陰陽の邂逅・肆
それから
彼女が引き連れてきた隊士達は数人で一体の妖魔を囲み、見事な連携で自身の数倍の体躯を誇る異形と対等以上に渡り合った。
妖魔を相手取る隊士達の動きは、常人からすれば夢でも見ているかのように映るだろう。それは只人の身では決して到達できない領域。優れた五感に加え、腕力、脚力共に桁外れ。人の身でありながら、単体ではそうでなくとも数人ともなれば妖魔でさえ圧倒する。
隊士一人でも、武の心得のある只人十人分の戦力に匹敵するほどだ。それが彼らを率いる筆頭ともなれば、その力量は計り知れない。
「——ふう」
異形の
「千鶴様は、と……」
胡鞠が視線を逸らすと、千鶴も同様、獲物を仕留めたところであった。
「——
千鶴はそう言うと、刃にこびり付いた妖魔の血を振り落としながら胡鞠の元へと歩み寄る。
「そうだね。でも……」
胡鞠は至る所に横たわる村人の亡骸を一瞥すると言葉を詰まらせ、目を伏せた。救えなかったことを悔いているのだろう。
その様子を見た千鶴なら、俗世に無関心な彼女の性格上、「何を同情している」などと吐き捨てそうなものだが、二人は多くの死線を共に潜り抜け、互いの人間性はある程度把握しているつもりだった。胡鞠は喜怒哀楽が豊かな分、情に脆い。故に部下からの信頼も厚く、千鶴にとっても心を開ける数少ない友と言える。
「……わたし達とて万能ではない。里からそれなりに距離もある辺境の村だ、仕方ないだろう。それよりも——」
言葉を選んだ末に静かにそう語りかけ、術者を探さねば、と千鶴が言いかけた時だった。
「————いやあぁぁぁぁぁぁ」
「「!?」」
突然、恐怖と絶望に満ちた女の悲鳴が上がった。それは断末魔でもあったかのように徐々にか細くなると、それきり聞こえなくなってしまう。
瞬時に二人が悲鳴が上がった方角へ振り向くと、村の通路が隣接する森の方角へと続いているのが見えた。
「村の外れの方だ! 急ぐぞ!」
「うん!」
二人の行手を遮る妖魔はもういない。隊士達の活躍もあり、村を壊滅させた妖魔はほとんど討ち倒されていた。
だが村の外へ逃げた人間を追って、数体生き残っているとしたら。悲鳴の主が、結界を張った術者だとしたら。
最悪な状況が
途中、半壊した家屋が目に入ったが、既に手遅れであった。中には男の無惨な亡骸。崩れ落ちてきた木片と置石の下敷きにされ、人としての原型を保っていなかった。
そのすぐ裏には隣接する森が広がっており、地面にはそこへ続く血痕と二人分の足跡。大方、生き残った母親が子を連れて妖魔から逃れたのだろう。それだけならいいのだが、何か巨体を引き摺るような跡がそれを追うように続いている。妖魔が二人分の肉を喰らおうと追尾しているのは明白だった。
(——……くそ! またこの感覚か……!)
悲鳴の出所に急行する千鶴は、結界が崩壊した際に感じた衝動に駆られていた。
とにかく急がねばならない。一刻も早く、わたし自身が駆けつけなければならない。
同時に千鶴は確信していた。
襲われているのは十中八九、結界を張った術者だと。身を護る手段を失い、迫り来る絶望から震え上がりながらも必死に逃げていることだろう。
それは妙な感覚だった。まるで親しい者、大切な者の窮地に駆けつけているような。顔を知らず、何者かも分からない人間のために、呼吸すら忘れてただひたすら走る。何かに突き動かされているような自身に戸惑いながらも、千鶴は走り続けた。
二人が森に入ってから、間もなくのことだった。
不意に、静寂に包まれた森にぐちゃぐちゃと何か咀嚼するような気味の悪い音が響く。乱立する木々、それらがへし曲がったことで示された痕跡を辿ると、音の正体は姿を現した。
熊を一回りも二回りも巨大化させたような、褐色の体毛に覆われた背中が何かに覆い被さるようにして、一心不乱に上半身を上下させている。背中越しに見えるのは、赤黒く染まったぼろ切れに包まれた女の体、そして同じように色を変えた地面と野草。妖魔に肉を引きちぎられるたび女の体からは鮮血が溢れ、「うぅ……」と擦り切れるような呻き声が上がる。女は生きたまま臓物を食われていた。
「この……化け物めえぇぇぇぇ!!」
あまりに凄惨な光景に絶句していた胡鞠だったが、無心で食事を続ける妖魔に激昂し、千鶴よりも早く飛び掛かる。
彼女の怒号でようやくその存在に気付いたのか、妖魔は振り向き血の滴る口元を向けたが、咆哮を上げる
「酷い……! これじゃ、もう長くは……」
妖魔から解放された女の状態は、見るに耐えないものだった。
五体こそ満足なものの、食い破られた腹からは臓物が飛び出し、夥しい量の血が溢れ出ている。直に息を引き取るだろう。せめて最期を看取ろうと、胡鞠は徐々に体温を失っていく女の手を握った。
「死ぬ前に教えろ。お前が結界を張った術者か?」
やりきれない表情で俯く胡鞠の傍で、千鶴は女に問いかけた。その声色にはやはり焦りの色が感じられる。死にゆく者には他にかけるべき言葉などいくらでもあるだろうが、はやる気持ちがその一言を選択させた。
霊力の感知は、神々廻の巫女にしかできない。千鶴達はこうして問答する他、術者か否かを判断する手段がないのだ。
千鶴の問いかけに女は弱々しく首を振った。そしてすぐ側にしゃがんだ千鶴の腕を掴むと、
「娘を……私の娘を……どうか……」
「娘……? 結界を張ったのはお前の娘か!? どこにいる!!」
「この……先の……
女はそう言うと視線のみで娘の所在を示し、弱りきった声でもなお言葉を紡ごうとする。横たわる女の周りには、流れ続ける血によって血溜まりができていた。すでに事切れていても不思議ではない出血量だ。それでもまだ意識を保っているのは、娘をなんとしてでも救いたいという母親の愛故か、それともなにか他に譲れない理由があるのか。
「死なせるわけには……あの子だけは……なんと……して……も……——」
言い切る前に千鶴の腕を掴んでいた手から力が抜け、ぱたりと血溜まりの中に沈んだ。それきり、女は動かなくなった。光が失われた瞳からは一筋の涙がこぼれ落ち、女の無念を表しているかのようだ。
そして、一時の沈黙。
「……急ぐぞ」
虚な瞳を晒したままの女の瞼をそっと閉じてやると、千鶴はゆっくりと立ち上がり、女が示した方角に駆け出した。胡鞠も後に続き、その場から去る。物言わぬ女の亡骸だけが残ったが、その表情は娘に差し伸べられた救いの手に安堵したかのような、安らかなものだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます