていたようだ。


「ま、待ってくれ。本当なんだ」

「何が?」


俺はスマホを片手に、一一〇をタップするふりをした。あまり大袈裟にすると、また学校居づらくなる。佐久間たちに、イジメのネタを与えて、喜ばせるようなものだ。それだけは、何としても避けたかった。


「もしもし?」


俺が警察と話すふりをすると、男は長そでの白いティシャツの腕をまくった。その両腕には気味の悪いタトゥーがあった。黒に近い紺色の線で描かれていたのは、鬼のようなものと、罰を受ける人々の姿だった。ちゃんと色までついているから、やけに本物っぽい。罪人たちを焼き尽くしている炎は、まるで生きているようだ。まさに火炎地獄の地獄絵図だ。俺が、なるほど、危ない社会にいた人間なら常識外れも納得だと思っていた、その時だった。その勢いのまま、男はいきなり俺に覆いかぶさってきた。スマホが運悪く手から飛び出して、コンビニのゴミ箱の中に入る。しかし、それに構っている余裕はない。俺は男と取っ組み合いの最中だ。病的に痩せている割に、力があった。男は俺の両腕を掴んで、訳の分からないことを叫んでいる。


「受け取ると、言え! 言え! 言えっ‼」

「くそっ! うぜぇんだよ!」


俺は足で男の腹を思い切り蹴り上げた。小学校の逆上がり以来の蹴りだった。男は簡単に吹き飛び、地面に横たわった。アスファルトの上に転がって、腹を押さえて呻いている。俺は急いで立ち上がり、コンビニに助けを求めるために、駆け込もうとした。


「応えよ、タトゥー」


男が聞きなれない言葉を発した瞬間、ボン! という爆発音がして、俺の真横で突然火柱が上がった。焦げた臭いが鼻を突き、耳に熱を感じて、横に飛ぶ。俺のスマホは他のゴミと一緒に燃えたと悟る。しかしこの状況が何を示しているのかは、分からなかった。炎の熱で、コンビニのガラスが次々と割れて、気付いた立ち読み客が雑誌を放り投げて逃げ惑う。それはコンビニ全体へと波及し、女性客が甲高い悲鳴を上げ、子供は泣き始め、店員は消火器を持った。ある者はスマホを片手にどこかに連絡を取っている。しかし不思議なことに、その炎は店の中に燃え広がることはなかった。


「見たか? この力が、欲しいだろう?」


呆然と炎を眺めていた俺の前に、いつの間にか男が立っていた。


「お前が、やったっていうのか?」


男は誰かに追われていた。だから、ゴミ箱に細工をする暇はなかった。それに、ゴミ箱に俺のスマホが入ったのは偶然だった。それに、この炎は普通の炎と違う動きをしている。まるで炎に意志が宿っているように、ゴミ箱一つだけを焼いている。

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