落日の桃源郷・参

「——なっ!?」


 千鶴は伸びてきた触手の元を辿ると、驚愕に目を見開く。


 見ると、今しがた両断した妖魔と全く同じ姿形をしたものが数体。およそ生物とは形容し難い肉体から生えた触手が、千鶴の両手足へと絡みついている。ただし、それらの体躯は千鶴よりも遥かに小さい。


(分身——いや、分裂か……!? なぜ低位の妖魔ごときがここまでの力を——)


 千鶴は予期せぬ現象に戸惑ったが、すぐに理解した。おそらく斬り落とした触手の断片が独立して再生し、本体よりも体躯の小さな分裂体となったのだろう。状況から判断してそうに違いないのだろうが、異常な事態であることに変わりない。大廻時では龍脈が活性化し、妖魔も力を増す。とはいえ、低位の妖魔がここまで異常な再生能力を得る事例は初めての経験であった。


 同時に、自身の判断を呪う。


 はじめから夜叉の血を解放し、その血質を宿した絶華で斬っていれば、このような状況は起こり得なかっただろう。夜叉の血が司る権能は生命の“終焉”。その影響を受けた者は龍脈から受ける生命力の供給を絶たれ、癒えぬ傷を負う。当然、再生などできない。


 だが、夜叉の血は諸刃の剣だ。長時間解放していれば、千鶴の心身は侵食され、自我を失う。低位の妖魔どもを一掃しても鎌嚇という高位の妖魔が後に控えている以上、余力を残しておく必要があった。感情を押し殺して確実な一手を選択したはずが、かえって裏目に出てしまった。


「くそ……!!」


 四肢に纏わり付く触手を引き剥がそうと力を込めるが、びくともしない。これでは、絶華を振うこともできない。


 ——仕方ない、やられてしまっては元も子もない。一瞬で片をつければいいだけの話だ。


 そう判断し夜叉の血を呼び起こそうと集中するが、同時に迫り来る烈風を感じた。


「隙を見せたな、小娘!!」


「な——」


 背後から聞こえる高揚した鎌嚇の声に意識を向けた瞬間、背中に激痛が奔った。


「がっ……!」


 耐え難い痛みに、自然と喉から呻き声が漏れる。全身から力が抜け、堪らず絶華を手放しそのままうつ伏せに倒れ込んだ。


「くく、こうも呆気ないとは拍子抜けだ。巫女夜叉とはいえ、やはり人間の小娘に変わりない」


 霞む目で声の方を見上げると、浮遊する鎌嚇が薄ら笑いを浮かべていた。隻腕となった鎌からは、自身のものであろう血が滴っている。どうやら、背後から鎌による斬撃を食らったらしい。傷は相当深いだろう。人間離れした自己治癒力を有するこの体でも、すぐには動けそうにない。


「おのれ……貴様……!」


 地面に這いつくばったまま、目で射殺さんとばかりに鎌嚇を睨む。だからといって、どうとなるわけでもない。そんな千鶴の様子が滑稽なのか、鎌嚇は心底愉快そうに高笑いしている。宿敵である巫女夜叉の死に様を見届けようと、他の妖魔も千鶴の周囲に集まってきた。


 いつの間に追いついたのか、上空では無為の鷹が甲高いいななきを上げながら、千鶴達の頭上を旋回している。まるで千鶴を「立ち上がれ」と鼓舞しているかのようだ。


 だが、それには応えられそうもない。鎌による斬撃は毒を孕んでいたのか、全身の感覚が薄れていく。視界は霞み、意識も遠のく。こうなっては、夜叉の血を解放するだけの気力もない。


