追憶 〜道は違えど・中〜

『巫女姫の血脈より女人の夜叉生まれ出づる時、それ即ち龍幻の終焉なり』


 千鶴が里を抜け出した、翌日の早朝のことだ。母に呼び出された私は、そこで初めて神々廻を呪う夜叉の存在と、くだんの予言を聞かされた。


 およそ二百年前の一族創生、そして人魔入り乱れての大戦以降、夜叉と呼ばれた男の怨念が取り憑いたかのように、一族の男からその血を宿す者が現れていたこと。夜叉の血が覚醒した者は妖魔と戦い続けるうち、最後には正気を失い同胞すら手にかける修羅と成り果てて、身内の手によって処分されてきたこと。


 そして、その夜叉の血脈が巫女姫の血筋の女に発現した場合、神々廻のみならずこの世の全てを滅ぼす生きる災厄となること。


 一族の人間なら誰もが知る一連の史実を、私たち姉妹だけは知らされていなかった。


 それに反して、当主である父、巫女姫である母、そして上役たちは千鶴が異質であることに気付いていたらしい。


 父も母も、心根では生まれた娘が、一族のみならず人の世そのものを脅かす災厄だったなどと信じたくなかったのだろう。予言は脅し文句のようなものに過ぎないのだろうと、淡い希望を抱いていたのかもしれない。


 ——確かに、兆候はあった。


 千鶴は、もっと幼少の頃からずば抜けた身体能力を誇っていた。同時に駆け出せば私は絶対に追いつけなかったし、力でも敵った試しがない。人一倍武芸に興味を示し、懐刃の隊士たちが鍛錬する様子を見に行っては、子供の真似事という範疇はんちゅうには到底収まらないような身のこなしを披露したり、触れたことのない武具の扱いまで瞬く間に身につけてみせた。


 なにより、傷の治りが異常に早かった。


 当然、そんなものは巫女姫にとっては不要だ。獣のように舞い、武器を手に取り妖魔と戦う巫女など聞いたことがない。


 母はそんな千鶴の行いをとがめ、巫女修行に集中するよう口を尖らせていた。けれど、母の期待通りにはならなかった。


 千鶴は過去一度も、結界術はおろか、治癒術も満足にできた試しがなかった。


 ——まだ幼いからだ。才能はこれから開花するだろう。私が特別早かっただけで、妹もすぐ同じ立場になるに違いない。


 修練の最中、必死に術を行使しようとする妹の傍で、私はそう思っていた。


 ……でも、違った。


 千鶴には、霊力がなかった。少ないとか、そういう次元ではない。まったくのぜろだった。神々廻の巫女姫になるべく生まれた女が当然のように有しているはずの力を、微塵も宿していなかった。


 それを裏付けるように、千鶴は夜叉へと覚醒した。予言は現実味を帯びてしまった。


 踏みとどまったとはいえ、千鶴は姉である私を斬った。その太刀傷は母の治癒術をってしても癒えず、出血は止まったものの痛みは残った。


 夜叉に斬られた者は龍脈との繋がり、つまり生命力の供給を絶たれ、癒えない傷に苦しみながら死ぬという。まだ妹に宿った夜叉の血が完全に覚醒していなかったから、巫女姫である母の霊力がうまく働いたらしい。


 そうでなければ私は今頃死んでいたかもしれないと、母から聞かされた。


 母の話は悪い夢物語のようで、実感が湧かなかった。


 無理もない。昨日まで笑い合っていた妹が、実は里を脅かす災厄だったというのだから。


 一通り話を聞かされた後、私は自室で療養するよう言われた。千鶴の所在や処遇については、何度尋ねても答えてくれなかった。



 ——その後、違和感を感じながらも、母に従い自室で大人しく過ごしていると、二人の侍女が迎えにきた。


 傷を少しでも早く癒すために、身を清める必要があるとのことだった。


 不審に思った。唐突すぎたし、なにより侍女たちの顔色が悪かった。平静を装っていたけど、なにか後ろめたいことがあるような、そんな雰囲気だった。幼少の頃から私たち姉妹の世話を焼いてきた二人だ。微妙な違和感を、私は見逃さなかった。


