会合・壱

 ——数刻前、神々廻家屋敷の敷地内。


 重要な会合が開かれる際に利用される吹き抜けの大広間は、室内に差し込む穏やかな木漏れ日に反して、張り詰めた空気に包まれていた。


 近年増加の一途を辿る通常とは比にならないほど凶悪な妖魔への対抗策として、“対異常個体戦力として新部隊を創設し、千鶴をその筆頭に据えるか否か”という議題のもと会合が開かれたのだ。


 広々とした室内には巫神楽を治める数名の重役たちが集結し、彼らが激しく議論する声が飛び交っている。そこには懐刃頭領・真鶸の姿もあった。


「——あり得ぬ!! いつ暴走するかもわからぬ小娘に部隊を委ね、さらには指揮権まで与えると!? 不穏分子を野放しにするなど言語道断である!!」


 ある中年の男は怒鳴り散らかしながら、拳を床に打ち付けた。


 対して、対面する形で座していた若い男はわざとらしい薄ら笑いを浮かべると、袖手しょうしゅしたまま、おどけて言う。


「まあまあ。そう熱くなっては、ただでさえ先の短い生涯をさらに縮めてしまいますぞ」


 若い男の反応は正反対であった。身を乗り出した中年の男をなだめるかのように、飄々とした態度で言った。


 そして「貴様……!! 愚弄するか!!」と激怒する男を気に留める様子もなく続ける。


「千鶴様が夜叉の血脈に目覚めてからというもの、はや四年。その間、同胞を殺めたことが一度でもありましたでしょうか? 否。それどころか、あのお方のご活躍には目を見張るばかり。神々廻への忠心はもはや疑いようがないではありませんか」


 巫神楽を治める重役たちの中で最も若い男、寂瑜じゃくゆは大仰に細い両腕を広げ、愉悦に浸るかのような口振りで締め括った。


 やや痩けた頬に、狐を彷彿させるような細長く吊り上がった目。あざけるような笑みを浮かべた表情がなんとも不気味である。


 そして彼こそが、此度こたびの議題の発案者であった。


「若造め、言わせておけば……!!」


「神々廻への忠心だと!? 姉への執心の間違いではないか!」


「万が一の事態となった場合、どう責任を取るつもりか!!」


 寂瑜の煽り立てるような物言いに青筋を浮かべた男が立ち上がると、立て続けに他の重役たちも罵声を浴びせる。


 当の寂瑜はどこ吹く風、一貫して涼しい顔をしていて気にも留めていないようだ。彼らの反応を見るに、重役達のほとんどは此度こたびの議題に真っ向から反対しているらしい。


「では、龍神の御使みつかいと崇め奉られてきた貴方様方の御意見を是非とも伺いたい」


 寂瑜は自身に向けられた敵意に満ちた視線を一蹴するようにそう切り出すと、悠然と立ち上がり、流暢に話し出した。


 そして広々とした大広間の中心で縦二列に座している重役たちの周りを囲むように歩きながら、淡々と述べていく。


「私めの提案を論外とおっしゃられるなら、他になにか妙案が? 現状の乏しい戦力のまま、不穏な状況を打破する策がおありか? はたまた、短期間で優秀な隊士を育て上げる壮大な計画でも? 被害の報告自体は減少傾向にあるとはいえ、近頃は変異個体の存在が目立っております。既によんの村々が蹂躙され、生き残った者は皆無。……おっと、例の村娘は別でしたな。——なんにせよ、その矛先は確実に我らが巫神楽へと向けられつつある」


 寂瑜が一言発する度に、重役たちから「ぐ……」と苦い声が漏れる。


 彼らも心根では悟っているのだ。


 他に選択肢は残されていない。異常な状況を打破するには、異分子と奇策を以って対処するしかないと。


 寂瑜という男は、懐刃の隊士たちのような屈強な肉体を持っているわけでも、ここに揃った他の重役たちのように、神々廻の血統であるわけでもない。ただ優れた知略と口上を武器に、ここまでのし上がってきたのだ。


 生まれや家柄が全てである一族至上主義の者が大半な重役たちが、成り上がりの若者の言葉になど耳を傾けるはずもない。そんな取るに足らない自尊心が、重役たちを現状に対して盲目にし、判断を鈍らせていた。


「——もう一度伺いましょう。私の策以外に、なにか妙案がおありか? 若輩者の私めには見当もつかぬゆえ、どうかご教授いただきたい」


 寂瑜はそんな彼らの葛藤などお見通しだと言わんばかりに、冷然と言い放った。


 苦虫を噛み潰したような顔をする重役たちと、それを見下す寂瑜。いくつもの視線と思惑が交錯する中、それまで押し黙っていた男が口を開いた。


「——やめんか、見苦しい。寂瑜よ、貴様も大概にしておけ」


 張り詰めた堂内に、重苦しく威厳に満ちた声が響く。


 上座に胡座をかいて頬杖をついているのは、神々廻家現当主・神々廻道元だ。千鶴と千景、姉妹の実の父親であり、当主の証である両胸に神々廻の象徴である八重桔梗が施された漆黒の羽織りを着ている。厳めしい面構えと豪傑髯ごうけつぜんが威厳ある当主としての風格に拍車をかけている。


