陰陽の邂逅・参

 胡鞠と別れてから約小半刻。 


(——……遅かったか)


 目的の村付近まで到着した千鶴は隣接する森に身を隠し、様子を伺っていた。


 案の定、結界という防壁を失った村は押し寄せた妖魔によって蹂躙されている。点々と立ち並ぶ木造の家屋は破壊され、田畑はその原型を留めていない。至る所に横たわる村人たちの亡骸に姿形の異なる妖魔が群がり、一心不乱に貪り食っている。各所に点々と灯った松明の炎に照らされ見える凄惨な光景は、まさに地獄絵図。


 人々の生活の名残は微塵も残っておらず、そこにはただ“死”が充満していた。


「……これではわざわざ出向いた意味がないな」


 気怠げにそう呟いた千鶴の声色はまるで熱を帯びておらず、村の惨状を嘆くわけでも、救えなかった命を悔いるわけでもない。まるで他人事のような物言いである。


『遠方にて強大な霊力反応、加えて里を中心とした村々で妖魔襲撃の報告あり。それら全て掃討し、霊力の根源を保護したのち帰還せよ』


 それが今回、神々廻家から千鶴と胡鞠、そして胡鞠率いる遊撃隊【颯】の隊士達へと命じられた任であった。


 だが村中に撒き散らされた“死”が、霊力の根源——即ち結界を張った術者の生存はもはや絶望的であると物語っている。


 正直、千鶴にとって正体不明の霊力の根源などどうでもよかった。結界を見た時に感じた謎の焦燥も、今となっては消えてしまった。村人の命も同義だ。俗世と隔絶された里で暮らす千鶴にとって、下界の事情など知ったことではない。

 

 だが、もしも。


 もし妖魔達による蹂躙の矛先が、故郷に向けられたとしたら。里で自身の帰還を心待ちにしている姉に危険が及ぶ可能性が、ほんの僅かでもあるとしたら。


 そう考えるだけで、沸々と湧き起こる怒りを感じた。自然と鞘に収められた大太刀に手が伸び、村中に蔓延る妖魔を捉えた眼光はその鋭さを増す。


 千鶴の行動理念はいつだって変わらない。


 全ては姉のため。忌み子として扱われた自身を唯一肯定してくれた姉に報いるため。その笑顔と命を護るため。


 ——そのためなら、たとえ悪鬼と成り果てようと構わない。



「……姉様に仇なす存在は全て討ち払うのみ」


 鏖殺。


 抜き放った刃にその二文字を掲げ、千鶴は弾丸のように森から飛び出した。狙うは最も距離が近い、比較的小型の妖魔。頭数二十はくだらない妖魔達に対し、こちらは単騎、獲物は大太刀一振りのみ。混戦になれば劣勢は必然。ならば、とるべき策は一つ。隊士を引き連れた胡鞠が駆けつけるまで、確実に一匹ずつ息の根を止め、その数を減らすことに注力する。


 瞬く間に村人の亡骸の臓物を一心不乱に貪る妖魔達へと距離を詰めると、横薙ぎ一閃。妖魔の頭部は噴き出す鮮血の弧を描き、次々と宙を舞った。


 無惨に食い荒らされた亡骸。その光を失った瞳と視線が合う。だが動揺はしない。一切呼吸を乱すことなく血払いを済ませると、足は自ずと次の標的へと向かう。


 刹那の襲撃に、徘徊する大型の妖魔はまだ千鶴の存在に気付いていない。だが付近の小型の妖魔が新たに流れた血の匂いを嗅ぎつけたのか、複数集まってきている。


「——次から次へと……!」


 千鶴は忌々しそうに呟くと、勢いを殺さぬまま迫る妖魔の集団へと飛び掛かった。中心に降り立つと、身の丈ほどの刀身を誇る大太刀を手足のように操り、次々と妖魔の首を刎ねてゆく。その剣筋に、道場剣術のような型や作法はない。体術、回避行動、獣のような身のこなし全てに斬撃が組み込まれている。それはまるで荒ぶる獅子が猛り狂いながら舞っているかのようだが、同時に酷く冷淡であった。出鱈目な身体能力が可能とする、不規則に襲いかかる縦横無尽かつ無慈悲の剣閃。


 千鶴のに磨かれた剣技により、ただでさえ元となった生物が分からない姿をしていた異形達は皆同様に肉片と成り果てた。


 妖魔の返り血を全身に浴びながら、千鶴は思案する。


 何かおかしい。


 おそらく、村人は皆殺しだろう。食い荒らされた亡骸を見るに、妖魔の餌となる人肉えさはそう多くない。血肉を求め彷徨う妖魔共の食欲は底を知らない。あらかた食い尽くしたとすれば、既に次の餌場を求めこの村を去ってもいい頃合いだ。


(——もしや……!)


