追憶 〜道は違えど・下〜

「——私は怖かった。千鶴は私を憎んでいるに違いないと思っていたから。だって、そうでしょう? あの子の目の前で、あんなにも酷いことを言ってしまったんだもの」


 千景は天を仰ぐと、嘲笑じみた様子で言った。粛々と語り終えた彼女の背中からは重々しさが漂う。姉妹が歩んできた半生、その過酷さを物語っているかのようだ。


「後悔……しているのですか?」


 ——なんて浅はかな言葉だろう。


 言いながら、つぐなは自身の問いかけを嘲笑った。そんなもの、後悔しているに決まっているのに。他に言葉が見つからなかった。


 だがそれに反して、千景は随分あっけらかんとしていた。


「後悔……ね。ええ、後悔していたわ。自分を責めない日なんてなかった。千鶴が毎日危険な任務に身を置いていると思うと、気が気じゃなかった。でもね。あの子と久方ぶりに顔を合わせた日、そんな気持ちは吹き飛んでしまったわ」


 一間置いて、千景はつぐなの方へと向き直り、続ける。振り切れたような表情にも凛とした声色にも、もう陰りは微塵もなかった。


「あの子は、こんな私を変わらず『姉様』と呼んでくれた。まるで天命であるかのように、私とは違う形で務めを全うしていた。少し大人びてしまったけれど、私の前では千鶴は千鶴だった。……あの子の体に刻まれた癒えきらない生傷を見る度、思うの。妹が命懸けで責務を果たしているというのに、姉の私がいつまでも迷っていてはいけない、私は私の責務を全身全霊で全うするだけだ——ってね。辿る道はたがえてしまったけれど、私たちの誓いは少しも色褪せていない」


 そう言い切った千景からは、揺るぎない意志を感じる。


 姉と妹。巫女姫と巫女夜叉。千景と千鶴の絆は、まだ巫神楽にやってきて数ヶ月のつぐなから見ても確かなものだった。かつての誓いは、立場は違えど姉妹の心の奥底に刻まれていた。

 

「——つぐなは、あの子のことが怖い?」


 不意に、千景が尋ねた。


「……いえ! そんなことは……ええと……その……ほ、ほんの少しだけ……」


 問いの意味はすぐに理解できた。だが、思わず口ごもってしまう。


 巫女夜叉となってからの千鶴は、お世辞にも人付き合いが上手いとは言えない。一夜にして全てが変わってしまったのだから当然と言えば当然だが、口数は少なく、機械的な印象を受けるだろう。懐刃の同胞や集落の住人たちとも、数年という歳月をかけてようやく打ち解け、信頼関係を築き始めたところだ。


 現につぐなは、過剰な憧憬のせいもあるが、面と向かって謝意を伝えるまで二ヶ月かかってしまった。これまで何度か機会はあったが、常に威圧感を放つ千鶴に気圧され近づくことができなかったのだ。秘めた想いに千景が気付き、こうして場を設けなければ今だに物陰から様子を伺っていたことだろう。


 まあ、待ち望んでいた再会はなんとも微妙な雰囲気で幕を閉じてしまったわけだが。


 千景は「まあ、そうなるわよね」と笑うと、穏やかな口調で続ける。


「……私が言うのは身勝手もいいところだけれど、あの子にはもっと信頼し合える他者との繋がりを築いてほしいの。私という存在以外の生きがいを持ってほしい。あなたはまだ雑務も多いし、集落に赴くこともあるでしょう? だからつぐな、お願い。もしそこで千鶴と顔を合わせたら、仲良くしてあげてね。あの子にとって、自ら命を救った存在であるあなたとの繋がりは、きっとかけがえのないものになるだろうから」


 千鶴は姉に固執しすぎるあまり、姉の存在こそが己の全て、生きる理由と定めており、任務では命を顧みない。胡鞠たちから受けてきた報告で千鶴の心境を悟っていた千景の、妹の身を心から案ずる姉としての言葉だった。


