仲間って誰だ?

シェング

『仲間』

私と読者と仲間たちについて紐解くとしよう。


私は今、物語を書いている私自身を指し示す言葉だ。

それと同時に、読者とは私の作品を読んでいるあなた達を指す言葉であろう。

まぁ、広義の意味では私も筆者であり、読者でもある二重の存在でもあるはずだが。


さて、それでは仲間達とは一体何を指す言葉だろうか。


恰好のいいことを言ってしまえば、読んでくれているあなた達。と声を高らかにして宣言してしまいたいが、それでは読者と被ってしまう。

もう少し絞って、コメントをくれた人……すなわち作品におけるスパイスを練り込んでくれた人を指すのだろうか?


だけども、それだと助言をくれた人……味方ということになる。

味方は仲間だという見方もあるが、それは欲張りさんだと思ってしまう。


仲間は共に作り上げる存在と仮定すれば、読者と私……これら全てを織り交ぜた物語こそが仲間ではないのだろうか。


……それは流石に狙いすぎだって?


そりゃあ狙っているからね。


リアルバーチャル全て内包することを考えれば、私に飲まれている、とろけるカフェオレビターだって私にとっては仲間さ。


だってこれを飲めば、カフェインが私を起こしてくれるんだ。


作品のことを話せだって? 何を言っているんだ。今この場に私と読者しかいないんだぜ?


例えばだ、作品の主人公が勝手に動いてくれる、良くあるキャラクターが勝手に動いてくれる現象。

でもさ、これは私が生み出したものであって、決して無から生まれたわけじゃない。


私は創造主であって、決して仲間ではないんだ。それにだ、もしそうであるならこの作品には仲間が宿らないことになる。


孤独に書いている私は、一人で作品を完成させたことになる。


それはさ、悲しいことじゃないか。


仲間が宿らない作品は、作品ではないって極論を言っちゃうかい?


違うだろう。そんな悲しいことを読者の皆は言えないはずだ。


それともなんだい? 私という私をキャラクターに見立ててしまうかい?


おいおい、私は私さ。誰でもないよ。



この作品だってさ、私から一方的な贈り物じゃないかな。


私はネットの海に自分の考えのようなものを投げつける。それを受け取るのは……そうだな、そもそも目につくかどうかすらわからないものだね。


眼に触れて呼んでもらって初めて読者になってくれる。私としては嬉しいね。


それでコメントが来てようやくキャッチボールかな。ふふ、私が受け取るとは限らないけどね。


だって怖いじゃないか、荒らしのような人たちの魔球・剛球・暴投をどうして私が受け止めなくちゃいけないのさ。


あ、でも私は優しくふんわりと渡されたボールは受け取るよ。



それは紛れもない味方に違いないからね。受け取りやすいボールは受けて、受け取りにくいものは見ているだけ。

そんなに頑張りたくないんだよ。精神に不調をきたす人が『仲間』なわけがないじゃないか。





結論はね、仲間なんて居ないんだ。だけど、確かに存在する温もりはそうだな……格好良く言えば人生だと思うよ。

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