 大型に悟られぬよう木造の小屋の陰に隠れた千鶴は、確信めいた結論を見出した。


 結界の主は、まだ生きている。だが、武芸の心得がない者がこの包囲網を一人で切り抜けるなど到底不可能。だとすれば、どこかに隠れて震えながら危機が去るのを待っているのだろう。


 妖魔の行動原理は食欲、ひいては血肉を求める本能そのものにある。だが本質的には生命体が持つ生命力そのものを求め、肉を食らう。龍脈から溢れる生命力は長く生きる生物ほど内包している総量は膨大であり、比較的短命な人間において、巫女や僧侶など霊力を持つ者は例外的に濃密な生命力を宿している。妖魔からすればそのような質の高い生命力を宿した人間は自身を更に強力な個体へと昇華させるための都合のいい栄養剤であり、是が非でも取り込みたい馳走と言える。


 その妖魔達が一向に去る気配を見せないのは、どこかに身を潜めた強い生命力の気配を感じているからだろう。それを裏付けるように、大型の妖魔達は家屋をしらみ潰しに破壊し、身を縮めた人間が隠れていないか探している。


「結局一人か……」

 

 遠巻きに、家屋が破壊される轟音が響く。もし本当に結界の主が生存していて隠れているなら、見つかるのも時間の問題だろう。胡鞠はまだ姿を見せない。悠長に構えている余裕はない。


 千鶴は収めた刃を再び抜き放った。倒壊した家屋越しに、巨躯が歩き回る地響きを感じる。身を潜め機会を伺う千鶴の視界に、巨大な妖魔の頭部が映った。


 ——まずは足を潰す。そして平伏した首を切り落とす。


 千鶴が妖魔を討つ手順を思案していると、それに割って入るように、風切り音と共に何かが凄まじい速度で飛来し、妖魔の顔面に突き刺さった。一瞬で絶命した妖魔はよろけると、血飛沫ちしぶきを上げながら糸が切れたようにそのまま倒れ込んだ。


「——よっと! お待たせ! 大丈夫?」


 同時に、倒れた妖魔の傍に胡鞠が降り立った。単独で先陣を切った千鶴の身を案じていたのか、その表情にはいささか余裕がない。彼女がやってきた方角からは、一足遅れて遊撃隊の隊士達が続々と村に姿を現す。そして瞬く間に妖魔と衝突し、至るところで戦闘が始まった。


「——……待たせすぎだ」


 千鶴は呆れながらも安堵の表情を浮かべ、胡鞠の元に歩み寄る。


「ごめん。包囲網を突破するのに思いのほか手間取っちゃって。……にしても、ひどい有様だね」


 村を襲った惨状を嘆いているのか、胡鞠の表情は暗い。至る所に横たわる変わり果てた村人の亡骸に視線を向け、悲痛に顔を歪ませている。


 だが、それに対して千鶴の表情は怪訝だ。


「過ぎたことは仕方ない。……それより、包囲網だと? 私が到着した時、村の外に妖魔の気配はなかったが」


「相変わらず切り替え早いね……。っていやいや、そんなはずないよ。少なくとも、あたし達以上の頭数だったし。大型がいなかっただけましだったけどね」


(——私は……誘い込まれたのか?)


 神妙な面持ちでそう言いながら妖魔の頭部に突き刺さった短刀を引き抜く胡鞠を尻目に、千鶴は思案していた。


 村への接近は容易だった。無論、妖魔による足止めもなく、不自然なほどに。それが彼女が駆け付けた時は既に包囲網が張られ、待ち伏せにあったという。

 

 規格外の巨躯を誇る妖魔の出現、そしてその異常な行動、事実の食い違い、そして一刻も早く駆けつけねばと感じた謎の衝動。幾重にも重なった違和感は泥沼のような疑念へと変わり、千鶴の思考を鈍らせる。その鈍った思考を捻り続け、一つの結論へと辿り着く。


 妖魔が求めるのは、常に新鮮な血肉。つまり、強い生命力を宿した生物の肉体。ここに集まった妖魔達は村を蹂躙するためにわざわざ出向いたのではない。結界を張るほどの人物は強い霊力、もとい膨大な生命力を有するため、その命に誘われてやってきたのだろう。その人間を食し、より高位の存在になるために。まさに本能、生物として当然の欲求というわけだ。


「——胡鞠、妖魔共はおそらく結界を張った術者を探している」


「なるほどね。でも、この状況で無事とは思えないけど……」


「そうでなければ奴らがここに居座る理由がない。一匹残らず片付けて、術者を探すぞ」


「……よく分かんないけど、了解!」


 胡鞠は一瞬呆けたが、すぐに屈託のない笑顔を見せる。幾度となく死線を潜り抜けてきた二人が交わす言葉は、それだけで十分だった。


 二人にとって、得体の知れない術者の安否はさほど重要ではない。里の重役達にとっては特別な存在であり、何かしら企みがあるのだろうが。

 

 それはそれとして、二人が危惧している事態は共通であった。妖魔に高い霊力を宿した術者を取り込まれてしまえば、その存在は彼女達の里にとっても看過できない脅威となる。里のため、同胞のため、姉のため。


 各々想う者は違えど、その重みに変わりはない。


 そうと決まれば話は早い。

 

 二人は村を彷徨く妖魔を片っ端から狩り始めた。


 

 

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