 直接言葉を交わさずとも、想い合い、信頼し合っている姉妹。そこに立ち入る隙などないように思える。おそらく千鶴は自分など眼中にないのだろうと、若干の疎外感を覚えつつも、つぐなは「はい!」と快活に答えた。





 二人組の次女が千景を迎えに来たのは、それからすぐのことだった。


「——つぐな。私が戻るまでに薬の調合、きちんと復習しておきなさい。霊力制御の修練も忘れないように。それと、夕餉ゆうげの支度もお願いね」


 千景はどこか険しい表情で淡々と告げると、次女たちを引き連れ滝壺から去っていった。


 次期巫女姫である千景には、早朝の修練を終え身を清めた後、決して欠かしてはならないがあるからだ。


 つぐなはこくりと頷き千景の背を見送ると、夕餉に使う食材が不足していたのを思い出した。彼女は巫女見習いとして千景に師事しているが、同時に身の回りの世話を焼く侍女としての立場でもある。務めを終えた師匠の疲労を少しでも癒やせるような食事を用意するべく、つぐなは食材を求めて集落へ通じる石道の方へと歩き出した。




                  ♦︎




 滝壺を飛び出した千鶴は、竹林の中にある古池を訪れていた。


「成長しないな、私は……」


 池のほとりで膝を抱え込み座る千鶴は、拾った小石を一つ、また一つと意味もなく池に放りながら、自身をあざけるように呟いた。小石を投げ入れる度、気の抜けた音が静かな竹林に響き渡る。


 姉に関わる事となると幼子おさなごに戻ったかのように幼稚な態度をとってしまう自身が情けなく滑稽に思えて、千鶴は水面に広がる波紋をぼんやりと眺めていた。


 そうしていると、不意に柘榴がピクリと耳を立て振り返り、短く吠える。威嚇ではなく、馴染みの顔に対して挨拶しているような鳴き声だ。


「——……なんだ、戻っていたのか」


 千鶴も釣られて柘榴の視線の先に目を向けるが、歩み寄ってくる長身の男を見て顔をしかめた。


 男はところどころが紺鼠色に変色した黒髪を左側の側頭部で編み込んでおり、もう片方は長く垂れた前髪で目元が隠れている。口元は重々しい鉄製らしき面頬で覆っていて表情は読み取れず、それだけで酷く冷淡な印象を受ける。


 千鶴の元までやって来た男は、唯一露わになっている左目を細め、呆れたようにため息を吐いた。


「ちょうど昨夜、な。——それよりも、やはりここにいたか。まったく呆れた奴だ。大方おおかた、千景様と密会していたのだろう? あのお方の邪魔はするなと、何度言わせるつもりだ」

 

 男の太々ふてぶてしい物言いに、千鶴は苛立ちを露わにして立ち上がった。


「ちっ……相変わらず癇に障る奴だ。私がいつ姉様と会おうと、私の勝手だろう! 逐一お前に口出しされる筋合いはない!」


 吐き捨てるように言うと、千鶴は自身を見下ろす男を見上げ、睨む。


 男の名は、刑奉真鶸ぎょうぶまひわ


 五龍血の一家・刑奉家の末裔にして、懐刃頭領でもある男だ。剛羅や胡鞠といった筆頭たちが率いる各部隊を統括し、神々廻家から下された任務に対する人員割り当てなど、懐刃に関わる全ての事案を管理・管轄している。


 つまり、出自が神々廻本家とはいえど、現状は一介の隊士に過ぎない千鶴にとっては逆らうことの許されない上役である。


 千鶴はこの真鶸という男が苦手だった。


 四六時中監視しているのかと疑いたくなるほど、姉と密会する度にその行動を見透かされ、『御務めの邪魔をするな』と咎めてくる。


 常に身に付けている面頬のせいで表情が分からないため考えも読めず、言いようのない圧を放ってくる。


 なにより、真鶸は千鶴が巫女夜叉として懐刃の一員となった折、実践経験など皆無だった千鶴に基礎的な体術に剣術、魔が蔓延はびこる里の外で生き抜くすべまで、妖魔を討つ上で欠かせない要素を全て叩き込んだ師でもあった。