 外廊下を移動中、足を止め、『隠していることを言いなさい』と、私は二人を問い詰めた。最初ははぐらかしていたけど、千鶴の名前を出した途端、二人は泣きながらその場に崩れ落ちた。


『千鶴の処刑が決まった』


 侍女たちは嗚咽を漏らしながら、残酷な真実を告げた。


 鈍器で頭を殴られたような衝撃だった。


 ——全て、合点がいった。


 昨夜、大広間が騒がしかったのは、おそらく千鶴の処遇を決めていたのだろう。いつも涼しげな顔をしている母がどこかやつれて見えたのも、屋敷の者が私によそよそしかったのもそのためだった。千鶴の覚醒を予見していたかのような、迅速で冷酷な決定だった。


 当然反対するであろう私には、明かす必要はないとの判断だったのだろう。


 秘密裏に妹が処刑されようとしている現実に、私は吐き気を覚えるくらい憤った。


 妹は今どこに? それが本当なら、いつ、どこで執行される? そんな非道が許されてたまるか。


 私は母からしつけられた淑やかさなど忘れ、自分でも驚くほど声を荒げて侍女たちを問い詰めた。


 侍女たちは固く口止めされていたのか、最初は渋っていたが、すぐに口を割った。


 執行の場は、屋敷より少し離れた高所にある本殿の外舞台。私たちが普段から修練を積んでいる、馴染みのある場所だった。私をうまく言いくるめ、屋敷から遠ざけると同時に執り行われるという手筈だった。


 すぐに向かった。屋敷を取り巻くように張り巡らされた外廊下を突き進み、本殿へ繋がる石段を、呼吸すら忘れて駆け上がった。


 大した距離ではない。でもこの時ばかりは、何千里も離れているかのように感じた。


 本殿の大扉の前に着くと、そこには見張りを任命されたのか、懐刃筆頭の剛羅と胡鞠が立っていた。


『通しなさい!! 早く!!』


 予想外の私の登場に慌てる二人に、私は大声で詰め寄った。でも、彼らは苦い顔で俯くばかり。懐刃は神々廻家の忠臣、下される命には絶対服従。そんなことは百も承知だったが、今回ばかりは食い下がった。私の剣幕に尻込んだのか、心根のどこかで妹に下された無慈悲な決定に納得していなかったのか、彼らは渋々退き、扉を開けた。


 扉が軋む音が鳴り、殿内に集まっていた者たちが一斉に私の方へと振り返った。


 そしてその奥、吹き抜けになった外舞台には、白無垢の死装束を着せられ、項垂れている妹の背中があった。腰に回した両手をしめ縄で縛られていて、酷く弱々しく見えた。


 その妹を挟むように、側には父の側近である男女が二名、刀を手にして立っていた。父と母もすぐ側に座して控えていて、堂内には聞き慣れた母の声が響いていた。巫女姫が紡ぐ、霊力を帯びた言霊だ。退魔や封魔のための結界を発動するために唱えるもので、それが妹に向けられているのだとすぐに分かった。


『千鶴!!』


 妹の名を叫ぶや否や、私は『姫様!?』『なぜ千景様がここに』と騒ぐ上役たちの間をずかずかと進む。千鶴は項垂れたまま振り返らない。一歩進む度、漆塗りの艶やかな床が白足袋越しに妙に冷たく感じた。


 私の声も足音も耳に入っているはずなのに、妹は振り返らない。石像のようにピクリとも動かない。


『一体何を……! どういうおつもりですか!!』


 怒りのあまり震える口元を必死に抑え込み、私は並んで座る父と母を問い詰めた。


 すると、母は言霊を止めて俯く。一方父は、『役に立たん連中だ……』とため息混じりに立ち上がり、厳粛げんしゅくな声でこう続けた。


『祈沙羅から予言の事は聞き及んでいるはずだ。それがまこととなった以上、こうする他に手段はない』


 寡黙で厳格な父は、いつにも増して威圧感を放っていた。


 私は耳を疑った。予言の夜叉であれ、実の娘に対しそこまで無感情になれるものなのか? それが当主たる者の務めだとでもいうのか。


『それはあまりに早計ではありませんか!? 予言を恐れて、実の娘を殺すというのですか!? 父としての愛はないのですか!!』


『私情は殺せ、この愚か者!! よいか、千鶴はお前に手をかけたのだぞ! お前はこの意味をまるで理解していない。お前が実の姉というだけではない。神々廻の巫女姫を継ぐ者に危害を加えるとあらば、早急に手を打たねばならんのだ!! ……これは千鶴自身も望んだことだ』


 ——言葉を失った。


 妹が自ら死を選んだ? なぜ? なんのために?


