落日の桃源郷・陸

 ——同刻、巫神楽と下界を隔てる南西の境界、鳥居前。


「なんだ!? どうなってる!」


「知るか! 千里隊はなにをしている!? 何も連絡はないぞ!」


 真鶸の采配により、各境界に警戒及び守備のため配置されていた隊士達は、突然の事態に狼狽した。


 天に昇る陽が暗雲の陰に隠れたと同時に鳥居から邪悪な気が溢れ出し、粉々に崩れたのだ。


 そして、それがなにを意味するのか、その場の誰もが理解した。


「おい……嘘だろ……!」


 一人の隊士がまさかと思い上空を見上げ、青ざめた表情で言った。


 それに同調するように、居合わせた他の隊士達も視線の先を辿る。そして、皆同様に絶句する。


 霊山一体を覆う不可視であったはずの結界は淡い緋色の姿を露呈ろていさせ、半円状の頂点部分から光の粒子となって消えていく。


「結界が……まさかそんな……!」


「どうするのだ! これではいつ襲撃されるかわかったものではない!」


 予想だにしない事態に、隊士達は口々に不安を露わにする。


「お前達、落ち着け! まずは報告だ。頭領もこの事態に気付いているだろうが、判断を仰がねば。誰か伝令に向かえ! 残りの者は襲撃に備えて——」


 そんな中、分隊の指揮を任されていた比較的年長の男が場を取りまとめていると、一人の隊士が大声で「おい、あれ!」と前方を指さした。


 途端に、みな口を閉ざし、視線が集中する。


 その先には隠の森、生い茂った木々の分かれ目から、一つの人影が近づいてきていた。その足取りは今にも倒れそうなほどに心許ない。よたよたとおぼつかなく、彷徨さまよう亡者のようだ。


 最初は敵の襲来かといぶかしんでいた隊士達だったが、人影が目視できるほどの距離まで近づいてきたことで、思わず声を上げた。


「——な……御隠居ごいんきょ様!?」


 人影の正体は、行方をくらましていた神々廻家先代当主・神々廻道継であった。


 服装は失踪当時のまま、重役の証である羽織姿。行方不明となった直後、探査に秀でた者を中心に捜索隊が組まれたが、里の周囲をいくら探しても道継が発見されることはなかった。


 神隠しにでもあったのかと噂されていた人物を前に、隊士達は動揺しつつもすぐさま駆け寄り、安否を確認する。


 そして、すぐに違和感を感じた。手傷を負っているわけでもなく、衣服が破れているわけでもない。だがしばらく姿を消していたにも関わらず、まるで屋敷から出ていないかのように整った姿はかえって不自然だ。目も虚で、焦点が定まっていない。文字通り、魂が抜けているかのような印象である。


「御隠居様、今までどちらに?」


「すぐに親方様の元へお連れ致します」


 隊士が二人がかりでふらつく道継の肩を両脇から支えながら言うが、道継は光のない瞳をしきりに動かし、頭上を探るように見回している。そして、おもむろに口を開いた。


「鷹が——飛んでおらんな……ふむ、虚空羅こくらの権能が機能しておらぬというのはまことのようじゃのう」


 訝しみながら言っていた道継の表情は、愉悦に歪んでいく。現状を知り得ないはずの道継の発言に両脇の隊士達は困惑するが、当の本人はまるで気にも留めていない。相手にする気すらないらしく、視界に入っていないかのようだ。


「——へへ、こりゃいい。くだらねえ演技にも飽き飽きしてたところだ。今までが邪魔で邪魔で仕方なかったからなぁ……成り行きとはいえそれが潰れたとなりゃあ、好都合ってもんだぜ」


 そして再び言葉を発した時の声色は、全くの別人だった。虚であったには狂気が宿り、獣のように血走っている。醜悪な笑みを浮かべながら嬉々として言う道継の表情は、隊士達の記憶に残る好々爺のそれとは似て非なるものであった。


