まともな戦争

 魔王国への侵攻作戦であるアルキネス作戦、その第二段階は四月一七日をもって発動された。 ヒト国鎮定軍の先鋒集団は夜明けと共に越境。その後速やかに東西へ展開した。部隊は西から、第97師団、第26師団、第40師団である。各師団はその後、こまごまとした魔王国軍部隊を蹴散らしながら前進を開始した。彼らは後続軍越境の為の、橋頭堡きょうとうほを確保しようと試みていた。

 魔王国第三地方軍は、これに対し見事な対処を実現せしめた。もともと、ノクターン城塞の虐殺をはじめとする『奴ら』の暴挙に神経を尖らせていたおかげで、彼らはヒト国軍の侵攻という想定外に驚きつつもその手足と思考を止めずに済んだのだった。

 四月二〇日には、第三地方軍も部隊の展開を完了していた。西から、第六軍団、第一集成軍団、後備第一軍団だ。(魔王国の一個軍団はヒト国の一個師団に相当する)第三地方軍は、『奴ら』と戦う王弟殿下ノクトバーンへの増援を断念してまで部隊をかき集めていた。

 これを以て、魔王国軍は戦線を構築した。彼らは数人のバケモノのようなヒト相手ではなく、ようやく敵軍とのまともな戦争に直面できたのだ。


 その後十日間にわたり行われた五つの会戦、その過程で起こったいくつもの偶然と過ち、成功と失敗の積み重ねの結果、魔王国は後備第一軍団の壊滅と虎の子の騎竜兵団の半壊を代償として、ヒト国第26、第40師団の壊滅及び戦域における均衡を獲得した。第三地方軍はヒト国鎮定軍先鋒集団を壊滅せしめたのである。

 まさに、赫々かくかくたる戦果。魔王国はその緒戦で、作家や史学者に語り継がれるような大勝利を納めたのだった。

 五月に入ると、第三地方軍が要請した増援部隊が各地から続々と戦線に到着、戦場となったトルザルツ平原を染める五桁の死傷者の穴を塞ぎはじめた。

 当然、王都近衛騎士団からも部隊が抽出され、戦線に送られた。その中には、王都近衛騎士団隷下第二騎竜兵大隊も含まれていた。


 一面に雲海が広がっている。白と青、時たま覗く地表の緑で構成された情景は、ひどく単調に思える。耳元を通り抜ける風はびゅうびゅうと煩く、指示を伝えるラッパが聞こえるか不安だった。

 飛竜の群れはその海をやじりのような編隊を組んで進んでいた。胴体に塗料で描かれた六芒星と先を黒く塗られた尻尾が、飛竜が軍の飼育する個体であると示している。普段と異なる点といえば、砲弾を容れた籠のようなものを足で掴んでいるという点だった。

 ヘルゼル・ナハルク伍長は鞍上で、外套の襟留めを片手で器用に留めた。春も深まる五月だというのに、雲の上はお構い無しに寒い。彼はほう、と青い世界に白い息を吐いた。吐息は顔を伝い、すぐさま背後に流れていった。今度は自分の乗っている飛竜を見る。騎竜兵学校に入ったころからだからまだ一、二年かそこらの付き合いだが、この子の癖はよく知っている。さらにどこかに視線を移そうとして、止めた。ヘルゼルは自分が落ち着いていないことに気づいたのだ。そう、緊張している、ともいえる。彼はこれより自分たちが行うことに、興奮と不安を懐いているのだった。


 その発想自体は、昔から存在していた。雲上から炎と硫黄を降らせた公神の神話、あるいは箒からパンを落とす魔女の童話。最初にそれを思い付いたのは、科学者でもあり芸術家でもある男だった。手記のなかで描かれたのは、機械仕掛けの鳥に乗った兵士が敵陣の真ん中に火を点けた油瓶を投げ落とす情景。万理を解する者とまでいわれた男の思いつきは、飛竜騎兵の実用化によって現実のものとして昇華された。

 炸弾投下。あるいは、後に爆撃と呼ばれる戦術。その先駆けの実現に、大隊から抽出された選抜中隊が挑戦しようとしているのだ。


 編隊の先頭を飛ぶオイゲン中佐が、腕を二回振り下ろした。降下の合図だった。

 一〇の飛竜は身体を翻し、雲の中に飛び込んだ。ヘルゼルたちは全身に冷たいものを感じ、直後、雲を抜ける。彼らの網膜に、色彩が写った。

 草花が茂るトルザルツの平原に、赤、青、緑、白、黒、様々色が散りばめられている。色の正体は、連隊ごとに違う軍服の色だ。それに目掛けて、中隊は急降下を開始した。目標は、あのひときわ大きな白い天幕。そこがヒトどもの旅団本部だった。