 答えは決まっていた。


 呆然と千鶴の方を見ると、妹の背中が小さく震えていることに気付いた。


『……なさい……ごめんなさい……!! 姉様……ごめんなさい……!!』


 小さな背中越しに、嗚咽混じりに聞こえた声を聞いて、察した。


 耐えきれないほどの罪悪感が、妹を自ら死へと向かわせていた。


 私が生きていたら姉様に迷惑がかかる。また姉様を傷つけてしまうかもしれない。ならば、いっそ————。


 妹の考えが、手にとるように分かった。


 同時に、心を決めた。


 私にとって、大切なものはいつだって変わらないのだから。


 ゆっくりと、項垂れる妹に歩み寄る。そのまましゃがみ込み、抱擁する素振りを見せた。見守る人間が姉妹の最後の別れかと察したのを見計らい、外舞台の縁へと走り、今にも身を投げ出さんと背を向け、妹と向かい合う。


 堂内にどよめきが起こった。


『……なんのつもりだ』


『姉様、なにを!?』


 父は怪訝な顔で私を睨み、母も動揺している。千鶴は私の予想外の行動に顔を上げ、私と目が合った。


 一晩中泣き腫らしたらしい。目の周りは赤く腫れていて、頬には何度も涙が伝った痕が残っていた。


『大丈夫よ』


 私はそんな妹に向け優しく言うと、堂内に響き渡るよう、声を張り上げた。


『このまま千鶴の命を奪うというのなら、私も今ここで死ぬまで』


 再び、どよめきが起こる。


『なにを馬鹿なことを……! お前が身を投げたとて、すぐに側近の者が救い出す。仮に重傷を負っても祈沙羅の治癒術があればすぐに回復するだろう』


 父は千鶴に刀を突きつけた男女と母に視線を送り、冷静に言った、そして、こう続けた。


『——まったく、我が娘ながら呆れたものよ。神々廻の巫女となるべく生まれたお前が私情に振り回され、挙句に一族滅亡の一途を辿ることを受け入れるというのか? 妹一人の命と神々廻の……いや、人の世の未来、どちらが重いと思っている!!』


『それが父様の……神々廻家当主としての選択なのですか』


『無論だ。一族の当主たるもの、一より全を救うのは当然の務め。夜叉となった千鶴を野放しにしておけば巫神楽ここだけではない、下界の平穏もついえるだろう』


 そう言う父の目には、並々ならぬ覚悟が宿って見えた。それは姉妹の父としてではなく、当主としての選択だった。


 ならば、私は神々廻の巫女姫ではなく、姉としての選択するまで。


『私にとって、千鶴は全てです。妹のいない世界に、私は価値を感じない。千鶴を殺すということは、私たち姉妹を殺すということ。救われても、隙を見てまた身を投げる。囚われたら、舌を噛む。たとえ何度阻まれようと、私は命ある限り繰り返す』


『くだらない駄々をこねるな! 千景、血迷ったか——』


 憤慨する父に構わず、私は本心を言い放った。


『務めやしきたりばかりを重んじて家族を捨ておけというのなら、そんな一族なんて……いっそ滅んでしまえばいい!!』


 一瞬の静寂が訪れた。


 だがすぐに『不敬な!!』『立場を弁えろ小娘!!』『とんだ世迷言を!!』などと、堂内に集まった人間たちから罵詈雑言が飛び交った。


 それに対して父と母は押し黙り、千鶴は唖然とした様子で私の顔を見ていた。


『では——』

 