 道元が鋭い眼光で睥睨へいげいすると、重役たちは一斉に口をつぐんだ。寂瑜だけは「これは失敬」とおどけた様子で頭を下げるが、道元は咎めない。重役の中では最年少の寂瑜をそれなりに信頼しているようだ。


 すでに会合が開かれてから一刻が過ぎようとしている。


「……真鶸よ。お前の意見を聞かせてもらおうか。巫女夜叉の力量、懐刃頭領であるお前の目にはどう映っている」


 道元は完全に口を閉ざしてしまった重役たちを呆れ果てたような目で見た後、すぐ傍で片膝をついている真鶸に尋ねた。実の娘のことだというのに、まるで他人のことを指すかのような口振りだ。


「はっ。……率直に申し上げます。妖魔討滅において、千鶴様の力量は隊士達の中でも随一。筆頭を務めている者達にも負けず劣らず——いえ、それ以上かと。ただ……」


「奴に敬称は不要だ。何度言えば分かる。……まあよい。ただ、なんだ」


「はっ……恐れながら、当初に比べ改善されたとはいえ、いまだ独断専行が目立つのもまた事実。隊を率いるにはいささか荷が重いかと。これまで同様、任務内容に応じ各隊に同行させるのが得策かと」


 真鶸の進言に、道元は「ふむ……」と顎鬚を撫でた。


 そこへ、間髪入れず重役の一人が口を挟んだ。寂瑜に対し怒りを露わにしていた男だ。


「そうですぞ! 親方様、早まってはなりませぬ! 巫女夜叉といえども、まだ若すぎる! どんな行動にでるか分かったものではない!」


 そう言うと、男はこれ見よがしとばかりに真鶸を捲し立て始めた。


「そもそも、今の状況は貴様らの体たらくが原因ではないのか!? 早急になんらかの手を打っていれば、事態の悪化は防げたはずであろうが!」


「——ならば貴様が下界に赴き、妖魔どもを相手取るか」


 真鶸が自身に浴びせられた身勝手な雑言に眉をひそめた瞬間、道元の有無を言わさぬような圧が男を襲った。


 当然返す言葉ない男は「そ、それは……」と言葉を詰まらせ、それきり口を閉ざしてしまった。


「揃いも揃って腰抜けどもが……」


 口先ばかりの重役達に道元が呆れ果てていると、寂瑜が再び口を開いた。


「真鶸殿、監察かんさつとして虚空羅の者を隊に加えてはいかがか? 虚空羅の秘術は視覚共有や意思伝達を可能にすると聞く。千鶴様の動向を絶えず把握できるとすれば、これ以上の策はないでしょう。独断専行の件はまあ……貴殿の指導手腕の見せどころでは?」


 張り付いたような笑みを浮かべながら語った寂瑜の言葉を受け、道元は真鶸へと視線をやる。


「……お望みとあらば、いかようにも」


 真鶸の中で、寂瑜という男は掴みどころがなく、その真意を推し量れずにいる人物であった。だが、真鶸としてはこうなった以上、首を横に振るわけにもいかない。寂瑜がなぜそこまでして千鶴を筆頭へと推し上げたがるのか疑問は残ったが、発言は的を得ている。ひとまず、彼の合理的な提案を受け入れることにした。


「……決まりだ。もはや議論の余地はない。巫女夜叉を筆頭とした新部隊の編成は正式に決定とする」


 重役達は苦い表情を浮かべるが、一族の当主がそう宣言した以上は頷くしか選択肢はない。その様子を尻目に満足そうな笑みを漏らす寂瑜を除き、全員が同様の反応を示した。


「では真鶸よ、早速取り掛かれ。采配は全てお前に任せる」


 道元の言葉に真鶸は「御意」とだけ返すと、千鶴にこの旨を伝えるため、足早に大広間から出て行った。



「——おお、なんと賢明なご判断か! いやはや、さすがは親方様。それでこそ、一族の命運を担う長としての器というもの」


 真鶸が去ったのを見計らったように、自らの提案に対し承諾を得られた寂瑜は愉悦に浸った表情で大仰に言うと、自身の席には戻らず、道元の前に歩み寄り、跪いた。


「……まだなにかあるのか」


 道元が訝しみながら言うと、寂瑜途端に神妙な面持ちになり「親方様。もう一つだけ申し上げたいことが」と、これまでの演者のような口調とは一変した様子で切り出した。


「……申してみよ」


 寂瑜から並々ならぬ覚悟のようなものを感じた道元は、すんなりと受け入れた。


「では……僭越せんえつながら。道元殿——『浅川』との盟約、破棄されてはいかがか」


「「「なっ……!?」」」


 寂瑜から放たれた言葉を受け、重役たちがどよめいた。


 その後の会合は荒れに荒れたが、すでにその場から離れていた真鶸が内容を耳にすることはなかった。

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