 首を刎ねようというのか、ついに鎌嚇は隻腕を高らかに振り上げた。勝利の愉悦に吊り上がった鎌嚇の目を見て、悟る。


 ——ここまでか。人知れず、孤独に死ぬのか。


「……姉……様」


 消え入りそうな声で呟くと、頭上の鷹が鳴いた。


 同時に、鎌嚇の隻腕が動く。せめて目は瞑るまい。身体は抗えずとも、意志の刃は最期の瞬間まで向け続けてやろう。


 ——しかし、その足掻きも無用に終わることとなった。


「なっ……!?」


 自身の首筋目掛けて振り下ろされたかに思えた鎌嚇の隻腕は、大きく横に逸れて一体の妖魔の頭部を切断したのだ。


 魚のような鱗に全身を覆われた妖魔の体は頭部を失い、血飛沫を上げながら倒れ込むと、やがて微動だにしなくなった。


 さらに、異変はそれだけにとどまらない。


 唖然とする千鶴がまるで見えていないかのように、鎌嚇は「巫女夜叉は死んだ! この鎌嚇様が首を刎ねてやったぞ!!」などと勝ち誇っている。他の妖魔もそれに習うかのように、言葉のない雄叫びを上げた。


「——くくく。この小娘さえいなくなれば、奴らの里は落ちたも同然。さて、残りを片付けに行くぞ。神々廻に属する人間どもは皆殺しだ」


 そして、しばしの余韻に浸っていた鎌嚇はそう言い残し、妖魔を引き連れ森の中へと消えていく。


「くそ……待て……!」


 鎌嚇ら妖魔は、言い放った言葉通り、里を蹂躙するつもりだろう。


 途端に、血と炎に飲まれる巫神楽が脳裏に浮かんだ。慣れ親しんだ美しい風景も、ようやく巡り会えた家族と呼ぶに足る同胞達も、最愛の姉も。全てが手からこぼれ落ちていく感覚に襲われる。同時に沸き起こるのは、身を焼き尽くすほどの憤怒、それに憎悪。


 鉛のように重くなった体を引き摺り声を絞り出すが、再び旋風と化した鎌嚇の放つ風音に飲み込まれてしまった。



 鎌嚇らが去ると、先ほどまでの状況が嘘であったかのように、地面に伏す千鶴のみを残して森に静寂が訪れた。


 すると機会を伺っていたのか、上空に留まっていた無為の鷹は急降下し、千鶴の元へと降り立った。


「無為か……?」


 鷹の視界を共有しているであろう無為に向け、千鶴は語りかけた。


 彼女がなんらかの異能を行使し、命を救ってくれたのか。だが無為が扱える虚空羅家の血操術は、遠見の異能に過ぎない。対象と視覚・聴覚を共有できても、それを介して見た生物や事象にまで干渉できるなど聞いたことはなかった。


 なにが起きたかなどまるで見当もつかないが、この場で起こった全てをいち早く里に伝達しなければならない。無為ならば言わずとも実行するだろうが、念を押しておく必要がある。


 千鶴がそう思った矢先、鷹は前触れなく口を開いた。否、嘴を開いた、とでも言うべきか。


「——事が過ぎるまで寝ておれ。悪いが……今、其方を里に戻すわけにはいかんのだ」


 鷹が放った言葉は、無為のように幼くたどたどしい口調とは似ても似つかぬものだった。威厳と風格に満ちた、老練な語り口だ。千鶴は鷹の向こうにただならぬ者の存在を感じ取ったが、ついに限界を迎えたのか、眠るように意識を失ってしまった。


「……許せ、巫女夜叉。其方そなたはまだ生きねばならぬ。——さて、急がねば。無為に預けた力がついえる前に」


 鷹はそう言い残すと、翼を大きく広げ羽ばたき、地上から飛び立った。


 やがて遠くなっていく、横たわった千鶴の姿を映す鷹の瞳には、どこか憐憫にも似た感情が宿っているようにも思える。


 そしてその瞳は、血操術を行使する者と同様、赤く染まっていた。


 

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龍幻記 〜終脈の巫女夜叉〜 琳堂 凛 @tyura-tyura

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