 父が重々しく口を開くと、自然と堂内は静まり返った。


『千鶴を生かすとして、その処遇はどうするつもりだ。まさかこれまで通りの生活を送れると思ってはいるまいな?』


 父は試すような口ぶりで私に問いかけた。


 当然、理解していた。


 もう、妹と過ごした日常には戻れない。目の前にいる妹が、ずっと遠くに離れていくのを感じた。


 でも、悲観してはいられなかった。千鶴は生かすに値すると証明する必要があった。



 ————ごめんね。



 妹の顔を見つめ、心の中で一言呟くと、私は父に向き直り言った。


『……千鶴を夜叉として鍛え上げるのです。生きる厄災ではなく、妖魔討滅の戦士として』


 父は怪訝な顔をしていた。


 妹の身を案じる一方で、この提案は矛盾している。でもそれ以外に、活路は見出せなかった。即興で思いついたこの案を、最低だとは自覚しつつも言及した。


『私たちが遭遇した妖魔からは異常なほどの妖気を感じました。おそらく、稀に聞く変異個体でしょう。懐刃の精鋭ですら苦戦する妖魔を、千鶴は傷一つ負わずに斬り伏せてみせました。夜叉の血を制御し、自らの力として自在に操る術を身に付ければ、これ以上の戦力はありません』


 賭けだった。


 この頃から、稀に異常な妖気を纏った妖魔が現れ始め、懐刃の隊士たちが犠牲となっていた。里の防衛に割く人材も必要な中で、神々廻家は戦力ん不足に頭を悩ませていたのだ。時期巫女姫として会合に出席することもあった私は、この事実を知っていた。


『そんなことは不可能だ』などと声を上げる上役たちを無視して、再び父は私に問うた。


『……再び千鶴が暴走したとしたら——その時はどうするつもりだ』


 そうくるだろうとは思っていた。しかし、私の決意は揺るがなかった。


『その時がきたら——』


 言いかけて、妹の顔を見る。理解が追いついていないのか、呆然としていた。同時に、ありし日の記憶が呼び起こされる。




『——姉様、わたし才能ないのかな。お父様もお母様も、わたしは落ちこぼれだって……』


 少し前、滝壺で水遊びをしていた時に千鶴が言った一言だ。


『そんなことないわ。私だって最初はうまく霊力を制御できなかったし、まだまだこれからよ。——心配ないわ! あなたは私の妹なんだから』


 そう言うと、妹はぱあっと表情を明るくして言った。


『わたし、もっと頑張る! それでいつか、姉様みたいに天才だって言われるようになるんだ! 姉様、一緒に里を守っていこうね!』




 ——それが、かつて妹と交わした誓い。


 重責に押しつぶされそうな私を救った、妹の能天気な笑顔は今も鮮明に思い浮かぶ。


 そうなる日をずっと夢見てきたけれど、現実は無情だった。

 


 ——ごめんね。



 また一言、言葉に出さずにそう呟くと、私は続けた。


『……その時がきたら、私が千鶴を滅します』


 そう告げた後、妹の目が大きく見開かれたことだけは覚えている。


 でもそれ以上、千鶴の顔は見れなかった。


 私を見つめる瞳が、絶望と憎悪で染まっているかと思うと、怖くて仕方なかったから。自身の妹が生きる兵器であるかのような物言いをした私を、軽蔑していると思ったから。



 ——その後の措置は早かった。


 上役たちの反対は凄まじかったが、父は私の提案に一理あると踏んだのか、それらを一喝し、千鶴の処刑をとりやめた。


 その条件として、千鶴は神々廻の姓を剥奪の上屋敷から追放、二度と足を踏み入れることを許されなかった。


 以来、千鶴は里の人間たちから忌み子として扱われ、集落からも孤立した廃屋で孤独な生活を強いられ、妖魔と戦うための過酷な訓練を受けることを余儀なくされた。


 私たち姉妹の生きる道は、完全にたがった。


 それでも、『ともに里を守る』という、ありし日の誓いが色褪せることはなかった。




 ——私が千鶴と再び顔を合わせたのは、それから二年後のことだ。


 その頃、千鶴は懐刃の一員として別人かのように鍛え上げられ、妖魔を蹂躙するその荒々しさから“巫女夜叉”と呼ばれるようになっていた。




 


 

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