「──っ!」

 顔にかかる風圧が凄まじい。が、辛うじて目は開いている。水晶硝子で作られた風防眼鏡のおかげだった。色彩の点はだんだんと大きさを増し、いつしかそれは一人の生き物だと認識できるまでになった。

 ラッパが響く。反射的に、ヘルゼルは手綱を引いた。飛竜は一声、ぎゃあと啼くと頭を起こし降下を止めた。同時に、足の籠に繋がった紐を引っ張る。籠の留め金が外れ、その中身が自由落下を開始した。

 白く塗られた鉄の玉が大地に吸い込まれるように見える。そのように落ちていく。炸弾は地面に衝突し、点火の術式が起動する。

 九の爆発、その衝撃と外殻の破片が地表を赤黒く修飾した。

「やった──!」

 引火して燃え上がる天幕と書類、それにいくつもの様々な感情が込められた声を聴いて、ヘルゼルは満足した。成功だ。試みはうまくいったのだ。

 彼は自身の仕事が成功したことに子供のように純粋な喜びを感じていた。ふと見れば、一発は不発のようで、何人かの兵と馬を押し潰すだけに終わったようだが、もたらされた結果に対してそれは大したことでは無かった。

 地表を蠢くヒトたちが空の彼らを指差し、罵詈雑言を並べ立て罵倒した。中には銃撃を試みる部隊もあった。が、混乱のなかで行われた銃兵の一斉射撃が中隊に対して何らかの効果を示すことはなかった。その中を中隊は意気揚々と帰還した。帰り際に土産代わりに術式の斉射を行い、更なる怨嗟の増産を図ったのはいうまでもない。

 今回の作戦による戦果は、敵旅団本部の壊滅とその旅団長の戦死。実に素晴らしい戦果だった。彼らは勝利したのだ。


「蛮族どもめ」

 もたらされた報告に対し、この場に不釣り合いなほどの美姫はそう罵った。

「飛竜に跨がり飛来して、榴弾りゅうだんを落としていった──だなんて!」

「殿下」

 西方の出身であることを示す青緑の軍衣を纏った士官がいった。名をアルバートという。彼女の御付武官だった。ここの参謀長が倒れてからは、その役も兼ねている。

「ええ、わかっています。第34旅団の主力は無傷なのでしょう?結構よ。旅団長にはシュライゼ准将を充てなさい」

 軍人めいた発音でそう言った彼女は、一瞬だけ柔らかさを取り戻した声でつづけた。飛竜に乗った魔族どもがもたらした被害と共に戦死が報告された老人を思い出している。

「──また侯爵の席が一つ空くのね。本藩侯爵、マッケンジー准将。優しいお方だったわ。少し太り気味だったのだけれど」

「惜しい将を亡くしました。政治と軍事を切り離して考えられる稀有な才能をお持ちでしたから」

「ええ、そうね。──さて、命令は既に発したわ。遂行なさいな」

「御意に」

「それとアルバート大佐」

「はい、殿下」

「明朝、傷を負った兵を慰問します。供をなさい」

 それを聞いたアルバートはにっこりと微笑み、背筋を伸ばして答えた。

「御意に、領姫りょうき殿下。鎮定軍司令官殿」

 ヒトから美姫と形容される少女は頷いた。アルバートは手早く命令を書類にしたため、伝令に渡した。騎兵将校らしく、行動の一々が素早かった。


 ヒト国北部藩領姫メアリス・ヨークシャーテリアルは、僅か一九にして魔王国鎮定軍司令官を拝命している。その重圧は一九の少女が負うべき重さのものではなかった。

 この悲劇というべき人事は、面倒なほどの利権と陰謀が背景にある。

 つまるところ、メアリスは政治の犠牲者に他ならなかった。その境遇に政治がたいして絡まなかったヤーゼフ・シルヴィウスなど、彼女とは比べものにならない程恵まれたといえる。

 もっとも、れっきとした「お姫様」であるメアリスとたかだか一幕僚のヤーゼフが関わることなど、あり得ない。あり得ないのだ。

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魔王国衰滅記──勇者の侵攻に起因する魔王国の混乱と衰退について── 奏條ハレカズ @sojoharekazu

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