 そして、千鶴はこれまで一度も組み手や真剣での模擬試合で真鶸に勝った試しがなかった。


 千鶴が神々廻本家の出自であることなどまるで気にも留めていない太々しい振る舞いは、千鶴からしてみればもはや清々しく感じており、悪くないものだった。煩わしい気遣いをしなくて済むが故に気楽に接することができる数少ない人物ではあるが、やはり刑奉真鶸という男は千鶴にとって、目の上のたんこぶのような存在でもあるのだ。


「もうしばらく帰ってこなければよかったものを……。——? 珍しいな、お前が手負いで帰還するなんて。遥か西の方まで赴いたと聞いていたが、手こずるほどの相手でもいたのか?」


 よくよく見れば、真鶸は平然と立ってはいるものの、平常着らしき簡素な着物の袖からのぞく腕や胸元には包帯が巻かれている。心なしか、血色も悪く見える。


 その様子をかんがみて、千鶴は訝しむように言った。


 認めたくはないが、真鶸の手腕は相当なものだ。千鶴は外傷を負った真鶸をほとんど見たことがなかったため、不審に思った。


「とんだ言い草だな……。しかしまあ、そんなところだ。此度こたびの一件も異常だった。徒党を組んだ妖魔どもに襲われ、村人は皆殺しだ。隊士も数人犠牲になった。——ちょうど、二月前にお前が遭遇した事態と酷似している」


「なっ……!」


 千鶴は、つい言葉を詰まらせた。


 本来妖魔は、その本能に従い、血肉を求めるだけの存在だ。強力な妖魔が同種の個体を使役するなどといった事例はあっても、全く別の種が徒党を組むなどあり得ないことである。


 身をもって体験した常識を覆すような出来事が、また起きたというのだ。


 唖然とする千鶴に構わず、真鶸は続ける。


「おそらく、これだけでは収まるまい。北の渓谷付近に加え、東の湿地帯でも集団化した妖魔の不穏な動向が報告されている。警戒と調査を怠るわけにもいかん、おそらく今後は同時に複数の部隊を多方面に展開することになるだろう。親方様もそのつもりだろうからな」


「……それは無理だろう、どこにそんな戦力があるんだ」


 千鶴の言うことはもっともだった。


 ただでさえ人員不足である懐刃において、迅速に派遣可能かつ実戦経験の豊富な部隊は、剛羅率いる突貫隊【轟】と、胡鞠率いる遊撃隊【颯】くらいだ。今回のように真鶸自ら隊を率いて任務にあたることもあるが、それは特例である。頭領である真鶸は基本的には里に残り、隊士たちに指示を出しつつも神々廻家の護衛にあたることが主な任だ。


 それを踏まえると、限られた人員の中で、しかも巫神楽に十分な戦力を残した上で下界に複数の部隊を展開するというのは、到底現実的とはいえなかった。


「お前の言う通り、現状の戦力ではまず不可能だ。……ならば、新たに創るしかあるまい。お前にはこれから存分に働いてもらうことになる、覚悟しておけ」


「新しく……? どういうことだ」


 どうも釈然としない千鶴に、真鶸は相変わらず熱を帯びない声色で、淡々と告げる。


「先ほどまで開かれていた会合で、正式に決定したことだ。私はそれを伝えにきた。——巫女夜叉・千鶴よ。お前を中心とする、新たな部隊を創設することになった。異常な妖力を宿した妖魔を狩る専門部隊だ。今後は、お前も筆頭の一人として部隊を率いてもらうことになる」


「…………は?」


 ざあ——と葉擦れの音で満たされる竹林に、千鶴の間に抜けた声が響いた。

 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る