「——おい猿ども、いつまでくっいてやがる。離れろ」


 口調が変わったと思えば、気怠い物言いではあるが、両脇の隊士達に嫌悪感を露わにした。


 ——こいつは違う、だ。


 道継から漏れ出した異様な邪気、そして殺気にあてられた隊士達は本能的にそう悟ると、寒気が背を伝う感覚に耐えかね、即座に離れた。すると道継は隊士達が触れていた羽織の部分に鼻を近づけ、「ちっ、人間臭えなぁ……!」と吐き捨てた。


「あぁ、忌々しい。俺様自ら手を下してやりたいが、まだ姿を捨てるわけにもいかねえんだ。ぼろ雑巾にされないだけありがたく思え」


 道継は隊士達を睨み、心底不快そうに言うと、本来手にしているはずの杖を使うこともなく、飄々と歩き出す。


「——待て、貴様!! 御隠居様ではないな、何者だ!」


「……? おい、なんだこの地響き」


 崩壊した鳥居を跨ぎ霊山に入ろうとしていた様子を見た隊士達が一斉に取り囲み問答するが、数人の隊士は何かを感じたのか周囲を警戒しながら見回している。


 その間も、道継は歩みを止めることなく、悠々と進んでいく。


 それを制止しようと一人の隊士が手を伸ばした瞬間—————


 唸り声のような地響きとともに、文字通り


「——え」


 同時に地中から現れたのは、奈落へと通じるかのような、無数の牙がずらりと並んだ大口。道継を包囲していた隊士達は、悲鳴を上げる暇すら与えられることなく飲み込まれた。


 ——土竜どりゅう


 気色の悪い枯葉色かれはいろの皮膚に覆われた芋虫のような姿をしている、地中に潜む巨大な妖魔だ。目を持たず、音や振動で地上の獲物を感知しては地中から襲い掛かり、大木の一本や二本などいとも簡単に丸呑みしてしまうほどの大口で喰らいつく。


 今しがた隊士達を飲み込んだ個体は、さらなる巨躯を誇っていた。


「おいおい、食べ残しは行儀が悪いだろう」


 飲み込まれる直前に手を伸ばした隊士の腕は鋭利な牙に削ぎ落とされたのか、地中から頭部を覗かせる土竜のすぐそばに転がっていた。


 道継がそれを拾って投げると、土竜はすぐさま食い付き、再び地中に潜る。


 間一髪、指揮役の年配の隊士をはじめとした数名は木の上に逃れ難を凌いだが、同胞が一瞬のうちに丸呑みにされる一部始終を目の当たりにしてしまい、もはや戦意は伺えない。


「おい見ろ……森の中から……!」


 それに追い討ちをかけるように、一人の隊士が隠の森を指差して恐怖に声を震わせた。


 一同が森に視線を向けると、無数の妖魔が血肉を求めて這い出てくるところであった。


「な……! いつの間に、一体どこからあれほどの数が——……ええい、怯むなお前達!! 迎え撃つぞ!! ここを死守しろ!」


 指揮役の男は刃を片手にそう息巻くが、隊士達に覇気はない。責務に対する従属心が、かろうじて迫りくる脅威からの逃亡を引き止めていた。


 だが、無数の妖魔が相手ではいかに超人的な身体の隊士達であろうと、成す術はない。


 押し寄せる妖魔の波を前に抵抗虚しく、一人、また一人と肉を裂かれ、崩れた鳥居の破片は血飛沫で真っ赤に染まっていく。


 妖魔の奇声と隊士の悲鳴が入り混じり、境界前は一瞬で阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。


 

 次第に遠のく喧騒を背に、道継はどこか上機嫌そうに霊山を登っていく。


「——さあて、宴の始まりだ」


 巫神楽へと繋がる道なき道に、ひょっひょっひょと、聞き馴染みのある老人特有の笑い声が響いた。


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