会合・弍

 真鶸から会合で取り決められた内容を聞かされた千鶴は、当然困惑した。


 千鶴自身、忌み嫌う重役たちの思惑はよく心得ているつもりであった。


 千鶴が視界に入るだけで嫌悪感を露わにするような連中だ、屋敷から遠ざけるような采配を強いることはあっても、指揮権限を与えるような決定など論外なはず。ましてや筆頭ともなれば、それなりに自由な意思決定権もあり、なにより屋敷に出向く機会も少なからず発生する。後者は一貫して禁止されたままだろうが、なんにしろ彼らの意図が理解できなかった。当主である道元に至っても同様だ。


「……まさか、寂瑜殿の提案か?」


 黙考していた千鶴は、思い浮かんだ男の名を口にした。


 すると、真鶸は「いかにも」と頷いた。


 寂瑜は、千鶴が毛嫌いする重役たちの中で唯一、敬称をつけて呼ぶ男だ。


 自身も成り上がりの身である寂瑜は、血筋や地位にとらわれない柔軟かつ客観的な観点で物事を判断する、重役の中では異質の存在であった。そのような考えは千鶴に対しても変わらないようで、その活躍を聞き及んでいた寂瑜はたとえ夜叉であろうが優秀なことに変わりはないと、以前から千鶴を推し上げるような節があったのだ。


 千鶴の処刑が決定した際も再審議を求める声を上げたらしく、古い風習や言い伝えではなく現状の情報や状況で判断を下す寂瑜という男を、千鶴は信頼に値するやもと感じていた。つい突っ走りがちな自身の行動に対しても寛容で、姉妹が置かれた境遇に対し憐れむだけでなく鼓舞するかのような素振りや言動も多いと聞く。


 そのような取り計らいに千鶴は少なからず感謝していたが、その裏は読めている。


 おそらく、寂瑜は千景に惚れ込んでいるのだろう。色恋沙汰には微塵も興味がないが、兼ねてより寂瑜が姉に向ける目が明らかに他の女と異なっているのは、幼い頃から感じていた。おそらく寂瑜にとって自身の存在は姉の機嫌を取る道具に過ぎないのだろう。となれば、妹が危険な任にあたるのを立場上反対こそしないものの、快く思うはずもない千景の意思に反するような提案を果たして本当にするのだろうかと、千鶴は不審に思ったのだ。


 だが、いかなる疑問があろうと、会合で決定してしまった以上、一介の隊士に過ぎない千鶴は受け入れる他ない。


「——姉様はそのことを?」


「いや、まだだ。だが、自ずと御耳に入るだろう」


「そうか……」


 千鶴がまた姉に心労をかけてしまうと陰鬱な顔をしていると、真鶸は「それだけか?」と意外そうな反応をした。


「なにがだ」


「いや、異論がないならいい。てっきり『密会が困難になる』などと駄々をこねると思っていたものでな。そうとなれば話が早い。早速、お前が率いることになる人選を行う。ついてこい」


 真鶸はそう言うと、集落の方へと足早に歩き始めた。


 千鶴が人目を忍んで千景と逢瀬を果たしていることを真鶸は以前から察していたのだ。


 筆頭になれば必然的に里の外で活動することが多くなるため、千鶴は当然拒絶するだろうと懸念していたのだ。そのはずだったのだが、どうやら杞憂に終わったらしい。


「……本当に癇に障る奴だな。いつまでも子供扱いするな」


 千鶴は心底不快だという様子で横を通り過ぎた真鶸の背中を目で追いながら悪態をついた。


 そして、自身を奮い立たせるかのように言う。


「周囲に蔓延はびこる妖魔どもは私が一掃する。姉様の元へ一歩足りとも近づけさせてなるものか」


 ざあ——と葉擦れの音が響く中、そう宣言した千鶴の目に迷いはない。全ては姉のため。過去に交わした誓いに報いるためだ。そのためならば、呪われた血だろうとなんだろうと利用してやる。何者にもなってやる。


 千鶴は自身にそう言い聞かせると、真鶸の後に続いて集落へと歩き出した。



                 ♦︎



——一方、会合が行われた大広間。


 荒れに荒れた議論は幕を閉じ、室内には二人の男が残っていた。


 一人は神々廻家現当主・道元だ。腕を組んだまま、眉間に深い皺を寄せた険しい表情で、床の一点を見つめている。


「ひょっひょっひょ。お前も苦労が絶えんのう。そう難しい顔ばかりしていてはあっという間に老けてしまうぞ」


 飄々ひょうひょうとした様子で笑うのは、一人の老翁だった。すっかり色素が抜け落ちた白髪の総髪に加え、猫の髭のように細長く整えられた口髭は、まるで山奥に住まう仙人のような印象を与える。


 道元の父であり、先代当主を務めていた神々廻道継ししばどうけいである。今となっては隠居の身ではあるが、重役の一人として、相談役という立場でまつりごとに携わっている。


 会合の際は目立った発言はせず、慎ましく成り行きを見守っていたが、息子と二人きりになった途端にその遠慮は消えたようだ。


「親父殿……笑い事ではないぞ」


 道元は息混じりに言うと、再び床に視線を落とした。その声色と表情は酷く重い。脳裏には、つい先ほど寂瑜が口にした言葉が繰り返し反響していた。





「——正気か、貴様」


 会合中、寂瑜の口から放たれた言葉に耳を疑った道元は怒気を放ちながら問うた。


 対して寂瑜は、無言で頷くことで肯定を示すと、逆に問いかける。


“浅川との盟約を破棄する”。


 この言葉の意味を、その場の誰もが理解していた。故に、驚愕するばかりで声を上げるものはいなかった。もはや禁忌に等しい。寂瑜の言葉は、長きに渡る神々廻の歴史を根底から否定し覆しかねないものだからだ。否、同調する者は少なからずいるのだろう。だがそのような心根は決して言葉として吐き出してはならず、不変のものだと神々廻の誰もが理解しているのだ。


「——道元殿はどうお考えか」


 沈黙する一同を気にも留めず、寂瑜は至って堂々とした口振りで道元に問いかけた。


「浅川の悪政により、下界の民草は飢えに苦しみ、人としての尊厳を失っております。人々が放つ負の感情は毒のように龍幻の大地に蔓延し、陰の気に晒された妖魔を生み出す。その毒牙によってこれまで何人の同胞が命を落とすことになったか、貴方様も承知のはず」


 寂瑜が語った内容は事実である。


 かつて私欲に溺れ、人の世を滅ぼさんとした神々廻の始祖、神々廻道真。そして数百年前、その男を討ち倒すべく、人魔入り乱れての大戦が起こった。当時は無名に等しかった浅川家は初代巫女姫や五龍血と結託し、見事道真を討ち倒した英傑の一人として名を連ねたわけだが、その後の治世は酷いものだった。まさに暴君という他ない。平定した世に暮らす民には理不尽な搾取を強い続け、至福を肥やす一方だった。


 さらに神々廻に対しては大罪人を生み出した悪しき一族と罵り、僻地へと追いやり、封印された道真の霊魂を未来永劫縛り続けることを贖罪と定めたのだ。各地に出没する妖魔に対しても神々廻に対処させ、それをまるで浅川がやってのけたことにする始末。


 浅川との盟約がある限り、神々廻に安寧は訪れない。ただ血筋を絶やすことなく、封印の維持に一族総出で務め続けることになる。それが巫神楽の安寧にも繋がるのだが、下界の統治者とはいえ、只人である浅川の言いなりかのような立場に不満を抱くものは一定数存在した。


 寂瑜はその典型的な例だった。自身と一族に誇りを持ち、自分たちは只人よりも優れた存在であると信じて疑わない。張り付いたような笑みの裏でひた隠しにしてきた野心が、今となっては完全に露見していた。


「……どうもなにも、これまでと変わらん。それが一族存続のためでもある。万が一封印が解かれれば、始祖・道真の怒りの矛先は我らに向くだろう。それだけは阻止しなければならぬ」


 寂瑜は力なく答えた道元の目を真っ直ぐ見据えた。そして少し間を置くと「果たしてそうでしょうか」と、失望したとでも言いたげに俯きながら語り始めた。


「——古の時代、我らの先祖は人ならざる人、現人神として崇め奉られていたはず。それがどうです。時を経た今となっては、このような辺境の地に追いやられ、浅川の言いなりと成り果ててしまった。奴らは我ら神々廻を治世を維持するための都合のいい傀儡として利用し、旧時代の遺物と見下しているのですぞ!! ……なぜ我らがこのような屈辱を受けねばならぬのですか? なぜ我らが虐げられなければならぬ!! 我らが始祖、道真様もきっとそうお考えに違いない!!」


「貴様、言葉が過ぎるぞ」


 道元は怒りを露わにするが、こうなってはもう止まらない。寂瑜の顔つきは話し続けるにつれ、みるみるうちに歪んでいった。高揚は次第に深い憎悪へと変わり、穏やかな表情は見る影もない。切れ長の目の奥には野心の炎が渦巻いている。これがこの男の本性かと、道元は戦慄した。


 さらに勢いを増した口調で、寂瑜は続ける。


「もはや盟約の破棄のみでは生ぬるい! 大罪人と罵られた我らが始祖・神々廻道真の封印を解き、その力を以って混沌の元凶たる浅川らを打ち滅ぼし、我ら神々廻が真の安寧をこの世に齎す!! 道元殿、今こそ奮起の時です! かつての威光を取り戻すのです! 我ら神々廻こそが、この世の統治者に相応しい!!」


「ええい黙れ!! 世迷言もいい加減にしろ!! 貴様、己がなにを口走っているのか分かっているのか!? 何者でもなかった貴様の才を見出し、これまで目をかけ今の地位まで押し上げてやったというのに!! 恩を仇で返すつもりか!!」


「——……それは、神々廻家当主としてのお言葉か」


「当然だ! 相手が只人とは言えど、争いになれば命を落とすのは我が民だ! 神々廻家当主として、そのような無用な犠牲は断じて認めるわけにはいかん! どれだけ足掻こうが、我らの生きる道は変わらぬ、変えられぬのだ!!」


 気付けば、道元は立ち上がっていた。如何いかんともし難い自身の葛藤に苛立ちをぶつけるかのように捲し立て、息を荒げた。


「——……失礼する」


 寂瑜はその様子を憐れむように見上げと、ゆっくり立ち上がり、一言呟いた。そこに先ほどまでの狂気はない。完全に鎮火した炎のように、酷く弱々しい声色だった。


 そして、呆気に取られた重役たちの間を通り過ぎ、大広間から去っていった。









 

 




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